第13話 桜田さんのソロミュージカル
「こ、こんなに美味しそうなお弁当なら、つい食べたくなっちゃっても、しょ、しょうがないですよね!」
どうやら桜田さんは、ラブラブ大作戦の一環として、僕に『あーん』をしたいらしい。
そう気づいた瞬間、僕の心臓の鼓動が一気に早まった。こんなに胸が高鳴るのは、僕に対して中々あーんしたいことを直接口に出せない桜田さんの愛おしさもあるし、これから自分が桜田さんにあーんしてもらうという未来を考えるだけで、もうドキドキが止まらない。
「あの、桜田さん」
「は、はいっ。なんでしょうか!」
「桜田さんのお弁当、とても美味しそうだから、ちょっと分けてもらってもいいかな?」
「は、はいっ! 勿論良いですとも!」
桜田さん、緊張しているのか口調がおかしくなってる。別におかずを分けてもらうだけなら、直接相手の口に入れなくても良いはずなんだけど、完全にそのつもりだよね。
「ど、どれが良いですか?」
「じゃあ卵焼き、いただいてもいいかな?」
「こちらの卵焼きですねっ。で、では……」
桜田さんは卵焼きを箸で掴むと、そのまま正面に座る僕の口元へ近づけてきた。
でも、桜田さんの手がすごく震えているからか、箸に掴まれた卵焼きがプルプル震えている。何かの間違いで僕の目に入ってしまいそうなぐらいでちょっと怖い。
「す、砂川君っ、はい、あーん」
僕は桜田さんの手の震えが少し収まったタイミングで、パクッと卵焼きを口の中に入れた。
一噛み一噛み、じっくりと味わうように僕は丁寧に咀嚼する。
「ど、どうですか?」
「うん、とても美味しいよ。良い甘さ加減」
僕がそう答えると、不安げな表情をしていた桜田さんが一気にパアッと明るくなった。
「そ、それは良かったですっ。あ、私が作ったわけじゃないですけど……」
「でも、桜田さんがあーんしてくれたから、より美味しく感じられたよ」
「ほ、本当ですか? もっと食べますか?」
「それだと桜田さんの分が無くなっちゃうじゃないか。それより……」
僕はまだ一つも手を付けていない自分のお弁当を桜田さんの方に少し近づけて、勇気を出して言う。
「ねぇ、僕のお弁当も美味しそうに見えない?」
僕もずっと受け身でいるわけにもいかない。僕がそう問うと、僕のお弁当を見た桜田さんは興奮した様子でコクコクと頷きながら口を開く。
「は、はいっ。とても美味しそうですっ」
「どれを食べてみたい?」
「で、では、砂川君の家の卵焼きの味付けが気になりますっ」
「わかった」
僕は自分のお弁当に入っていた卵焼きを一切れ掴んで、桜田さんの口元へ運ぶ。
「桜田さん、準備は良い?」
「は、はいっ、いつでもどうぞっ」
桜田さんは緊張した面持ちで目をつぶって、そしてその小さな口を目いっぱい大きく開けた。
「あ、あーん」
果たして、僕がこんなことをして許されるのでしょうか。
神様、貴方は明日にでも僕をこの世から消し去ってしまうのではないでしょうか。そんな未来を容易に想像できるほど、今の僕は幸せに包まれています。でもまだ殺さないでください、お願いですから。
桜田さんはパクッと卵焼きを頬張って、目をつぶったままモグモグと咀嚼する。
「ど、どう?」
僕のお弁当も自分で作ったわけじゃないけれど、桜田さんが美味しいと感じてくれるのかとても気になる。
僕が桜田さんの答えを待っていると、咀嚼を終えた桜田さんは急に席から立ちあがって、そして目をカッと大きく開いて言った。
「……歌いたい」
「へ?」
「私は今、とぉっても歌いたいです!」
なんだなんだ、どうしちゃったの桜田さん。
なんか、桜田さんの変なスイッチを入れてしまったような気がする。
突然のことで僕が呆然とする中、桜田さんは立ったまま自分の胸を押さえて話し始める。
「こ、この胸のドキドキは一体何……? 今までに感じたことのない、この感覚は一体? 卵焼きが美味しいから? その程よい甘さに感動したから?
ううん、違う。それは砂川君があーんしてくれたから……そうに違いない! 好きな人からあーんしてもらえるだけでこんなに胸が高鳴るなんて! まるで青空と太陽の下で、心地よい爽やかな風が吹く綺麗なお花畑で踊っているかのよう! ビバ! 青春! ビバ! 初恋! ビバ! あーん! ビバ! 口移し!
この思いを歌声にのせたい! 今ならとっても良い歌を歌えそう!」
桜田さんが急に一人でミュージカルを始めちゃった。なんか口移しって単語も聞こえてきたんだけど、桜田さんはそこまで考えてたの?
桜田歌劇団のソロミュージカルに僕が呆気にとられていると、正気に戻ったらしい桜田さんは、恥ずかしさのせいか顔を真っ赤にして、急に静かになって自分の席に戻った。
「えっと、桜田さん。落ち着いた?」
「はい」
「そんなに嬉しかったなら何よりだよ」
「すみません、私って時々、変なスイッチが入っちゃうので……」
スイッチが入るとミュージカルを始めちゃうタイプの女の子かぁ。初めて出会ったよ、人生で。
「ねぇ桜田さん。もう一口食べる?」
「これ以上あーんしてもらうと、私は興奮しすぎて死んでしまうかもしれません……」
その後、桜田さんはすっかり大人しくなってしまい、僕の方から話題を振っても小声で頷くだけで、最初の騒々しさはどこに行ってしまったのか、静かにお昼ご飯を終えることになった。
……桜田さんは想像以上に可愛らしい人で、そして変な人だとわかった。
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