表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

48/49

48話 居場所のないレグナード

 路地裏には、まだ荒い息遣いが残っていた。


 オーリンズとレグナードは、互いに 鋭い視線で睨み合う。


 抑え込まれたままのレグナードは、 奥歯をギリギリと噛み締めていた。


「クソ……が……!」


 ゲナウがレグナードの腕をがっちりと掴んでいたが、次の瞬間──


 バッ!!


 レグナードは、力任せにゲナウの腕を振り払った。


「おいっ!?」


 ゲナウが驚く間もなく、レグナードは一気に駆け出す。


「待て!!」


 オーリンズが 反射的に追いかけようとする。


 しかし──


「もうやめてやれ。」


 ハルの腕が、オーリンズの肩を掴む。


「……!」


 オーリンズが振り返ると、ハルは 苦笑しながら首を振っていた。


「いじめは良くないぞ。」


 オーリンズは しばらく無言でハルを見つめたが……


 やがて、深く息を吐く。


「……はぁ……まぁ、そうだけどな。」


 レグナードの姿は、もう夜の闇の中に消えていた。



 ──夜の大通り。


 石畳を踏みしめるレグナードの 荒い息遣いが、静かな通りに響いた。


 ハァ……ハァ……ハァ……!


 胸が焼けつくように痛い。

 足は重く、まともに前を見て走れていない。


 いや、それどころか──


 もう、どこへ向かっているのかすら分からない。


 ただ、逃げるしかなかった。


 俺は……まだ終わってねぇ……!


 頭の中で、何度も何度も繰り返す。


 オーリンズの言葉が、喉の奥で鈍い痛みとなって張り付いている。

 それを振り払うように、ただ走る。


 ……だが──


「ッ……!」


 足がもつれた。


 視界が大きく揺れる。


 次の瞬間、レグナードの体が地面に叩きつけられた。


 ドサッ!!


 頬が冷たい石畳にぶつかる。


 痛い……だが、それ以上に、胸が苦しい。


(……くそが……!!)


 レグナードは歯を食いしばり、すぐに立ち上がろうとした。


 しかし、その拍子に リュックサックが大きく開いた。


 バサァッ……!


 札束が、石畳の上に無造作に散らばる。


 レグナードが持っていた”すべて”。


 金。

 それだけが、最後の頼みの綱だった。


 それなのに──


 今、その札束は 無価値な紙くずのように、冷たい石の上に転がっていた。


「……」


 手を伸ばせば、拾えた。


 たった今、ここにある金を集めれば、まだ立て直せるかもしれない。


 だが、レグナードは その場にへたり込んだまま、微動だにしなかった。


 札束を見つめる瞳は、まるで光を失っているようだった。


(何の意味がある……?)


(こんなものを拾って……俺は、何をするつもりだったんだ?)


(何を守ろうとしていた……?)


 指先が、小さく震える。


 だが、レグナードは 手を伸ばさなかった。


 バタバタバタ──ッ……!


 どこかの通行人が、足音を立てながらこちらを見ていた。


「あの男……金をばら撒いてるぞ?」


「なんだ? 盗賊か?」


 ざわざわとした視線を感じたが、レグナードは 何も聞こえていないかのように、立ち上がる。


 金に目もくれず──


 ただ、夜の闇へと走り去る。


 札束はその場に散らばったまま。


 レグナードの”最後の支え”だったはずのものが、


 今はただ、無機質に石畳の上に転がっていた。


 そしてポツ……ポツ……


 冷たいものが、頬を打った。


 ポツ……ポツポツ……


 雨だった。


 夜空に広がる黒い雲の隙間から、わずかな月光が滲む。

 その光を濁すように、雨粒がゆっくりと降り始めた。


 レグナードは、息を切らしながら立ち尽くしていた。


 体は重く、足は棒のように動かない。

 傷ついた手のひらは、泥と血にまみれ、まともに握る力すら残っていなかった。


 そして──


 何よりも、胸が苦しかった。


「……ッ」


 ついに、膝が折れる。


 バシャッ、と濡れた地面に膝をついた。


 雨が冷たい。


 レグナードは、ゆっくりと両手を天へ伸ばした。


 手のひらに、無情に雨粒が落ちる。


「……神様……」


 掠れた声が、闇夜に溶ける。


「助けてください……」


 細い声。


「僕を……元いた世界に……戻してください……!」


 誰に向けているのかも分からない。


 ただ、雨に打たれながら、レグナードは空へと叫んだ。


「今までのことは謝ります!!」


「僕が……間違っていました……!!」


「だから……だから……お願いですから……!!」


「もう僕を……!!」


「これ以上、苦しめないでください……!!」


 雨音が、すべてをかき消していく。


 レグナードの叫びは、誰にも届かない。


 この世界は、彼の懺悔を聞く耳を持たなかった。


 ただ、降りしきる雨だけが、彼の震える肩を静かに濡らし続けた。


 ──まるで、すべてを洗い流すかのように。


 ──雨が降る。


 静かに、ゆっくりと、冷たく。


 夜空を裂くこともなく、ただひっそりと、降り続ける。


 濡れた石畳に膝をつき、

 空へ伸ばした手は、虚空を掴むことすらできずに、

 ただ雨粒を受け止めるだけだった。


「助けてください……」


 誰に向けた祈りなのかも分からない。


 神か。

 運命か。

 それとも、“まだ何かある” と信じていた自分自身か。


 答えはない。


「もう僕を……これ以上、苦しめないでください……」


 声は、雨に溶けた。


 世界は、ただ黙っていた。


 慰めも、救いも、許しもない。


 ただ降る雨が、彼の頬を濡らし、

 冷たい地面が、彼の体温を奪っていく。


 すべてが遠ざかるような気がした。


 過去も、誇りも、憎しみも、願いも。


 レグナードの瞳に映る世界は、

 もう、どこにも帰る場所のないものになっていた。


 そして雨は、

 まるでそんな彼を嘲笑うように、

 あるいは、ひっそりと弔うように──


 ただ静かに降り続けた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