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39話 報復と浄化

 ——街は、一瞬で焦土と化した。


 混乱、悲鳴、血の臭い。


「魚人を皆殺しにしろ!!!」

「あいつらが俺たちの水を!! 毒を混ぜやがった!!」


 怒り狂ったアクエルダの住民たちが、松明や刃物を手に、収容所へ押し寄せていく。


 俺はホテルのバルコニーから、それを静かに見下ろしていた。


(——始まったな。)


 惨劇の幕開けだ。


「待ってくれ!! 私たちは何もしてない!!」


 青白い鱗を持つ魚人の男が、群衆に向かって必死に叫ぶ。

 だが、その声は誰にも届かない。


「黙れ、化け物が!!」


 ガシャンッ!!!


 最初に投げ込まれたのは、火のついた瓶だった。


 収容所の木造の家屋が燃え上がる。

 炎の光が、夜の闇を赤く染めた。


「ぎゃああああ!!」


「助けて!! お願い!! 助けて!!」


 焼け焦げる鱗の臭いが、風に乗って広がる。


 人間たちは、容赦なく刃を振り下ろし、群れのように逃げ惑う魚人たちを次々と斬り伏せていく。


「殺せ!! 魚人を残らず根絶やしにしろ!!」


「あのガキも逃がすな!!」


「女を捕まえろ! 売れるぞ!!」


(——地獄絵図だな。)


 俺は、手すりに肘をつきながら、それを冷めた目で見下ろしていた。


 収容所の中でも悲鳴は止むことがない。


「お母さん!! お母さん!!」


 小さな魚人の子供が、倒れた母親の腕を揺さぶっていた。

 だが、その母親の背には、槍が何本も突き刺さっている。


「お、おい、子供だぞ!?」


「関係あるか!! あいつらが毒を混ぜたんだ!! 皆殺しだ!!」


 ザシュッ!!!


 血が飛び散った。

 子供の叫びは、そこで止まった。


「やめろ!! やめてくれ!!」


 一人の魚人の男が、仲間たちを守ろうと立ちふさがった。


 だが——


「この穢らわしい鱗を剥ぎ取ってやるよ!!」


 ザリッ……ザリッ……


 生きたまま、鱗を剥がされていく。

 魚人の男は絶叫を上げたが、それすらもすぐに声にならなくなった。


「ほら見ろ、こいつ、まだ息があるぜ!!」


「ひゃはは!! 今すぐ人間になれるかもなぁ!!」


「なぁ、もうこれ死んでるんじゃねぇか? じゃあ好きに使ってもいいよな?」


「お、おい、それはさすがに……。」


「は? 何ビビってんだ? こいつらがやったこと考えろよ。」


(——これが人間か。)


 俺は静かに目を閉じた。


 どこまでいっても、人間は人間だ。

 己の都合で殺し、己の都合で正義を振りかざす。


「あーあ……」


 気がつくと、俺はバルコニーに背を預け、空を仰いでいた。


「あーあ……」


 思わず、口から漏れた。


「魚人たち、あれだけ頑張ったのにな……。」


 俺の耳には、なおも響き続ける。


 殺される者の叫び、泣き叫ぶ子供、血を浴びて狂う人間たちの歓声。


 ……こんなにも、簡単に。


 魚人は、滅んでいくんだな。


「ふ……ザマァ見ろ!!!」


 俺は、バルコニーの手すりに拳を打ちつけながら、夜空に向かって叫んだ。


「おい、聞いてるか!? ナーシャ!!」


 風が吹き荒れ、燃え盛る収容所の炎が、俺の顔を赤く照らしていた。


「人を馬鹿にするからこうなるんだ!!」


「魚の分際で!! 俺に暴言を吐いた罰だ!!!」


「この俺が、手を差し伸べてやったってのに!!」


「助けたのは俺だぞ!? 恩知らずめ!!」


 俺の叫びは、夜の闇に吸い込まれていく。


 ナーシャが、あの世で聞いているかどうかは知らない。


 そもそも、あの世なんてあるのか?


(……いや、どうでもいいか。)


 俺は、肩を震わせながら、夜空を睨みつけた。


「ハハ……ハハハ……!!!」


 乾いた笑いが、喉から漏れた。


 眼下では収容所が燃えている。

 魚人たちの絶叫がこだまする。

 人間たちは歓喜し、血塗れの剣を掲げている。


 ——それを、俺は、ただ見下ろしていた。


(……バカだなぁ、お前ら。)


