9話 葛藤
男子寮は、賑やかだった。
食堂に入ると、そこはもう宴会みたいな雰囲気になっていた。
鍋から湯気が立ち上り、皿に盛られた料理が次々と消えていく。
男子たちは好き勝手に騒ぎ、食べ、笑い、ふざけ合っていた。
(……これが、男子寮のノリかよ。)
俺は、少し距離を置くようにして座ろうとしたが——
「レグナード、何してたんだ?」
いきなり、声をかけられた。
俺が顔を上げると、そこにはハルの取り巻きの一人——
ハルと同じく、調子のいい男がニヤニヤと俺を見ていた。
(……やめろ、俺に関わるな。)
だが、最悪なことに——
「いやいや、こいつな、自室にこもって薬学の勉強してたんだよ!」
ハルが、ニヤリと笑いながら俺を茶化した。
(こいつ……! 俺の計画をバラすな!!)
俺は、心の中でハルを睨みつけながら、適当に誤魔化すしかなかった。
「ははぁ……風邪気味なんですぅ〜。」
わざと大げさに咳をしてみせる。
しかし、それを聞いた男子たちは——
「バカ貴族だなぁ!」
「今時、そんなの薬屋で買えるだろ?」
「意外と貧乏なのか?」
大笑いしながら、俺をバカにしてきた。
——奥歯がギリギリと鳴る。
(……クソが。)
(何も知らないくせに……!)
こいつらにとっては、ただの”からかい”なんだろう。
俺が”貴族のくせに変なことをしている”と、馬鹿にして笑うだけのネタ。
こっちは命がけで”支配の手段”を探しているってのに、
こっちは本気で”運命を変えようとしている”ってのに——
(何も分からないくせに、勝手に笑ってろ。)
俺は、無理やり笑顔を作ろうとしたが——
「はいはい、つまらないこと言わないの。」
エリシアの声が飛んできた。
場が、少し落ち着く。
「せっかくご飯作ったんだから、無駄話ばっかりしないで、ちゃんと食べなさい。」
「はーい!」
男子たちは、エリシアの一言で素直に話題を切り替えた。
そして、またすぐにつまらない会話の応酬が始まる。
「このスープ、うまいな!」
「おい、パン取りすぎだぞ!」
「そういえば、今日の試験マジでヤバかったわ〜!」
どうでもいい話が、次々と飛び交う。
(……ああ、もういい。)
俺は、食事に集中するふりをしながら、静かに考えを巡らせた。
(こいつらには、何も分からない。俺の計画も、俺の焦燥も、俺の目的も。)
(だから、俺は俺のやるべきことをやるだけだ。)
俺は、黙々とスープを飲みながら、心の中で次の手を考えていた。
「でもどうする? 俺ら来年で卒業だよな。」
ふと、そんな言葉が飛び出した。
男子寮の食堂は相変わらず騒がしい。
だが、その話題が出た瞬間、少しだけ空気が変わった。
「お前、卒業したらどうすんの?」
「うちの家、商隊やってるから、俺も手伝うつもり。」
「俺は軍属かなぁ、兄貴が騎士団だし。」
「俺は学問続ける予定、王都の大学に進学するつもり。」
みんな、それぞれの進路について話し始める。
(……そうか。)
俺は、静かにスープを飲みながら、その会話を聞いていた。
考えてみれば、俺の進路は何も決まっていない。
貴族としての道は閉ざされている。
公爵家に戻ることもできない。
この学園を卒業したところで、俺の未来は何も保証されていない。
(でも、そんなことはどうでもいい。)
俺には、“惚れ薬”がある。
それを完成させれば、俺の未来は変わる。
俺が望む形で、この世界に”俺の居場所”を作れる。
そう思っていると——
「……時期に徴兵も始まるのかな?」
誰かが、そんなことを呟いた。
一瞬——空気が張り詰める。
「……おい!」
ハルが声を上げた。
俺は、その意味を理解するのに少し時間がかかった。
——戦争。
——徴兵。
——俺の親父、バーナード公爵。
この国が今、戦争状態にあることは知っている。
そして、その原因が、俺の父親——バーナードの政策によるものだということも。
「す、すまんレグナード……気にしたか?」
ハルが、少し申し訳なさそうに俺を見る。
周囲も、気まずそうな顔をしている。
(……まったく。)
俺は、心の中で苦笑しながら、明るく取り繕うことにした。
「気にしなさんな。僕のバカ親父、どうしようもないんだから。」
そう言って、わざと大げさに肩をすくめてみせる。
その瞬間——
「はははっ!!」
「おいおい、レグナード、お前やっぱ面白いな!」
「なんだよ、今までそんなキャラ隠してたのか?」
「もっと早く言えよ! こういうノリ大好きだわ!」
場が一気に和らぐ。
「いやぁ、“バカ親父”はさすがに笑うわ。」
「お前、実は毒舌キャラだったんだな?」
男子たちは、面白がって笑い出す。
さらに——
「クスクス……」
女子たちも、くすくすと笑い出した。
「たしかに、バーナード公爵はねぇ……」
「でも、自分の親をあそこまでバカにするの、ちょっとウケる。」
(……フッ。)
俺は、作り笑いをしながら、内心で冷めた思いを抱いていた。
(結局、こういうことなんだよ。)
俺は、“自分をネタにすれば”場に馴染める。
俺が”面白いキャラ”として振る舞えば、周囲は俺を受け入れる。
(……クソが。)
(俺は”面白い奴”になりたいんじゃねぇんだよ。)
でも、今はそれでいい。
この場では、それが一番”賢い”振る舞い方だから。
俺は、適当に笑いながら、再びスープを口に運んだ。
「エリシアは将来、何になりたいんだ?」
ふと、誰かが尋ねた。
エリシアはスプーンをくるくる回しながら、少し考える素振りを見せ——
「そうだなぁ……お嫁さんになる?」
——と、軽く茶化して言った。
場が、一瞬だけざわつく。
「お、おい、マジかよ!」
「ははっ、意外とそういうの夢見てるタイプ?」
「えー、エリシアが家庭的なイメージないなぁ。」
みんなが笑いながら話している中——
俺は、マジで受け取った。
「なれるよ!!」
俺は、思わず力強く言っていた。
「エリシアなら、立派なお嫁さんになれる!!」
場が、一瞬だけ静まる。
(……え?)
