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8話 プレゼン

 翌日、俺は授業をサボって図書館に入り浸った。


(今さら授業なんか受けても意味がない。)


 昨日までの俺は、授業を受けることでこの世界に馴染もうとしていた。

 でも、それが何の意味もないことは、もう分かっている。


 俺は”バカ貴族”で”勘当された落ちこぼれ”だ。

 この学園にいたところで、まともな未来があるわけがない。


(だったら、俺は俺のやるべきことをやるだけだ。)


 俺は、ひたすら書物を漁った。

 魔法学の書物、薬学の書物、呪術に関する書物……。


 棚の隅に押し込まれているような、誰も読まないような本も手に取る。

 埃まみれの分厚いページをめくり、僅かな手がかりを探す。


(絶対にあるはずだ……惚れ薬。 いや、それに類する何かが。)


 そして——


 見つけた。


 俺は、古びた魔道書の一ページを食い入るように見つめた。


 《相手の意思を自在に操る薬》


(……これだ。)


 俺は、そのページだけを破り捨てた。


 もちろん、本を持ち出すこともできるが、それだと余計な詮索を受けるかもしれない。

 そんなリスクを冒すつもりはない。


(やるしかねぇ……!)


 ——俺は、すぐに実行に移る。


 文献の内容を必死に読み込み、必要な材料を頭に叩き込む。

 記述された成分を、何度も何度も復唱する。

 書かれていた調合方法を、何度も何度もイメージする。


 手に入るもの、手に入らないもの、どうにか代用できるもの——


 俺は、昼も夜も関係なく、手段を探した。


(これが成功すれば……)


 エリシアは、俺のものになる。


 俺はもう”選ばれない側”の人間ではなくなる。

 顔の良し悪しも関係なく、ただ俺を”愛する”ようになる。


 そのためなら、俺は何だってする。


(絶対に、手に入れてやる。)


 俺は、目の下にクマを作りながら、ひたすら”その薬”の完成を目指した。



「——グラマップ薬?」


 俺の言葉に、ヴォルグ先生は優しく微笑んだ。


「やれやれ、急にそんなことを言われてもねぇ……あれは取り扱いが難しいんだよ?」


 ヴォルグ先生——

 薬学を教えている白髪の小柄な老婦人。

 丸眼鏡の奥で優しげな目を細め、皺だらけの手で木の杖を握っている。

 まるで、どこかの田舎で薬草を煎じているおばあちゃんのような雰囲気。


 優しい笑顔を絶やさず、いつも生徒たちの質問に丁寧に答えてくれる。

 その口調もどこかゆったりとしていて、温かみがある。


(……くそ、こういう人には罪悪感を覚えるな。)


 俺は少しだけ躊躇しながらも、今節丁寧に説明を始めた。


「先生、ご存知の通り、グラマップ薬は精神作用を引き起こす薬ですよね?」


「そうだねぇ。」


 ヴォルグ先生は、穏やかに頷く。


「ただし、その効果を得るには、それ相応の量が必要なんです。」


「うんうん。」


「精神作用を引き起こすには、1キロくらいの錠剤を摂取しないといけない。」


「そうなのよねぇ……。だから、研究以外ではほとんど使われてないのよ。」


 ヴォルグ先生は、ゆったりと頷きながら、戸棚の奥から何かを取り出す。


 小さな瓶。

 その中には、くすんだ紫色の錠剤が詰められていた。


「これがグラマップ薬よ。」


「……!」


(……あった。)


 目の前に、確かに”それ”はあった。

 これをどうにかすれば、俺の目的は果たせる。


 だが——


「……でもね、レグナード。」


 ヴォルグ先生は、柔らかく笑いながら俺を見つめた。


「本当に、それを研究するの?」


「……え?」


「あなた、精神作用の研究をしたいって言うけれど……。」


 ヴォルグ先生は、どこか寂しげに目を細めた。


「あなた、本当は……何か違うことを考えているんじゃないかい?」


 ドキリとした。


(……こいつ、まさか気づいてるのか?)


 俺は、無意識に表情を硬くした。


「先生、僕は——」


「……ううん。」


 ヴォルグ先生は、俺の言葉をそっと遮った。


「何も聞かないよ。」


 優しい声だった。


「あなたは優しい子だからねぇ。」


(……くそ、なんなんだよ。)


