7話 地獄に耐えろレグナード
「どうしたの?」
エリシアが、不思議そうに俺を見た。
俺は、一瞬だけ迷ったが——すぐに答えを出した。
ここで怒りを露わにしても意味がない。
俺が傷ついたことを気にする人間は、この場にはいない。
だったら——
俺は、軽く笑いながら肩をすくめた。
「いやぁ、エリシアさんがいなかったら、僕死んでたっすよ。」
場が、一瞬だけ静かになった。
そして——
「ははっ!! なんだそれ!!」
「お前、いきなり何言ってんだよ!」
「いやいや、ゲナウごときにやられて死ぬとか、どんだけ弱ぇんだよ!」
「レグナード、マジで体鍛えた方がいいぞ〜!」
「いやぁ、エリシアさん、すげぇなぁ! まさか人助けまでしてるとは!」
場が、一気に和やかになった。
俺の軽口が、“笑い”として受け入れられたのだ。
(……なるほどな。)
俺は、心の中で冷たい笑みを浮かべる。
こういう場では、“被害者”として振る舞うより、“ネタ”にしてしまった方がいい。
周囲にとって、俺の話は”ただの雑談”だ。
ならば、その雑談の”正しい在り方”を演じればいい。
俺は、気さくな態度を装いながら、適当に会話を合わせた。
「まぁ、僕が体鍛えたところで、戦えるとは思えないですけどね。」
「いや、それ言っちゃう!? もうちょっとやる気出せよ!」
「いやぁ、ほんとに死んでたらどうなってたんだろうな〜!」
「エリシアがちゃんと埋葬してくれたんじゃね?」
「あはは、マジでありそう!」
笑いが広がる。
(……バカ共が。)
俺の中には、燃えるような憎悪が渦巻いていた。
こいつらは、俺がどれだけ痛めつけられようと、ただの”ネタ”として消費する。
俺がどれだけ惨めであろうと、興味本位で笑って済ませる。
……でも、それでいい。
(……ふっ、人心掌握は完了したかな。)
ありもしない自己満足を心の中で呟く。
俺の言葉で、場は和んだ。
俺は”面白い奴”として処理された。
それで、誰も俺を敵視しない。
俺は、静かに生きるんだ。
目立たず、誰にも邪魔されず、ただこの世界に馴染んでいく。
——そう思いながら、俺は笑顔を作り続けた。
男子寮に案内されると、ハルが軽い口調で言った。
「ゲナウになんかされたら、俺らに言えよ。」
「してやれることも少ないけどさ。」
その言葉に、俺は一瞬だけ目を細めた。
(……クソが。)
まるで、気にかけているかのような言い方。
だが、こんな言葉は何の意味もない。
“してやれることも少ないけど”
そう言えば、助ける意思があるように聞こえる。
でも、実際は何もしないってことだ。
俺は、前世でこういう言葉にどれほど振り回されてきたか。
「何かあったら相談してね。」
「できる範囲でサポートするよ。」
「俺らも見てるから、大丈夫。」
全部、社交辞令。
本気で助ける気があるなら、とっくに行動している。
“助けてやれることが少ない”とか言う時点で、“助ける気がない”って言ってるのと同じだ。
……だが、そんなことを言っても仕方ない。
俺は、適当に頷き、無言で自室へと入った。
「……ふぅ。」
扉を閉め、部屋の中を見渡す。
(なるほどな……)
見回しただけで、“レグナード”がどんな男だったのかが分かった。
部屋は、平凡そのもの。
装飾は最小限で、貴族らしい華やかさは皆無。
無駄なものは一切なく、ただ必要最低限の家具が並んでいる。
机の上には、少しだけ積み上げられた本。
整然と並んだ筆記用具。
ベッドはきちんと整えられ、服は雑に詰め込まれているわけでもなく、それなりに片付いている。
(……つまんねぇ人生送ってたんだな。)
俺は、ベッドに腰掛ける。
レグナード——この世界での俺は、貴族の息子として生まれながらも、何一つ特別なものを持たなかった。
魔法の才能もない。
勉強が特別できるわけでもない。
人間関係もうまくいかず、“バカ貴族”だと揶揄されながら過ごしていた。
勘当された理由も、おそらく単なる”出来損ない”だからだ。
何もない。
何者にもなれない。
だから、切り捨てられた。
俺は、ゆっくりとベッドに倒れ込んだ。
(……まぁ、今さらどうこう言っても仕方ない。)
俺はもう、“レグナード”なのだから。
俺は、無造作にベッドへ倒れ込んだ。
天井を見上げる。
(……まぁ、今さらどうこう言っても仕方ない。)
俺はもう”レグナード”なのだから。