俺は、周りの空気の違和感に気づいた。
ハルたちが、微妙な顔をしてこっちを見ている。
女子たちは、ちらっと俺を見て、少し気まずそうな表情。
そして——エリシアが、一番驚いた顔をしていた。
「……冗談、ね?」
彼女は、少し引きつった笑顔で言った。
その言葉を聞いた瞬間、俺は心臓が冷えた。
(え……?)
俺が何か間違ったことを言ったのか?
彼女は本当に冗談だったのか?
何か、言い訳しなきゃ——
そう思った瞬間、ハルがさらっと口を開いた。
「そうだな。ま、知ってると思うけど——」
ハルは、俺を見て、ゆっくりと言った。
「エリシアは、俺の幼馴染だしな。」
(……あ?)
「将来は、一緒に地理学者になるんだよ。」
「えっ、そうだったの?」
「まぁ、それに近いけどさ。」
エリシアは、苦笑しながら言った。
「小さい頃から、ハルとはよく色んな場所に行ってたしね。」
「おいおい、言うなよ恥ずかしいなぁ。」
ハルが冗談めかして笑う。
「でもさ、まぁ……それに近いかもな。」
「二人で、将来は一緒に旅をしながら研究するつもりだしな。」
(………………。)
俺の中で、何かが崩れた音がした。
(待てよ。)
(“それに近い”って何だ?)
(結婚を匂わせてるように聞こえないか?)
俺は、エリシアの表情をじっと見つめる。
彼女は、どこか楽しそうに話していた。
俺の方なんて、まったく見ずに。
——その時、俺は自分が”部外者”であることを悟った。
(……そうか。)
(俺は、何も知らなかったんだな。)
俺は、黙ってスープを飲み干した。
味なんて、全然しなかった。
その夜、俺は暖炉の前で蒸留作業を続けていた。
ガラス管を伝い、蒸留液がゆっくりとポタポタと落ちていく。
薬の濃縮が進むにつれ、俺の心もまた、濃縮されていくようだった。
「……俺は、何をやっているんだ?」
火の揺らめきを見つめながら、自問自答する。
昼間の食堂の光景が、頭から離れない。
ハルとエリシアの笑顔。
「幼馴染」という言葉。
「将来は一緒に」という言葉。
——俺は、そこにいなかった。
ただの”場違いな奴”だった。
エリシアが笑う時、俺はそこにいなかった。
ハルと話している時、俺はただ聞いているだけだった。
(……俺は、どこにいた?)
この世界に来て、俺はどこに居場所を作れた?
この学園で、俺のことを本当に必要としている奴はいるのか?
考えれば考えるほど、答えは出なかった。
「……違う。俺は、間違ってない。」
俺は拳を握り、蒸留装置を見つめる。
(俺は、何も間違ってない。)
俺はただ、自分の居場所を作ろうとしてるだけだ。
この世界で、俺の人生を勝ち取るために、俺なりに努力してるだけだ。
(なのに……なのに……!)
ハルとエリシアの笑い声が、頭の中で響く。
「……ふざけんなよ。」
俺は、小さく呟いた。
「ふざけるなよ、ハル。」
「お前は、全部持ってるじゃねぇか。」
「生まれつき顔もいい、性格も良くて、周りに恵まれて、努力もしなくても、全部上手くいく。」
「そのくせ、俺が何も持ってないことを知りもしないで、気軽に笑いやがって。」
「……何が”幼馴染”だよ。」
「何が”一緒に旅をする”だよ。」
「そんなの、俺には一生できないことじゃねぇか……!」
気づけば、俺の呼吸は荒くなっていた。
ポタッ、ポタッ、ポタッ……
蒸留液が落ちる音だけが、静かに響く。
蒸留は、確実に進んでいる。
液体は、どんどん濃縮されていく。
まるで俺の怒りと憎しみが、一点に凝縮されるように。
「……エリシア。」
俺は、唇を噛み締めた。
「お前だってそうだ。」
「俺に優しくして……俺を気にかけて……俺に救いをくれるふりをして……」
「……結局、俺のことなんか、何も考えてなかったんじゃねぇか。」
エリシアの笑顔が頭に浮かぶ。
その笑顔は、俺のためのものではなかった。
ずっと、そうだった。
(だったら……だったら……!)
俺は、蒸留装置を見つめる。
(……もうすぐだ。)
(もうすぐ、この薬は完成する。)
(そして……エリシアの意志は、俺のものになる。)
その瞬間、俺の中の何かが弾けた。
——俺は、もう迷わない。
——俺は、俺の望むものを手に入れる。
ポタッ……ポタッ……ポタッ……
蒸留は進み、俺の決意も、憎悪も、すべてが濃縮されていく。