 胸がざわつく。


「だから、くれぐれも悪いことには使わないでね?」


 俺は、それ以上何も言えなかった。


 ただ、静かに頷くだけだった。


 俺が瓶を手に取った時、ヴォルグ先生がふっと微笑んだ。


「……ああ、そうそう。」


 去り際、彼女は思い出したように言った。


「グラマップ薬の取り扱いが難しいって話をしたけれどね?」


「……ええ。」


「それはね、いわゆる”大量摂取での自殺未遂”が過去にあったからなのよ。」


 俺の手が、一瞬止まる。


「オーバードーズって言うんだけどね。」


 ヴォルグ先生は、遠い昔の話をするように、ゆっくりと語った。


「この薬、精神作用があるってことでね、一時期”自殺を試みる人”がこぞって飲んだことがあったんだよ。」


「……。」


「でもね、誰も死ななかったのよ。」


「……え?」


「効果を出すためには1キロ以上飲まなきゃいけないし、そもそも毒性もそんなに強くない。」


「だから、結果的に”死ぬ”ことはなかったの。」


「ただねぇ……。」


 ヴォルグ先生は、ちょっとだけ申し訳なさそうに笑った。


「時折、勘違いした人間が大量に摂取してしまってねぇ……。」


「結果、どうなったと思う?」


「……。」


「副作用の便秘に悩まされるんだよ。」


 俺は、思わず言葉を失った。


「だから、“自殺未遂”っていうより”ただの大バカ騒動”って感じでねぇ……。」


 ヴォルグ先生は肩をすくめる。


「魔法薬学の研究史の中でも、最も情けないエピソードの一つなのよ。」


 俺は、瓶の中の錠剤を見つめた。


(……そんな薬なのかよ。)


 人を思い通りに操れるかもしれない”奇跡の薬”が、実際には”自殺にも使えず、便秘の元になるだけの代物”だったとは。


(……だが、それでも俺には使い道がある。)


 俺は、ヴォルグ先生に見つからないように、小さく笑みを浮かべた。


 このままじゃ意味がない。

 だが、俺には“蒸留”という手段がある。


 この薬の本当の力を引き出すのは——俺だ。


 授業をサボって、自室に潜り込んだ。


(……ただ、これだけじゃ流石に心許ない。)


 俺が手に入れたグラマップ薬は、1キロもの大量摂取をしなければまともに作用しない。

 そのまま使っても意味がない。


 だから——


 俺は、ヴォルグが目を離している隙に、“追加の材料”をくすねてきた。


「……レッドキャタル粉末と、神経活性促進剤”フィオル”。」


 棚の奥にあった小瓶を、慎重に盗み出した。


 レッドキャタル粉末は、魔導薬の触媒として使われるもので、他の薬の効果を引き上げる特性がある。

 フィオルは、神経伝達を加速させる作用を持ち、薬の影響を通常より強める効果がある。


(……つまり、この二つを使えば、グラマップ薬の効果を”促進”できる。)


 俺は、手のひらに収めた薬瓶を見つめながら、鼻を鳴らした。


「……あのババァ、俺が自殺するとでも思ってんのかよ。」


 ヴォルグの”優しげな目”を思い出す。

 “悪いことには使わないでね?“なんて、まるで俺を心配するような言葉。


(……老耄が。)


 バカバカしい。

 俺は、自殺するためにこれを手に入れたんじゃない。


 俺が求めているのは——“支配”だ。


(これが成功すれば……俺は、俺の人生を手に入れる。)


 もちろん、俺は素人だ。

 薬学の知識なんて、本で読んだ程度。


(……どうなるかも分からない。)


 でも、やるしかない。


 俺は、慎重に材料を並べ、ゆっくりと作業を始めた。


 日が暮れていた。


 俺は、額の汗を拭いながら、小さく舌打ちをした。


(……まだ半分も蒸留できていない。)


 目の前には、小さなガラスの器具。

 試験管のような細い管を通して、蒸留液がポタポタと落ちている。

 だが、その量はあまりにも少ない。


(クソ……! もっと効率よくできると思ってたのに。)


 俺は、こんな作業はもっと短時間で終わると思っていた。

 少なくとも、数時間もかからずに蒸留できるはずだった。


 ——だが、問題があった。


 “火力が弱すぎる”。


(ガスコンロくらいあるもんだと思ったが……いまだに暖炉かよ。)


 異世界に来た時点で、俺はある程度の”文明レベルの違い”を理解していたつもりだった。

 でも、こうして実際に作業をしてみると、その差を痛感する。


 “火力の調整が効かない”。

 強くすれば薬が焦げるし、弱くすれば蒸留が進まない。


(魔法で火を操れたら、どんなに楽だったか……!)


 だが、俺には魔法の才能がない。

 だから、こうして原始的な方法でコツコツとやるしかない。


「……ッ」


 俺は、火加減を調整しながら、じりじりと作業を進める。


 焦るな。慎重に。

 確実に濃縮させることが最優先だ。


(あと少し……あと少しで、完成する……!)


 ——その時だった。


「何してんの?」


 背後から、不意に声がした。


(ッ!?)


 心臓が跳ねる。


 俺は、瞬時に振り向いた。


 そこには——


 ハルが、俺の作業台を覗き込んでいた。


「どあぁぁ!?」


 俺は、思わず尻餅をついた。


 心臓がバクバクと跳ねる。


(クソッ……気づかれたか!?)