それがどんな”落ちこぼれ”だったとしても、もう抗えない。
——だが、エリシア。
あの女は、“いい女”だった。
俺の中で、その確信がゆっくりと形になっていく。
今までの人生で、俺に”優しく”した女は何人かいた。
会社の事務員、営業先の受付、居酒屋の店員……。
だが、それはただの社交辞令。
誰も俺に”本当の意味で”興味はなかった。
でも——エリシアは違った。
彼女は、俺を“貴族の息子”としてではなく、“勘当された落ちこぼれ”としてでもなく、ただの”俺”として扱った。
「君は悪くないのにさ。」
あの言葉が、妙に心に残る。
俺を否定しなかった。
見下しもしなかった。
変に持ち上げることもなく、ただ”普通”に接してきた。
そして、あの髪。
あの目。
鮮やかな赤毛に、深い琥珀色の瞳。
あの柔らかな声と、どこか落ち着いた仕草。
(……あれは、いい女だ。)
俺は、目を閉じた。
こんな世界に放り出され、何もかもが最悪だった。
だが、一つだけ確かなことがある。
俺はもう一度、エリシアに会いたいと思った。
告白できるものなら、もうしてる。
エリシアみたいな女を目の前にして、それでも何も思わないなんて、そんなことはありえない。
あれは”いい女”だ。
だけど——
俺の外見を見てみろ。
窓ガラスに映る、自分の顔を眺めてみる。
冴えない。とことん、冴えない。
髪は中途半端に伸びていて、ぼさっとした質感。
もともとは貴族の家に生まれたのだから、良い髪質のはずなのに、どこか疲れた印象を与えている。
目元はぼんやりとしていて、覇気がない。
肌も、貴族ならもっと手入れされているはずなのに、どこかくすんで見える。
頬は少しこけていて、薄暗い印象を与える。
鼻は少し低めで、顔全体に立体感がない。
“凡庸”。それも、“悪い意味での凡庸”。
どこにでもいそうなのに、誰の記憶にも残らない顔。
異世界の貴族社会の華やかさとは無縁の、“影の薄い地味な顔”。
——いや、それだけならまだいい。
ハル。いや、それ以外の奴らの顔立ちを見てみろ。
彼らは、普通に”いい顔”をしている。
ハルは、短く整えられた黒髪に、引き締まった顔立ちをしている。
目は少し鋭く、鼻筋も通っていて、適度な男らしさがある。
他の男子たちも、貴族ですらないくせに、どこか洗練された容姿をしていた。
(……マジでふざけんなよ。)
この世界は顔がいい奴らが得をする世界らしい。
いや、どこの世界でもそうだった。
前世でも、“華のある奴”が評価され、“地味な奴”は見向きもされなかった。
異世界に転生しても、それは変わらない。
そんなことを思いながら、ふと食堂の方を見やる。
——そこには、エリシアたちがいた。
彼女たちは、明るく談笑しながら片付けをしている。
赤毛のエリシア。
その隣には、黒髪のメガネ女。
「はいはい、顔得顔得。」
誰かが言った。
ふざけた調子で、軽く笑いながら。
その瞬間、俺の中で何かがガキリと軋んだ。
(……結局、そういうことだよな。)
俺は、“選ばれない側”の人間なのだ。
どの世界に行っても、結局は。
その時——名案が浮かんだ。
(……待てよ。)
ここは、魔法が存在する世界だ。
炎を操る魔法も、雷を落とす魔法も、瞬間移動する魔法もある。
だったら——
(もしかすると……いや、あるんじゃないか?)
惚れ薬。
俺の中で、ビビッと何かが繋がった。
前世では不可能だったことも、この世界なら可能かもしれない。
魔法で火を出せるのなら、魔法で”好意”を生み出すこともできるはずだ。
例えば、何かの魔法薬。
惚れ薬のようなものが、この世界のどこかに存在していても、おかしくない。
(……そうだよな?)
顔が悪いなら、“強制的に好意を抱かせる”方法を探せばいい。
俺のことを”好き”だと認識させれば、顔がどうとか関係なくなる。
この世界には、普通に”惚れ薬”がある可能性がある。
いや、あるはずだ。
(これだ……!)
今まで、俺は”選ばれる側”になれなかった。
どんなに努力しても、どんなに言葉を尽くしても、
結局、顔がいい奴らが得をしてきた。
だけど——
魔法があるなら、話は違う。
“選ばれる”必要すらない。
俺が“選ばせる側”になればいい。
俺は、無意識に口元を歪めた。
(……さて、調べるか。)
俺は、静かに惚れ薬の情報を探すことを決意した。