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45話 エリシアとハル

 オーリンズは、教室の窓から差し込む光をぼんやりと眺めていた。


 ハインズ先生の経済学は、興味深いはずなのに、どうも今日は頭に入らない。


 ペンを指でくるくると回しながら、彼は何とはなしにノートに走り書きをする。

 だが、その手を止めたのは、後ろから飛んできた何かだった。


 ポスッ。


「……?」


 机の上に転がったのは、雑に丸められたノートの紙切れ。


 こっそりと拾い上げ、中を広げると、そこには簡単な一文が書かれていた。


「授業が終わったら、少しいいか?」


 差出人は書いていない。

 だが、こんなことをする奴は一人しかいなかった。


 オーリンズは、そっと横目で視線を向ける。


 ハルが、隣の席で微妙に口元を歪めながら、こちらを見ていた。

 ふざけたような、けれど、どこか真剣な表情。


(……なんだよ、急に。)


 オーリンズは小さくため息をついた。


 ペン先でノートをコンコンと叩きながら、ハルの方へ小さく頷く。


 ハルは、それを見て、いたずらっぽく笑った。


 その様子を見ながら、オーリンズはなんとなく嫌な予感を覚えた。


 授業の終わりが、妙に遠く感じられる。


 オーリンズは校舎裏へ向かった。


 この場所は昼間の喧騒から少し外れた、学生たちがこっそり集まるにはちょうどいい空間だった。

 そこにはすでに、神妙な顔をしたハルが立っていた。


「あれ? お前がそんな顔してるなんて珍しいな。」


 オーリンズが軽く冗談めかして言うと、ハルは少しムスッとした顔をした。


「いやいや、俺だって悩むときぐらいあるんだよ。」


「お前が悩んでるとこなんて、試験前でも見たことないけどな。」


「それは俺が天才だからだな!」


「はいはい、天才様の悩み事ってのは一体なんなんだ?」


 そんな会話をしていると、壁にもたれていたゲナウが気さくな調子で口を挟んだ。


「よーし、揃ったな。」


「お前も呼ばれてたのか?」


「いや、なんか面白そうだからついてきた。」


「また適当なことを……」


 ゲナウは適当な態度で肩をすくめた。


「それで、ハル。お前が呼び出したってことは、それなりにちゃんとした話なんだろ?」


 ゲナウが促すと、ハルは軽く息を吐いてから、ちらりとオーリンズを見た。


「……とりあえず、エリシアの誕生日なんだ。」


「……ああ。」


 オーリンズはすぐに理解した。


「それで?」


 ハルは少し言いづらそうに視線をそらす。


「実は……その……」


「付き合ってるんだろ?」


「っ!」


 ハルの目が見開かれる。


「え、お前知ってたのか!?」


「そりゃまあ、なんとなくな。」


 ゲナウが吹き出した。


「だよなー、バレバレだよな。」


「うるせぇな!! 俺は隠してたつもりだったんだぞ!!」


「隠す気があるならもうちょっとそれらしく振る舞えよ。」


「俺のどこがバレバレなんだよ!」


 オーリンズは軽く肩をすくめる。


「逆に聞きたいけど、どこがバレてないと思ってた?」


 ハルは何か反論しようとしたが、ゲナウが後ろから「まあまあ」と肩を叩く。


「で、エリシアの誕生日がどうしたんだ?」


「……いや、実は……」


 ハルは、ちょっと気まずそうに頬を掻きながら言った。


「誕生日に、ちょっとしたサプライズをしようと思っててさ。」


「サプライズ?」


「そう、みんなで何かしようと思うんだけど、オーリンズ、お前も協力してくれないか?」


 オーリンズは、ふっと笑う。


「それは別にいいけど……俺でいいのか?」


「そりゃあお前、なんだかんだで頼りになるからな!」


 ゲナウが横から「調子いいな」と笑いながら突っ込むと、ハルは「うるせぇ!」と文句を言いながら頭をかく。


