第19話 桜田さんのときめきスイッチ、再び
『せ、瀬那君!』
昨日のことは夢だったのか。僕は桜田さんからもっと名前で呼ばれたかったけれど、僕は彼女のことを名前で呼べるような勇気を、まだ持っていなかった。
「ねぇ瀬那、見て見て! これ傑作なの!」
美術の授業でデッサン中、星歌がわざわざ僕に自分の絵を嬉々とした様子で見せに来た。
「何それ。フラットウッズ・モンスターを描いたの?」
「ううん、これ鈴音ちゃん」
ハハ、だから銀色なのか。肌色の部分が無いから宇宙人かと思っちゃったよ。
なんて言ったら、星歌はどんな反応をするだろう。怒るを通り越して泣いちゃうかもしれないな、ハハ。
「瀬那が描いてるのはドラゴン?」
「うん。ほら、眼光が鋭くて迫力があるでしょ」
「なんだか童話とかおとぎ話に出てきそうな、優しい目をしたドラゴンさんにしか見えないけど」
星歌の美術のセンスも中々だけど、僕も人のことは言えない。どれだけ自分の中でかっこいいと思っていても、皆に茶化される程度の子どもらしい絵しか描けないのだ。
今も授業中で一応真面目にデッサンに取り組んでいたけれど、それよりも僕の頭の中は他のことで一杯だった。
そしてふと、美術室の隅で熱心にデッサンしている桜田さんの方を見る。
『せ、瀬那君!』
この感情はやはり特別なものなのだろうかと、僕は試しに星歌に話しかけてみた。
「ねぇ、新井さん」
「なーにー、瀬那……って、ゔぇ?」
キューティクルがかかった長い茶色の髪を揺らしながら、僕の方を振り向いた星歌が素っ頓狂な反応をする。
いや、ゔぇ?ってなんだよ。桜田さんみたいにもっと可愛らしい反応しなよ。
「どうしたの、新井さん」
「いや、それはこっちのセリフだよ。瀬那、急にどうしちゃったの? 私のこと、名前で呼んでくれてたじゃん。あ、もしかして瀬那のおじいちゃんにいつもお菓子ねだってるのバレた?」
それはきっと僕のおじいちゃんも喜んでやってるだろうから良いんだよ。んで、もっと悪行らしい悪い行いはなかったの?
「ほら、名字の方が新井さんには似合うかと思って」
「私は名前で呼ばれる方が好きだって、瀬那には前に言ったと思うけど?」
「うん、そうでしたね。すみません」
いつの頃だっただろうか、中学ぐらいかな。僕が星歌のことを名前で呼ぶのが恥ずかしくなって名字呼びに切り替えようとしたことがあったけれど、星歌にすんごく怒られた記憶がある。
確かに良い名前だと思うけどね、星歌。でもたまに茶化されるんだよ、名前で呼びあってるの。茶化されるどころか、去年一緒だったクラスメイトの男子に「どういう関係なんだ?」って睨まれながら聞かれたことあったからね。
本当は星歌と親しいことも隠したいぐらいだけど、それは星歌が許してくれそうにない。
「逆にさ、瀬那は私に砂川君って呼ばれたい?」
「知らず知らずの内に、星歌に何か悪いことしちゃったかなって考えるね」
「ほら、そうでしょ~。私は新井って呼ばれるよりも星歌って呼ばれる方が、何だかちゃんと自分のことを呼んでもらえてる気がするんだ~砂川君はどう思う?」
「ごめん星歌。もう二度と名字で呼ばないから」
「わかればよろしいんだよ、セスナ」
「なんか余計なのが加わってるんだけど」
自分のことを呼んでもらえている感覚、か。
中学、高校と進んで名字で呼ばれることにあまり違和感を感じることがなくなっていったけれど、下の名前の方がなんだか特別に感じるよなぁ……。
お昼休みになって、僕は星歌や柊真達クラスメイトにジーッと訝しげな表情で見つめられながら、桜田さんと一緒に昨日と同じ部屋へ向かった。こうやって人気のない校舎の端っこで二人きりでいるの、なんだかいけない気分になっちゃうね。
そんなことはいいとして。
「ど、どうぞお食べください!」
そして、机の上に広げられたのは、桜田さんが僕のために作ってくれたお弁当。
卵焼きに唐揚げ、ハンバーグといった定番のおかずは勿論のこと、ミックスベジタブルやミニトマトなどの野菜も添えられて彩りもよく、そして……昨日、桜田さんが作るのが好きだと言っていたきんぴらごぼうとひじき煮も入っていた。
ごはんにはのりたまもかかっていて全体的に可愛らしく盛り付けられているし、ボリュームも十分だ。
「こ、これ桜田さんの手作り……?」
