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36話 植民地?

 アクエルダを離れて数時間。


 道なき道を進み、やがて辿り着いたのは——乾ききった荒野だった。


 かつては川が流れ、命を育んでいたであろう場所。


 だが、今はひび割れた大地が広がり、風が吹くたびに乾いた砂塵が舞い上がる。


「……っ、酷いな。」


 俺は思わず鼻を押さえた。


 生臭い。


 辺りには、異様な匂いが充満していた。


「……何の匂いだ?」


 ミィミが足を止め、不安そうに俺を見上げる。


「……川の匂い、じゃないな。」


「……」


 ナーシャは黙ったまま、険しい表情を浮かべていた。


 俺は馬車を降り、乾いた川の跡に沿って歩く。


 そして——


「……っ!」


 俺の視線の先に、転がる大量の死体があった。


 ——魚人たちの亡骸。


 体の表面は乾き、鱗は白く変色し、瞳は濁っていた。


 手足の先まで力なく伸び、あまりにも無残な姿をさらしている。


「くそっ……!」


 思わず、奥歯を噛み締める。


「……この匂いの正体は、これか。」


 死肉の腐敗した臭いが鼻を刺す。


 俺は袖で口を覆いながら、ナーシャを振り返った。


「……お前の仲間か?」


「……」


 ナーシャは何も言わない。


 ただ、一歩ずつ、ゆっくりと亡骸の方へ歩いていく。


「ナーシャ……」


 ミィミが心配そうに後を追う。


 ナーシャは、転がる死体のひとつに膝をついた。


 震える手で、静かにその鱗に触れる。


「……間違いない。」


 低く、絞り出すような声だった。


「ここは……アタシらの住処の入り口だよ。」


 ナーシャの言葉に、俺は周囲を見渡した。


 乾いた川底、積み重なる亡骸、そして荒涼とした大地。


 これが、かつて魚人たちが暮らしていた場所——。


(……これは、想像以上にヤバいな。)


 俺は、こみ上げる怒りを押さえながら、ナーシャの肩に手を置いた。


「……行くぞ、ナーシャ。ここで立ち止まってる場合じゃない。」


 ナーシャは目を伏せたまま、静かに頷いた。


 俺たちは、さらに奥へと進むことにした。



 水辺があった場所のすぐ近く——


 そこに、魚人たちの集落があった。


 かつては潤沢な水が流れ、恵みをもたらしていたであろうこの地も、今では荒れ果て、ひび割れた大地が広がっている。


 それでも、この場を離れずに暮らす者たちがいた。


 ボロボロの藁葺きの小屋が並び、遠巻きにこちらを見つめる魚人たちの視線が突き刺さる。


 痩せ細った大人たち。


 子供たちは親の後ろに隠れながら、警戒心をあらわにしていた。


「ナーシャ!」


 突然、年配の男が駆け寄ってきた。


 彼の鱗はくすみ、長い年月を生きてきたことを物語っている。


「無事だったか……!」


「……えぇ。」


 ナーシャは小さく頷いた。


 周囲の魚人たちも、ナーシャの姿を見て安堵する。


「で、どうだった?」


 男が尋ねる。


「……」


 ナーシャは沈黙した。


 それが答えだった。


 期待を込めた視線が、次第に暗いものへと変わっていく。


 誰かが舌打ちをし、誰かが肩を落とす。


(……最悪の報告だもんな。)


 俺は様子を見守る。


「……そっか。」


 年配の男は、それ以上何も言わなかった。


 他の魚人たちも、押し黙る。


 静かな絶望が、集落を覆う——


「でも!」


 ナーシャが顔を上げた。


「協力者を連れてきた!」


 俺の肩を叩きながら、誇らしげに言う。


「レグナードっていう、頼れる人間だ!」


 ——視線が、一斉に俺へと向けられた。


「……」


 魚人たちの目は、不信と警戒に満ちている。


 俺はそんな彼らの視線を受け止めながら、ゆっくりと口を開いた。


「初めまして。レグナードです。」


 俺は丁寧に名乗った。


「君たちの故郷を奪った人間と、君たちの間に、橋を架けたい。」


「……橋?」


「そう。」


 俺は続けた。


「今のままでは、君たちの状況は何も変わらない。人間を恨みながら滅びるか、それとも新しい未来を切り開くか——その選択肢を、俺は用意したい。」


 静寂が集落を包む。


 誰もが、俺の言葉を噛み締めるように聞いていた。


(さて、ここからが交渉の本番だな。)