「とにかく! そういうわけだ。協力してくれるか?」


 オーリンズは軽く息を吐き、頷いた。


「……まあ、悪くない話だな。」


「よっしゃ!」


 ハルは満面の笑みを浮かべる。


 ゲナウも「お前ほんとわかりやすいな」と苦笑していた。


 そんな、なんでもないような日常。


「サプライズには、やっぱりクラッカーだろう。」


 ハルが腕を組みながら、真剣な表情で言う。


「クラッカーって……普通のやつか?」


 オーリンズが問い返すと、ハルは大げさに頷いた。


「そう、あの紙吹雪がぶわーって舞うやつ! サプライズといえば定番中の定番だろ?」


「いや、まあ……確かに。」


 オーリンズは肩をすくめる。


「それだけじゃ、ちょっと物足りないんじゃないか?」


 ゲナウが壁にもたれながら、少し考えるような顔をする。


「せっかくやるなら、盛大にやりたいよな。」


「だろ? だから女子寮の連中も巻き込もうと思うんだよ。」


 ハルが自信満々に言うと、ゲナウはニヤリと笑った。


「お前、エリシアと付き合ってるってこと、もう隠す気ないのな。」


「うっ……それは……まあ……」


 ハルは少し言いづらそうにしながらも、すぐに開き直ったように言う。


「いいだろ別に! エリシアの誕生日なんだから、みんなで盛り上げてやらねぇと!」


「まあな。」


 オーリンズも苦笑しながら頷く。


「それで、具体的にどうやって仕掛けるんだ?」


「まずクラッカーを準備する。それから、女子寮の奴らにも協力を頼む。

 ほら、あいつらの中に飾り付けとか得意な奴、いるだろ?」


「確かに、寮の連中ならノリがいいし、協力してくれるかもな。」


 ゲナウが頷く。


「そうそう! んで、俺たちはエリシアをうまく誘導する係!」


「つまり、お前はクラッカーが弾けた瞬間のエリシアの顔を見てニヤつく役ってわけか。」


 オーリンズが冷ややかに言うと、ハルは「バ、バカ言え!」と顔を赤くする。


「……いや、まあちょっとは見たいけどよ。」


「隠す気ゼロだな。」


 ゲナウが笑いながら肩を叩く。


 オーリンズは、そんなやり取りを聞きながら、どこか懐かしい気持ちになっていた。


 こんな風に、バカみたいなことを真剣に考えて、くだらない話をして……


 それだけで、充分幸せだった。


(……変わらないな、こいつらは。)


 世界がどうあれ、この時間だけは確かに “今” ここにある。


 それが、なぜか妙に嬉しかった。


 オーリンズは、ふと空を見上げた。


 どこまでも青く澄んだ空── それは、前世の記憶を微かに呼び起こす。


(……俺の前世か。)


 平々凡々な会社員だった。

 朝起きて、満員電車に揺られ、無難に仕事をこなし、帰って寝る。

 それをただ、ひたすら繰り返す毎日。


 特に大きな成功を収めたわけでもないし、特別なスキルがあったわけでもない。

 まあ、しいて言えば 「そこそこのコミュ力」 くらいはあったかもしれない。


 けれど──


 ある日突然、この異世界に放り込まれた。


 最初は唖然としたし、どうすればいいのか全く分からなかった。

 日本の常識も通じないし、生活基盤なんて何もない。

 何より、“前世に戻る方法” なんてものも、まるで分からなかった。


 それでも……


 仲のいい奴らに恵まれて、本当に良かった。


 気づけば、この世界での生活が当たり前になっていた。

 戸惑いや恐怖も、少しずつ薄れていった。


 そりゃあ、最初はゲナウとは仲が悪かった。


 あいつの皮肉っぽい態度が気に食わなかったし、

 向こうも向こうで、俺を”よそ者”扱いしていた。


 何度もぶつかったし、言い合いもした。

 でも、今では……


(……まあ、なんだかんだいい奴なんだよな。)


