第29話 お姉ちゃんが一目惚れしたなんてありえない!
「え、えっと、何のお話?」
「決まってるでしょ? 鈴音ちゃんのお話だよ」
体育館の影になってて薄暗く、学校の敷地を囲う背の高い生け垣が壁のようにそびえ立ち、吹奏楽部の演奏音や運動部の練習の掛け声すら届きづらい、不気味な空間に佇む桜田朱音。
〝微笑みの魔女〟なんて呼ばれる彼女の、妖艶で、ミステリアスな笑顔が、この場所の不気味な雰囲気と相まって、とても恐ろしく感じられた。
何だかバトルでも始まりそうな予感だね。え? 僕死ぬの? 負け確イベント?
「さて、砂川君。貴方は、鈴音ちゃんとお付き合いを始めたんだってね」
「う、うん」
「なんでも、鈴音ちゃんの一目惚れだとか」
「そ、そうみたいだね」
そういえば、いずれ僕が桜田さんのことを振るときのために、そういう設定にしてくれたんだっけ。
それにしても、中々現実味のない設定だなぁ。僕が考えるとしても、もうちょっとマシな設定にする。それこそ僕が桜田さんを脅迫したという流れしか考えられないけどね。
と、僕が彼女の質問に頷いていると、それまで魔女のようにニコニコと微笑んでいた彼女は、急に僕の方へズカズカと歩み寄ってきた。
そしていきなり僕の首をガシッと掴むと、そのまま僕の体を体育館の壁にドンッとぶつけるように押して──笑顔から一転して、僕を睨みつけながら口を開いた。
「貴方、どんな手を使ったの?」
え、何この状況。
「な、なんのこと?」
びっくりした僕が怯えながらそう聞くと、彼女はなおも僕を睨みつけながら、険しい表情で言う。
「鈴音ちゃんが、貴方みたいな男子に一目惚れなんてするはずがない」
あ、はい。それはすみません、その通りだと思います。すみませんでした。僕は腹を切ればいいですか?
「大方、貴方が鈴音ちゃんのことを脅迫して、無理矢理お付き合いさせたんでしょ?」
何それ怖い、僕がヤクザみたいじゃん。
もしかして、この子……僕と桜田さんの恋が、失恋前提である、ということを知らないのか?
そこ、一番大事なのに!?
「もしかして貴方……鈴音ちゃんの正体を秘密にする代わりに、鈴音ちゃんを無理矢理彼女にしたの?」
「ちょ、ちょっと、首がっ……!」
僕の首を掴む彼女の力がさらにグッと強くなる。答えたくても苦しくて答えられないんですけど!?
「本当は内気で人と接するのが苦手な鈴音ちゃんを誑かそうったら、そうはいかないよ」
彼女の口ぶりを聞くに、多分桜田さんは、僕達の本当の関係を妹に説明していない。
もしかしたら僕に気を遣ってくれたのかもしれないけど、なんだかまずい方向に向かっている気がするぞぉ!?
「私の目が黒い内は、鈴音ちゃんに悪い虫を寄り付かせるつもりはないんだから!」
しかし、彼女にどう弁明すればいいか僕にはわからない。正直に話したところで信じてくれるだろうか? 少なくとも、今の彼女は正気を失っているように思えた。
「私の大好きなお姉ちゃんを、どこの馬の骨かもわからない人間に渡すわけには────」
と、彼女は突然口を止めると、ハッと何かに気づいた表情で横を向いた。僕も首を絞められながら彼女が見ている方を向くと──そこには、姉の方の桜田さんが佇んでいた。
「す、砂川君と……な、何してるの、朱音ちゃん……?」
日直の仕事を終えて僕のことを探していたらしい桜田さんは、今の僕達を見て驚いたような表情でその場に立ち尽くしていた。
「あ、えっと……こ、これは違うの、お姉ちゃん……」
すると妹の方の桜田さんは僕の首から手を離すと、蛇に睨まれた蛙のように急に体をプルプルと震わせ、怯えた表情になっていた。
ようやく彼女から解放されて僕はゲホゲホと咳き込んでいたけれど、そんな僕の元に桜田さんが駆け寄ってきて、心配そうな面持ちで言う。
「だ、大丈夫ですか?」
「いや、そんな心配されるほどじゃないよ」
「でも、首が真っ赤になってますよ」
桜田さんの小さな手が僕の首に触れ、優しく擦ってくれた。確かにちょっと苦しかったし怖かったけれど、そんな死にそうなレベルで首を押さえつけられていたわけではない。
「さて、朱音ちゃん」
「ひぃっ!?」
そして桜田さんは背後に佇んでいた朱音の方を振り返ると、怯える妹の頭にポカッとゲンコツを食らわせていた。
「こらっ! なんで砂川君にこんなことしたの!?」
「だ、だってぇ~お姉ちゃんがこんな奴に一目惚れしただなんて、信じられなかったんだも~ん」
あ、はい。それは本当にすみません。本当にその通りだと思います。なんですか、僕は火あぶりにされた方がいいですか? ご所望とあらば喜んで火の海に入りますよ。
「だからって暴力を振るっちゃダメでしょっ! 私、朱音ちゃんをそういう風に育てた覚えはないよ!」
「お姉ちゃんもすぐにゲンコツしてくるくせに~」
「頭グリグリの方が良い?」
「本当にすみませんでした」
……なんだ、この力関係。なんか、双子の兄弟とか姉妹ってあまりどっちが上とか下みたいなのって無いと思ってたけど、ちゃんと桜田さんの方がお姉ちゃんなんだ。
それに、いつもはクールな感じの桜田朱音も、姉が相手だとこうなるのか。流石の魔女も、メドゥーサには敵わないってこと?