 俺は、慎重に言葉を選びながら、話を続けることにした。


 族長——ナーシャの父である年老いた魚人は、俺をじっと見つめていた。


 その眼差しには、長年の経験と警戒心が滲んでいる。


「……人間の居住区を、一部、我々に明け渡す……だと?」


 低く、重い声だった。


「ええ。」


 俺は落ち着いた声で答える。


「もちろん、無償でとは言いません。こちらも交渉の余地はあります。」


「ふん、交渉……。」


 族長は、目を細めた。


「言ってみろ。」


 俺は、静かに話し始めた。


「まず、君たちはこのままでは生きていけない。」


「……」


「人間の街には水がある。そして食料もある。ここに残れば、いずれ全滅するだけです。」


「ぐ……。」


 周囲の魚人たちがざわめく。


「だが、人間は我らを受け入れるのか?」


「そこで、提案があります。」


 俺は前に一歩踏み出した。


「君たちは、ダムを作った人間たちに『移住』を持ちかけるんです。」


「移住……?」


「彼らにとって、ダムは不可欠です。つまり、水害を防ぐ手段がある限り、ダムの水を開放することはないでしょう。」


「……」


「ならば、交渉しかありません。」


 俺は続ける。


「君たちは、彼らの居住区の一部を貰う代わりに、彼らに協力するんです。」


「協力?」


「例えば、漁業です。君たちの技術を生かし、魚を安定して供給できるようになれば、人間たちも悪い顔はしないはずです。」


 族長は、腕を組んだまま沈黙した。


 周囲の魚人たちも、難しい顔をしている。


(まぁ、当然か。)


 彼らにとって、人間は“侵略者”であり、恨むべき存在だ。


 そんな相手と“共存”など、そう簡単に受け入れられる話ではない。


 だが——


「……ふむ。」


 族長が重く息を吐いた。


「それで、本当に人間は我らを受け入れるのか?」


「ええ。」


 俺は頷いた。


「少なくとも、話し合いの余地はあるでしょう。」


 族長は、しばらく考え込むように目を閉じ——


 そして、ゆっくりと頷いた。


「……わかった。」


 その言葉に、周囲の魚人たちが驚きの表情を浮かべる。


「だが、レグナードとやら。」


 族長は、俺を鋭い眼差しで見た。


「我らが、ただ人間の言いなりになって終わるとでも思うか?」


「……?」


「お前が言った通りだ。我らは居住区に押し込まれ、生きながらえることはできるだろう。」


 俺は無言で聞く。


「だが、それは“繁栄”ではない。」


「……」


「ならば、いずれは逆に彼らの住処を奪う。」


 一瞬、場の空気が変わった。


「……どういう意味です?」


 俺は慎重に尋ねた。


「簡単な話だ。」


 族長は、ニヤリと笑う。


「人間の飲み水に毒を混ぜる。」


 背筋が冷たくなるのを感じた。


「水に依存しているのは、我々だけではない。人間もまた、そうだ。」


「……」


「奴らの数が減れば、勝機は必ずある。」


 俺は、族長の顔を見つめた。


 その目は真剣だった。


「……君たちは、本気でそれをやるつもりですか?」


「当然だ。」


 族長は静かに言った。


「我らがただ受け入れられて終わるなど、そんな屈辱は耐えられん。」


「……」


 俺は、唇を噛んだ。


(これ……どっちに転ぶんだ?)


 人間側につくのか、魚人側につくのか。


 それとも——


(両方を利用するか。)


 俺は、この状況をどうやって自分の有利に持っていくかを、考え始めていた。


 遠くから、鎧の軋む音が響いてきた。


 俺はハッと顔を上げる。


「……しまった、もう来たのか。」


 乾いた風が荒野を駆け抜け、兵士たちの甲冑をキラリと光らせる。


 アクエルダの紋章を掲げた部隊が、魚人たちの住処へと押し寄せてきていた。


(……想定より早いな。)


 俺は小さく舌打ちしながら、族長の顔を伺う。


 だが、意外にも——


「ふむ……。」


 族長は、静かに兵士たちを見つめると、すっと立ち上がった。


 その動きに呼応するように、周囲の魚人たちも立ち上がる。


「……?」


 俺は眉をひそめた。


(抵抗するのか?それとも……?)


 だが、次の瞬間——


「我らは、ここで争うつもりはない。」


 族長は、そう静かに告げた。


 兵士たちが警戒する中、彼は堂々と前へと進み出る。


「おいおい、本気かよ……。」


 俺は思わず、苦笑した。


「ナーシャ……これで、一族が救われるんだ。」


 彼女は、安心しきったように息を吐く。


「あぁ、よかった……。」


(……よかった?)


 俺は、喉の奥で乾いた笑いを漏らす。


「はは……」


 そうか、よかったのか。


 この先、待っているのが “搾取” だというのに。


 彼らは何も知らない。


 今、彼らは“受け入れられた”と思っている。

 居住区が与えられ、人間と共存できると信じている。


(でもな……この世界はそんなに甘くないんだよ。)


 水源を奪われ、鱗を刈り取られ、労働力として消費される。

 彼らは、ゆっくりと、生きるための自由を失っていく。


(結局、食われる側が変わっただけだ。)


 ナーシャの無邪気な笑顔を見ながら、俺はぼんやりと考えていた。

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