 気づけば、肩を並べてくだらない話をするようになっていた。

 ハルも、エリシアも……


 この世界に来て 失ったものも多かったけど、得たものもあった。


 だからこそ、この世界での生活を受け入れることができた。


 そんなことをぼんやり考えていると──


「ん?」


 ゲナウが不意に視線を向けた。


「あれ……なんだ?」


 オーリンズがゲナウの視線の先を追う。


 少し離れた場所に、獣人の少女が立っていた。


 小柄な体に、長い耳。

 三毛猫のような毛並みが特徴的な──


「……誰だ、あれ?」


 ゲナウが怪訝そうに呟いた。


 オーリンズの胸に、微かに嫌な予感がよぎる。


 オーリンズはすぐに異変に気付いた。


 校舎の影に佇む小さな獣人の少女──ミィミ。


 だが、ただの迷い込んだ子どもではない。


 彼女の右手には、 鋭いナイフが握られていた。

 刃先が微かに震え、光を反射して冷たく輝いている。


 そして、さらに不穏だったのは 彼女の足元に流れる血 だった。


 ミィミの小さな足は、泥と血で汚れ、片足を庇うように震えている。

 その血は彼女自身のものなのか、それとも……


「おい……」


 ゲナウが一歩踏み出す。


「お前……何してる?」


 ミィミの耳がピクリと動く。


 彼女の目は、焦点が定まらないまま、オーリンズを見据えていた。

 そこにあるのは、恐怖か、それとも決意か。


(これは……まずい。)


 オーリンズの背中を冷たい汗が流れた。


 相手はただの少女だ。


 だが、今この場にナイフを持った状態で立っている時点で、 普通じゃない。


「……君、大丈夫か?」


 慎重に言葉を選びながら、オーリンズはゆっくりと手を広げた。


「そんなもの、持ってると危ないぞ。」


 ミィミは一瞬だけ揺らいだ。


 だが、次の瞬間──


 彼女は 鋭い動きで駆け出した。


「ッ!?」


 オーリンズは反射的に後ろへ飛び退く。


 次の瞬間、 ナイフの刃が目の前を切り裂いた。


「おいおい、マジかよ……!」


 ゲナウがすかさず身構える。


 ミィミの攻撃は素人のものではなかった。


 小柄な体でありながら、低い姿勢から鋭く跳びかかる。

 獣人特有の 俊敏な動き に、オーリンズの背筋が凍る。


(避けなきゃ死ぬ……!)


 ミィミの動きに合わせ、オーリンズはギリギリで身を捻る。


 だが──


「クッ……!」


 ミィミのナイフが、オーリンズの腕を掠めた。


 薄い切り傷から血が滲む。


「お前……!」


 ゲナウがミィミを牽制しようとするが、オーリンズは手を挙げて制した。


「待て! 迂闊に近づくな!」


「は!? こっちが刺されるかもしれねぇんだぞ!?」


「だからこそだ……!」


 ミィミは 俺だけを狙っている。


 明らかに、 殺意を向けられているのは俺だけだった。


「なんで……俺を狙う……?」


 オーリンズは息を整えながら問う。


 ミィミは、一瞬だけ瞳を揺らした。


 しかし、すぐに再びナイフを構え直す。


「ご主人様が……殺せって……」


「……ご主人様?」


 オーリンズの脳裏に、最悪の予感が過る。


(まさか……昨日の……!?)


 しかし、考える暇もなく ミィミが再び飛びかかってきた。


「ッ……!!」


 オーリンズはとっさに横へ転がり、ミィミの突進をかわす。


 彼女は、そのまま勢い余って地面に転がるが、 驚くほど素早く起き上がる。


 ナイフを持つ手は震えているが、 殺意は揺らいでいない。


「ごめんなさい……」


 小さな声が漏れる。


「でも、ご主人様が……ご主人様が……いなくなっちゃう……!」


 ミィミの目には 涙が滲んでいた。


 それでも、彼女はナイフを握る手を緩めない。


「……そんなこと、誰が言った?」


 オーリンズは低く問う。


「レグナードか?」


 ミィミの耳が、ピクリと震える。


「……そうだな。」


 オーリンズは、ゆっくりと手を伸ばした。


「それなら……俺と話そう。」


「ッ……!」


 ミィミの目が揺れる。


 しかし、次の瞬間── 彼女は躊躇なくナイフを振り上げた。


(くそ……間に合わねぇ……!)


