第35話 私がボーカルになりますから
五月も半ばを過ぎ、蒸し暑さすら感じる狂った気候に若干の苛立ちを感じる中、僕は今日も普段通りの学校生活を送っていた。
「なぁ、瀬那」
「何?」
体育の授業中、グラウンドの隅で存在感を消してサボっている僕の隣にわざわざ座って来やがった、存在感のうるさい奴、加治柊真。
「昨日のりんりんごの曲、聞いたか?」
「聞いたよ」
「……マジでヤバくなかった?」
「うん、ヤバかった」
歌い手りんりんごこと桜田さんの投稿頻度は基本一週間に一度だけど、多い時は二日三日に一回だとか、下手すれば毎日の時とかもある。
ここ最近もかなりの投稿頻度で、そして、気のせいかクオリティがかなりアップしているのだ。
昨日投稿されたのは、ボカロ曲のカバーだ。約二十年前、僕が生まれる前の曲だけれど、溶けてしまいそうな恋心を描いたこの曲は、後のVOCALOID史に大きな影響を与えたと言っても過言ではない。
桜田さんは原作をリスペクトしてか、少し機械っぽく歌っていたけれど、いやぁ、昨日の夜はもう壁に頭を打ち付けたくなるほど僕は悶えていたね。おかげで今もヒリヒリするよ。
そして、僕の隣に座る柊真も、桜田さん、いやりんりんごの歌声のエモさを実感しているファンの一人だ。
「俺さ……昨日の夜、りんりんごの曲聞いてさ、自分の人生ってなんなんだろうって考えたんだ」
「考えすぎじゃない?」
「なんだろうな、この喪失感というかなんというか……俺、人生で初めて、何か大切なものが欲しいって感じたんだ」
桜田さんがどんな気持ちを込めて歌ったかはわからないけれど、今まで以上に、桜田さんの気持ちが伝わってきたように感じる。実際、本家の人気もあるだろうけれど、今回は動画の再生回数とかコメントの伸びがこれまでにないぐらいの勢いだったように感じる。
僕との交際をきっかけに、桜田さんがりんりんごとして成長しているのかと思うと、僕も誇らしくなるね。
「んで、柊真が求める大切なものって何?」
「甲子園優勝だな」
「もっとロマンチックなものを求めてるのかと思ってた」
「ロマンチックだろぉ!? 甲子園も! アッツアツだぞ!?」
「そう感じるのは、大概日差しと気温のせいだと思うよ」
昨日のりんりんごの曲を聞いて「よし、甲子園で優勝するぞ!」と意気込んだ奴は柊真ぐらいしかいないと思う。まさか甲子園でりんりんごのカバー曲を流すつもりじゃないよな……?
昼休みになると、桜田さんと星歌と一緒に軽音楽部の部室でお昼ご飯を食べる。本当は桜田さんと二人きりで食べたいところだけど、あまり二人で一緒にいると星歌から怪しまれるかもと思って、彼女も連れてきている。今日は僕だけ後からついていったけど、やっぱりクラスメイトから怪しまれている気がするね。
「ハーフって憧れるよね」
お弁当のおかずをつまんでいると、急に星歌がそんなことを呟く。
「なんで急にハーフ?」
「私の父さんがさ、最近の若い子はハーフが多いなぁって言ってたんだよ。そんな多いかなぁ?」
「昔と比べると多いんじゃないですかね。クラスにもブラジル系の方いますし」
「ぱっと見じゃわかんないけどねー」
星歌の親御さんはPTA会長をしているから、会合に集まった他の生徒の親御さん達を見てそう感じることがあるのかもしれない。
「星歌さんはどんなハーフになりたいんですか?」
「うーんとね、エルフとのハーフが良いかなー」
「あ、結構ファンタジーな世界観だったんですか?」
「星歌にエルフは似合わない。多分獣人族とかの方が似合うよ」
「ゾウさんとかキリンさんみたいな?」
「とにかく何かを伸ばしたいの?」
「そこは普通、イヌさんとかネコさんだと思いますよ……」
星歌がいると、いつもこんな他愛もない話ばかりしている。でも、桜田さんと知り合うまで殆ど一人で食べていた頃に比べれば、この時間の楽しさが格段に違う。まるで、本当に青春時代を過ごしているかのような……。
いつか、終わってしまうのかもしれないけれど。
いや、僕は知っていたはずなんだ。
今まで根気強く僕を昼食に誘ってくれた星歌と一緒なら、この楽しさが味わえることを。
でも、僕がそれを避け続けていたのは……何故なんだろう?
「ねぇ、瀬那」
すると先に昼食を食べ終えた星歌が、この部室のどこかに隠していたらしい駄菓子を取り出しながら言う。
「今度、ギター持ってきてよ」
星歌はそう言って僕に駄菓子を手渡そうとしてきたけれど、僕はそれを受け取らずに答える。
「嫌だよ。面倒くさい」
星歌の問いにそう答えるのは何度目だろうか。そしていつもなら、星歌は不満そうに頬を膨らませてちょっと拗ねてしまうだけだ。
そう、いつもなら。
「どうして?」
どうして?