 しかし、ハルは俺の焦りにも気づかず、ニヤニヤと笑いながら言った。


「学校も行かずに薬学かい? いやぁ、勤勉だねぇ……。」


 その言葉を聞いて、俺はホッと息をつく。


(よかった……。こいつは、俺が何をしているかまでは気づいていない。)


 俺は、さりげなく蒸留器具を背中で隠しつつ、適当に笑ってみせた。


「はは、ちょっとね。」


「ふーん?」


 ハルは、特に詮索する気はなさそうに肩をすくめる。


 俺は、自然に話を逸らすことにした。


「女子寮に行くのか?」


「あ、そうそう。」


 ハルは、ポンと手を打つ。


「どうせな、男子寮の飯、また腐ってんだしさ。」


(……相変わらずだな、男子寮。)


 毎度のことながら、飯の管理が杜撰すぎる。

 それでまた、女子寮にたかるつもりか?


 そう思った矢先——


「だからさ。」


 ハルが、俺の顔にぐっと近づいてきた。


「女子寮の連中と、今後は料理を共同で作らないかって話してんだ。」


「……は?」


「お前もさ、昨日女子寮で飯食ってただろ?」


「まぁ……な。」


「エリシアたちも、最初は渋ってたけど、まぁ上手くやれば何とかなるだろ? それに、いつまでもたかり続けるのもアレだしよ。」


「……ふぅん。」


(いや、“今さら”それに気づくのかよ。)


 そもそも、男子寮の食事管理がまともなら、こんな問題は起こらない。

 毎回飯を腐らせ、女子寮にたかり、挙句に”じゃあ一緒に作るか”なんて。


(もっと早く考えろ、バカが。)


 ハルは、ニヤニヤと俺の顔を覗き込んで言った。


「乗ってくれるか? レグナード?」


 その瞬間、俺は思い出した。


 ——この間、俺がハルの人格を全否定したことを。


「お前さ。」


 俺は、わざとらしくため息をつく。


「エリシアの迷惑になってること、わかってねぇじゃん。」


 ハルの顔が、一瞬だけ固まる。


「……は?」


「お前ら、毎回飯を腐らせて女子寮に転がり込んで、悪びれもせずにたかり続けてさ。」


 俺は、冷めた目で続けた。


「今になって”共同で作ればいい”とか言ってるけど、要するにお前らが楽をしたいだけだろ?」


 ハルの眉がピクリと動く。


「そりゃあ、エリシアは優しいから何も言わないさ。」


「でも、優しいってことは、“何も思ってない”ってこととは違うんだよ。」


「お前、本当にエリシアのこと分かってるのか?」


 俺の言葉が、ハルの中に何かを突き刺したのが分かった。


 一瞬だけ、言葉に詰まるハル。


 その沈黙が、妙に心地よかった。


「……まぁ、お前の言うことも一理あるか。」


 ハルが、苦々しげに言った。


 俺は、その言葉を聞いて、心の中で勝利の愉悦を噛みしめる。


(……やっぱりな。)


 こういう”楽をすることしか考えていない奴”は、一度ぐうの音も出ないくらい論破してやれば、すぐに引き下がる。

 自分が正しいと思い込んでいたことを否定され、ようやく自覚する。


(まぁ、それに気づけただけでもマシか……)


 俺は、心の中で優越感を抱きながら、ふっと小さく笑みを浮かべ——


 ——その瞬間、その小さな愉悦は、無残にぶち破られた。


「おーい、バカどもー!! 飯、出来たぞー!!」


 元気な声が、男子寮の廊下に響き渡る。


(……は?)


 ハルも、俺も、一瞬固まる。


 そして——


「エリシア!?」


 男子寮の入口に、エリシアが立っていた。


 片手に持っているのは、大きな鍋。

 その隣には、女子寮の連中が数人いて、大量の食材や料理を運び込んでいた。


「お前ら、いつまでも女子寮にたかるのもアレだからさー! 今日はこっちで飯作ってやったぞ!!」


 エリシアは、にかっと笑って言った。


 ——俺の優越感は、一瞬で消えた。


(……おい。)


(何の意味もねぇじゃねぇか。)


 俺がさっき言ったことは?

 ハルを論破して、俺が優位に立ったこの流れは?


 エリシアのこの”無自覚な優しさ”が、すべてをぶち壊した。


「……ほら、お前らもボサッとしてねぇで、さっさと食堂に集まれよ!!」


 男子寮の連中は、一気に盛り上がる。


「マジで!? エリシア、最高!!」

「やったー! 女子寮の飯、うまいんだよなー!」

「神かよ!!」


 俺の隣で、ハルがニヤリと笑って俺の肩を叩く。


「な? ほら、こういうことだよ、レグナード。」


「……ッ。」


 俺は、拳を握った。


(クソが……!)


 俺の思惑なんて関係なく、エリシアは”普通に”やってくる。

 そこに、下心も打算もない。


 ただ、男子寮の奴らが飯を食えないのを見かねて、当たり前のように助けるだけ。


(だから……こいつは”いい女”なんだよ。)


 俺は、悔しさと苛立ちを押し殺しながら、立ち上がった。


「……飯、食いに行くか。」


(これ以上、俺がどうこう言っても意味はない。)


 今は、ただエリシアの”無意識の優しさ”に、俺も乗るしかない……。

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