 ——ナーシャ、お前さ。


「俺のこと、軽蔑するなんて言ってたけどよ。」


「お前らの方が、よっぽど“愚か”だったんじゃねぇの?」


 俺は、笑いながら夜空に唾を吐いた。


 俺はバルコニーの手すりに寄りかかり、崩れ落ちるように座り込んだ。


 乾いた笑いは、いつの間にか消えていた。


「……くそ……」


 胸の奥から、何かが込み上げてくる。


 熱いものが、頬を伝った。


「どうして……みんな、不幸な選択ばかりするんだ……?」


 嗚咽が漏れそうになるのを、必死に堪えた。


「選ぶ道は……たくさんあったはずだろう……」


「俺は、最善を尽くしたつもりだったんだ……」


「魚人と人間の共存だって……可能だったはずなのに……」


 俺は、ぐしゃりと顔を歪めながら、膝を抱えた。


「お前たちが……大人しく人間に飼われてたら……共存だってできたんだ。」


「どうして、それを……選ばなかったんだ……」


「なんで、愚かな道ばかり選ぶんだ……」


 俺は平和を望んでいたのに。

 ただ、共に生きる道を作ろうとしただけなのに。


「……俺の何が……間違ってたんだよ……」


 ミィミが、申し訳なさそうに俺に寄り添ってきた。


「……ご主人様……」


 ミィミの温もりが、震えていた。


 俺の心が、どうしようもなく冷たくなっていく。


「……俺は……ただ、みんなが幸せになればよかっただけなのに……」


 その願いは、どうしても届かなかった。


 空は、暗いままだった。


 ミィミはそっと俺の腕にしがみつき、震える声で言った。


「ご主人様は……悪くないです……」


 俺は顔を伏せたまま、答えなかった。


「ご主人様は……ずっと頑張ってました……ミィミ、知ってます……」


 ミィミの手が、そっと俺の頬に触れた。柔らかくて、温かい手。


「ご主人様は、いつもみんなのために……考えて……動いて……それなのに……」


「なんで、こんなことに……」


 ミィミの瞳が、じわりと涙で滲む。


「魚人さんたちが……ご主人様の優しさを、ちゃんと分かってくれなかっただけなんです……」


「ご主人様は、悪くないです……」


 俺は、かすかに苦笑した。


(……そうか、俺は悪くないのか。)


 俺は……間違ってなかったんだ。


 俺は……ずっと、正しい道を選んでいたんだ。


「……ありがとう、ミィミ。」


 俺は、ミィミの頭を撫でた。


 ミィミは小さく微笑み、俺の胸にそっと額を押しつける。


「ご主人様は……優しい人です。」


 俺は、ただ静かに、ミィミの温もりを感じていた。


 俺はゆっくりと立ち上がり、夜空を見上げた。


 焦げた匂いと血の臭いが入り混じる、地獄のような街。


 だが、俺の目の前に広がるのは、次へと続く道だった。


「さて、俺もそろそろ行こう。」


 俺は馬車に乗り込み、ミィミに軽く合図を送る。


「幸い、水の貯蔵はたんまり用意してる。」


 ミィミは寂しそうに街を振り返った。


「……ご主人様、本当に行っちゃうんですか?」


「あぁ。」


 俺は、地面に散らばる血まみれの鱗を拾い上げた。


「……街にばら撒かれたコイツもな、拾って次の街で売り捌けば、それなりに金になる。」


 俺は、光にかざして鱗をじっと見つめる。


「この街の魚人どもには散々振り回されたが……まあ、一度は俺を頼ってくれた連中だ。」


「せめて、その名残くらいは、俺が活かしてやるさ。」


 ミィミはそんな俺を見て、誇らしげに微笑む。


「ご主人様は、やっぱりすごいです……!」


 俺は、静かにリュックの中に鱗をしまい込むと、手綱を握った。


「よし、行こう、ミィミ。」


 ミィミは頷き、力強く馬車を引き始める。


 遠ざかる街を背に、俺は確信していた。


(俺は、俺の道が正しい。)


(ただ、それだけわかれば十分だ。)




 ……夜が明ける前に、アクエルダの街は陥落した。


 人間とは、実に愚かな生き物だ。


 魚人を狩り尽くし、鱗を剥ぎ、収容所を焼き払った後——彼らは、今度は水の奪い合いを始めた。


 街には水がない。

 飲む水も、洗う水も、全てが失われた。


 貴族であろうと平民であろうと、結局は同じ人間。

 水なしでは生きられない。


 その混乱の様子を、俺は新聞で知った。


「はは……馬鹿な連中だ。」


 新聞の端を指で摘み、軽く揺らす。


(結局、最初から詰んでたってわけだ。)


 ミィミが引く馬車に揺られながら、俺は空を仰ぐ。


 どこまでも広がる空。

 だが、俺の心は冷め切っていた。


(魚人を排除しても、水は戻らない。)

(アクエルダは、もうじき死ぬ街だ。)


 そんなことを考えながら、馬車の揺れに身を任せる。


「……はぁ……はぁ……」


 ふと、ミィミの呼吸が荒くなっていることに気づく。


 ミィミの肩が上下に揺れ、額にはうっすらと汗が滲んでいる。


 茹だるような暑さの中、馬車を引く彼女の息遣いは、まるで小さな獣のようだった。


「……ったく。」


 俺は、帽子を深くかぶり直し、新聞を折り畳む。


 ミィミの荒い息を子守唄代わりに——


 俺は、次の街まで、一眠りすることにした。

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