星歌にそう問われて、僕はちょっと困ってしまった。
「だから、わざわざ持ってくるの面倒くさいからだよ。結構重いんだよ、あれ」
「じゃなくて。軽音楽部、復活させたくないの?」
今や殆ど廃部状態にある軽音楽部の復活を、星歌はずっと望んでいる。一応僕は部員として在籍しているけれど、しばらく軽音楽部らしい活動はしていない。
そんな僕を、星歌は軽音楽部部長として性懲りもなく誘ってくるのだ。それはきっと、桜田姉妹が入部することで、一応規定上は部活動としての体を成すからだろう。
だけど……。
「星歌なら知ってるでしょ。今の僕にその気はないよ」
僕と星歌のそんなやり取りを側で聞いていた桜田さんは一人アワアワとしていたけれど、星歌は少し残念そうに溜息をついて、僕は二人から目を逸らして水を飲んでいただけだった。
◇
「ハーフって良いですよね」
桜田さんとの帰り道、電車の中にて。どうやら桜田さんの中ではお昼の会話がまだ続いていたらしい。
「桜田さんも憧れるの?」
「はい。やっぱり一枚で二つ分の味を楽しめるのってお得な気分じゃないですか」
あ、もしかしてピザの話してます? 何がどうなってピザの話になっちゃったの。
もしかして桜田さん、お腹減ってるのかな。歌う時は結構食べてるみたいだし。
「ちなみに砂川君は、ピザを頼むとしたらどんなトッピングにしますか?」
「うーん。こってりしてたりガッツリしてるのはあまり好きじゃないから、シーフードとか、色んなチーズの盛り合わせとかかなぁ」
「あ、私もシーフード好きですよ。朱音ちゃんはチーズが好きなので、私の家もピザはシーフードとチーズのハーフです」
「桜田さんの家は結構平和そうだね。ウチの家、母さんはアメリカンなピザが好きなんだけど、妹がイタリアンなピッツァに拘りがあって、ピザを注文するとなるといつも家のどこかの窓ガラスが割れちゃうよ」
「そこまでしてピザを頼む必要ありますか……?」
そして僕達が乗っていた電車が僕の最寄り駅にもうすぐ到着しようという頃。今日はりんりんごとしての収録があるらしく、教会には寄らずに駅でお別れなのだけれど、桜田さんは少し悲しげな表情で呟いた。
「砂川君は、どうして星歌さんのお誘いを断るんですか?」
桜田さんの言葉はどこか悲しげで、星歌の誘いを断る僕に対する素直な疑問と、本当にそれを僕に直接問うていいものかという不安を感じ取れた。
どうして、か。
きっと桜田さんは勘違いしているのだろう。
「私は砂川君の演奏を聴かせていただきましたけど、砂川君はギターを弾くの、とってもお上手じゃないですか」
そりゃ、僕は中学時代の殆どの時間をギターの練習に費やしていたからね。もしかしたら、同年代のギタリスト達と比べても、それなりの技術は持っているかもしれない。
でも、好きだから上手になったとしても、上手だから好きというわけではないんだよ。
「僕は、今更バンドを組もうという気はないよ。メンバーも集まらないだろうし」
元々僕達が通う高校に存在した軽音楽部が廃部状態にあるのは、バンドを組むためのメンバーが集まらなくなってしまったからだ。一応僕と星歌は多少楽器を弾くことは出来るけれど、数合わせのために野球部と兼部してくれている柊真は楽器を弾くことなんて全然出来やしない。
星歌はまだ諦めていないみたいだけど、桜田姉妹が加わったところで、部活動としての体をなしたとしても、だからといってバンドを組めるわけではない。
それでも──。
「そ、それは……」
電車が駅に到着し、僕が桜田さんに背を向けて電車から降りようとした時、桜田さんは僕の制服の袖を掴んで言った。
「わ、私が、ボーカルに立候補しても、ですか?」
桜田さんの言葉に驚いて、僕は思わず彼女の方を振り返った。
桜田さんが、いやあの歌い手りんりんごが、僕達のバンドのボーカルに?
自分がりんりんごであることを隠したがっている桜田さんにとってそれは、かなり勇気のいる提案だっただろう。しかも、人前で歌うことをあんなに嫌がるというか、びっくりするぐらい緊張してしまう、あの桜田さんが?
僕は驚いて何も言えなかったけれど、駅のホームに発車ベルが鳴り響いていた。
「あ、ドアが閉まっちゃう!?」
僕はこの駅で降りないといけないのに、もうすぐドアが閉まろうとしていたので、僕は慌てて電車から降りて桜田さんの方を向いた。すると、桜田さんは僕に向けて手を振りながら言う。
「で、では砂川君、また明日~!」
「う、うん。また明日」
僕も桜田さんに手を振り返して、彼女が乗った電車をホームから見送って、すぐに改札へ行こうとせずに、多くの人が行き交うホームで立ち尽くしていた。
桜田さんが、ボーカル?
まさか星歌に、自分がりんりんごであることを打ち明けるつもりなのだろうか。
それに、桜田さんは……そこまでして、軽音楽部を復活させたいのか?
桜田さんが、ボーカル……。
僕は、ワクワクしているのだろうか?
それともこの胸のドキドキは、恐怖?
なぜ、恐怖?
僕は一体、何を恐れているというのだろう……。
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