 刃先が迫る──


「おらァ!!!」


 ゲナウの拳が ミィミの腕を弾いた。


「ッ!!」


 ミィミはナイフを落とし、その場に倒れ込む。


「……っ……」


 ミィミは倒れながらも、必死にナイフを拾おうとする。


「もういい……!」


 オーリンズは、彼女の手を押さえつけた。


「……もういいんだ……」


 ミィミは、唇を噛みしめながら、震える手を止める。


 彼女の肩が、小刻みに揺れている。


「ご主人様が……消えちゃうって……!」


 必死な声。


「だから……私が……!」


 オーリンズは、ミィミの言葉を最後まで聞かずに、 そっと彼女の頭を撫でた。


 ミィミの肩が、びくりと震える。


「……お前は悪くない。」


 ミィミは、小さく、震えた声で言った。


「……ごめんなさい……」


 その瞬間、オーリンズは確信した。


 これは、ただの刺客じゃない。

 ミィミは、レグナードに縋るしかなかった。


 そして──


 レグナードは、本当に追い詰められている。


 オーリンズは、ミィミの肩を押さえながらゆっくりと息を吐いた。


 小柄な身体は小刻みに震え、荒い息遣いが耳に届く。

 背中の傷からはまだ血が滲んでいた。


「お前……結構やられてるな……」


 オーリンズはそっとミィミの服をずらし、傷口を確認する。


 背中には、深く斬られた傷が走っていた。


「……なんでここまでして俺を殺そうとしたんだ?」


 問いかけると、ミィミは小さな声で呟いた。


「ご主人様が……消えちゃう……」


「……レグナードが、そう言ったのか?」


 ミィミは、わずかに頷く。


 オーリンズは黙り込んだ。


(レグナード……お前……)


 何がどうなっているのか、まだすべてを把握できたわけではない。

 だが、少なくともレグナードは 本気で”消える”と恐れている ということだけは分かった。


 そして、それを止めるために、ミィミがここにいる。


「……はぁ。」


 オーリンズは、大きく息を吐いた。


「おい、どうする気だ?」


 ゲナウが眉を寄せながら、落ちたナイフを拾い上げる。


「獣人が暗殺なんて、大問題だぞ。」


 それは確かにそうだ。

 この件が公になれば、ミィミは即刻捕まるだろう。


 だが、オーリンズは首を横に振った。


「許してやってほしい。」


 ゲナウが、じっとオーリンズを見つめる。


「……お前、本気か?」


「ああ。」


「こいつ、お前を殺そうとしたんだぞ?」


「分かってる。でも、見てみろよ。」


 オーリンズは、ミィミの傷口を示した。


「こんなボロボロになりながら、それでも ‘ご主人様が消えるから’ って理由で、ここまで来たんだ。」


 ゲナウは、ナイフをじっと見つめ、そして小さく舌打ちする。


「チッ……お前って、ほんとお人好しだな。」


 そう言いながらも、ゲナウはナイフをその場に投げ捨てた。


「で、どうすんだ?」


「傷を塞いでやる。」


「……は?」


「このまま放っておいたら、感染症を起こして悪化する。それに、傷の塞ぎ方次第で傷跡が残るかどうかも変わるんだ。」


 オーリンズは、ミィミの額に手を当てる。

 体温が高い……すでに発熱している可能性がある。


「ハル。」


「ん?」


「ヴォルグ先生のところから、薬を持ってきてほしい。」


「お、おう。なんでもいいのか?」


「薬の名前を言うから、頼む。」


 オーリンズは、頭の中で必要な処置を考えながら、すぐに言葉を続けた。


「アロエス軟膏、クロベラチン抽出液、それから止血剤のフェルナストル粉末……あとは抗炎症作用のあるレベナス液があれば理想だな。」


「お、おう……待ってくれ、そんな一気に言われても……」


「要は、傷を塞ぐ薬と、血を止めるもの、それから炎症を抑える薬があればいい。ヴォルグ先生に ‘傷の治療をするから最低限のものがほしい’ って言えば、何かしら用意してくれるはずだ。」


「なるほど……オッケー、すぐ持ってくる!」


 ハルは勢いよく駆け出した。


 オーリンズは、ゲナウに目を向ける。


「お前は、タオルか布を持ってこい。傷口を拭く。」


「……はいはい、まったく面倒くせぇな。」


 ゲナウはそう言いながらも、素早く動き出す。


 オーリンズは、もう一度ミィミに視線を戻した。


 彼女は、薄れた意識の中で、かすかに呟く。


「……ごめんなさい……」


「もういい。お前は……少し休め。」


 オーリンズは、そっとミィミの頭を撫でた。


 ミィミの震えは、ほんのわずかに収まった気がした。

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