「は、はいっ。今日は気合を入れて作りました!」
「さ、桜田さん、ちゃんと料理出来るんだね。すごいよこれ」
「いつもはお母さんが作ってくれるんですけど、私も料理をするのが好きなので」
本当に僕が桜田さんの彼氏役で良かったのだろうか? まだ付き合い始めて二日しか経っていないけれど、ただでさえ桜田さんはお姫様みたいに可愛いのに、料理も出来て、そして歌も上手くて……本当に僕には勿体ないお方だ。
僕は早速、唐揚げを一口食べてみる。
「ど、どうですか……?」
「うん。サクサクしてて美味しい。今まで食べてきた唐揚げの中でもトップクラスだよ」
「そ、それは言いすぎですよぉ……」
桜田さんは恥ずかしそうに顔を髪で隠しながらも、えへへ~と嬉しそうに体をクネクネと揺らしていた。この子、結構感情表現が豊かで見ていて面白い。
卵焼きやハンバーグの味も申し分なく、桜田さんの得意料理であるきんぴらごぼうとひじき煮もいただいて──。
「美味しい……」
「す、砂川君!? な、泣いてますよ!? どうしちゃったんですか!?」
感動しすぎた僕は、とうとう涙を流してしまっていた。そんな僕の姿を見た彼女はアワアワと慌て始めたが、そんな彼女の姿がおかしくて、僕は笑いながら言う。
「僕はいつもお弁当を作ってもらってるけど、やっぱりこういうのって特別に感じるんだよ。そりゃ作る人によって見た目や味付けが変わるのは当たり前だけど、なんだか、作ってくれた人の想いが感じ取れるんだ……」
「そんな難しく考えなくても良いんですよ!?」
やがて社会に出て一人暮らしなんて始めることになったら、こうして誰かにご飯を作ってもらえるのが当たり前ではなくなってしまうかもしれないのだ。一人暮らしを始めていざ気合い入れて自炊しようと思っても、忙しない毎日に追われておろそかになり、やがてコンビニの弁当とかで済ましちゃうようになってしまうんだ……。
いやいや、そんな未来が来ないことを祈るばかりだ。
それにいつか、桜田さんのお弁当を食べられなくなってしまう時が来てしまうんじゃないかと思うと、ちょっと怖くなってきてしまう……。
そして、桜田さんの特別な想いが込められた(と信じたい)お弁当を完食して、僕は手を合わせた。
「砂川君が綺麗に食べてくれて嬉しいです」
「ううん、こちらこそごちそうさま。ありがとね、鈴音」
僕がそうお礼を言うと、桜田さんはキョトンとした表情をしていた。
僕は今、初めて桜田さんのことを名前で呼んだ。僕も勇気を出して彼女のことを名前で呼んでやろうと意気込んでいたけれど、そのタイミングを伺っていたのだ。
そして今が、絶好のタイミングだと思ったのだ。さらに呼び捨てにしてやったぜ。
桜田さんは僕に名前で呼ばれたことに驚いていたようだったけれど、やがて段々と顔を赤く染めていって──いつものように恥ずかしさで自分の顔を髪で隠すのかと思いきや、何故か彼女は急にダンッとテーブルを叩いてパイプ椅子から立ち上がった。
「ど、どうしたの、鈴音」
「……いたい」
「へ? ど、どこか痛いの?」
「歌いたい」
「んえぇ?」
歌い、たい……?
すると桜田さんはせっかくの綺麗な銀色の髪をムシャクシャに掻き乱しながら、部屋の中をうろちょろしながら言う。
「こ、こんな感情初めて……! この、今、湧き上がる気持ちを、歌にしたい! 歌いたい! 何か良い歌はない!? あぁ、今すぐ家に帰って収録したい! でも家に帰り着く頃にはもうこの気持ちが冷めちゃうかも! 忘れちゃうかも! あ、そうだ! 砂川君! 録音したいからもう一度私の名前を呼んでもらっていいですか!?」
「お、落ち着くんだよ、鈴音!」
「みゃあぁーっ!?」
「す、鈴音ー!?」
……成程。
どうやら彼女は僕から名前を呼ばれるだけで悶絶してしまうらしい。そんなことある?
しかし、その感情を歌声で表現したいというのは、歌い手りんりんごらしいというかなんというか……これも桜田さんのときめきスイッチが入るタイミングだったんだろう。
やっぱり桜田さんも中々に変人枠だね。
いや、歌に魂を込めるために失恋したいって言ってる子が、変じゃないわけないか。
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