「朱音ちゃん。私じゃなくて、砂川君に謝って」
「……でもぉ」
「でも? でもって何?」
「あ、はい。砂川様。この度は愚かな私の粗相によりご迷惑を、さらに暴力行為に及んで危害を加えてしまい本当に申し訳ございませんでした。どうぞ私を煮るなり焼くなり首をはねるなり晒し首にするなりご自由にしてください」
「いやいやいやいや、急にどうしちゃったの」
何かさっきまでの緊張感からの急激な変化で混乱してしまいそうなんだけど。さっきまで僕の首を掴んでいた妹の方の桜田さんが、何故か僕に土下座してるし。
こんな場面を他の誰かに見られたら余計ややこしいことになりそうだったので、僕は慌てて彼女に顔を上げるよう促す。
「だ、大丈夫だよ。ほら、顔を上げて。大切なお姉ちゃんのことが心配だったんでしょ? 姉思いの可愛らしい妹さんじゃないか」
「ほ、ほらお姉ちゃん! やっぱりコイツ、こうやって良い人ぶって何か企んでるって!」
「私の彼が何を企んでるって?」
「あ、はい。私みたいな虫けらは黙っておきます」
本当になんなの、この姉妹の力関係。意外にも毒舌な朱音にも驚かされるけど、そんな彼女を従えている桜田さんは一体何なの……。
「砂川君、首の方は本当に大丈夫ですか?」
「大丈夫だって。ありがとね、僕のために怒ってくれて」
「あぁいや、これは姉として当然の務めですっ」
一時はどうなることかと思ったけれど、桜田姉妹の新たな一面を知ることが出来てちょっと楽しかった。それに、今回の件は一応僕にも非があるのだ。
きっと誰の目から見ても、桜田さんのような人と僕みたいな人間が釣り合うはずが無いのだから……。
さて、ちょっとした事件はあったけれど、ようやく収まったところで妹の方の桜田さんが言う。
「そういえば、お姉ちゃんはコイツの……」
「人のことをコイツって呼ばない」
「……砂川君のどこを好きになったの?」
妹からそう問われた桜田さんは、笑顔のまま硬直してしまった。
うん、桜田さんがその質問に答えられるわけがない。一応彼女が僕に一目惚れしたという設定にはなっているけれど、僕達は付き合い始めて数日ぐらいしか経っていないし、きっと僕に惚れる要素なんて一欠片もないだろうから。
桜田さんは一体どうやってこの局面を乗り越えるのだろう。いっそのこと、今からでも僕が彼女に一目惚れしたという設定にしてしまおうかとも思ったけれど、桜田さんは顔を赤くして、自分の髪で顔を隠しながら言った。
「わ、私の歌を、褒めてくれたところ……」
……?
桜田さんの答えを聞いた僕は戸惑っていた。ポカンとした表情の妹の方を見る限り、きっと彼女も同じことを思ったのだろう。
いや……歌い手としての彼女、りんりんごの歌を褒めてくれる人、他にも一杯いると思うけど……。
「お姉ちゃん。本当に砂川君に弱み握られてないの?」
「みょえぇっ!? ぜ、ぜぜぜぜぜぜぜぜ全然そんなことないよぉ!?」
「……ふーん」
そして朱音は僕の方を向いてギロリと睨んできた。
うむ。彼女の誤解が解けることは当分なさそうだ。次は何をされるだろう。爪を剥がされたりするのかな、ハハ。
そしてこんな空気で、桜田さん達と一緒に帰るような勇気が僕にあるわけなかった……。
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