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33話 圧倒的水の街

街に着いた。


目の前に広がるのは、美しく澄んだ水路が縦横無尽に走る街——「アクエルダ」。


運河の上には木造の橋がいくつも架かり、家々の間には小さな水路が張り巡らされている。


街の中心には、大きな噴水広場があり、豊かな水が途切れることなく流れ続けていた。


「はぁ……っ、はぁ……っ!」


ミィミが馬車の取っ手を握りしめながら、肩で息をしている。


その隣では、ナーシャがぐったりと倒れ込んでいた。


「おい、水だ……!」


俺は急いで近くの井戸へと駆け寄ると、備え付けのバケツを使って水を汲み上げた。


桶に溜まる冷たい水——それを両手で掬うと、迷わずミィミとナーシャにぶっかける。


「きゃっ……!?」


ミィミの耳がピクンと跳ね、ナーシャはビクッと体を震わせた。


「すまん、でもこうでもしねぇとぶっ倒れるだろ。」


俺はさらに、もう一杯汲み上げると、今度はバケツごとナーシャの頭からぶっかけた。


——すると。


「……っ! っはぁあ……!!」


ナーシャの身体がびくんと跳ね、目がカッと開く。


まるで乾ききった砂が一気に水を吸い上げるように——


ナーシャは四つん這いになり、地面にこぼれた水をガブガブと飲み始めた。


「お、おい……大丈夫かよ。」


俺の声も届かないほど、ナーシャは水を貪るように飲み続ける。


その横で、ミィミも夢中になって、地面にできた水たまりに口をつけていた。


「……はぁ、はぁ……っ。」


「……んっ……もっと……!」


二人とも、水に飢えていた。


俺はバケツを持ったまま、その様子をしばらく見ていたが——


「……良かった……。」


安堵と疲労が一気に押し寄せ、思わずその場にへたり込んだ。


「間に合った……。」


ここ、アクエルダには、水が潤沢にある。


それが、何よりの救いだった。


俺は地面に座り込んだまま、目の前で水を飲むナーシャを改めて観察した。


彼女の肌は滑らかで、ところどころ鱗が混じっている。光の加減で青や緑に輝くそれは、まるで宝石のようだった。


髪は深い群青色で、濡れることで艶が増し、背中までなめらかに流れている。

耳は人間のものよりも少し尖り、よく見ると耳の付け根にも小さな鰭のようなものがついていた。


何より目を引いたのは、彼女の瞳だった。

人間のものとは違う、金色の縦長の瞳孔——魚類や爬虫類に似たそれは、どこか冷たくも、どこか儚げな印象を与えた。


ナーシャは、俺の視線に気づいたのか、ゆっくりと顔を上げると——


「……アタシは、ナーシャ。」


そう言って、自己紹介をした。


俺は、膝の上で手を組んだまま、彼女の言葉を待った。


ナーシャは、一度視線を落とし、しばらく口を閉じたあと——


「さっき……故郷の水が枯れたって言ったけど……。」


言葉を紡ぐように、ゆっくりと話し始めた。


ナーシャは、濡れた髪をかき上げながら、じっと俺の顔を見つめた。


「……アンタも、人間だったんだな。」


「は?」


俺が思わず眉をひそめると、ナーシャは肩をすくめる。


「てっきり、獣人と一緒にいたから、アンタも亜人だとばかり思ってた。」


「……失礼な。」


俺はため息をつきながら、袖の水を払い落とした。


「俺は人間だよ。こいつはミィミ、俺の……まぁ、仲間みたいなもんだ。」


ミィミは、俺の紹介に合わせてペコリと頭を下げた。


「ご主人様はとっても優しいんですよ! ミィミを助けてくれました!」


「……ふぅん。」


ナーシャは、俺とミィミを交互に見比べながら、興味深そうに目を細めた。


「じゃあ、アンタは何者なんだ? 旅人?」


「まぁ、そんなところだな。」


俺は曖昧に返事をしながら、彼女の言葉の続きを待った。


ナーシャは、濡れた服を絞りながら、静かに言葉を紡いだ。


「……人間のアンタにいうのもアレだけど……。」


その瞳には、どこか遠くを見つめるような悲しみが宿っていた。


ナーシャは、冷めた目で俺を見つめながら静かに言った。


「……アタシは人間が嫌いだ。」


「……そうか。」


俺は、特に驚きもせずに頷いた。


「ま、助けてもらった恩はあるけどね。」


そう言うと、ナーシャは自分の肩に手をやり、指を滑らせる。


次の瞬間——


「……っ。」


ナーシャは、自分の鱗を一枚、躊躇なく引っこ抜いた。


俺は思わず目を見開いた。


「おい、そんなことして——」


「別に大したことじゃないよ。」


ナーシャは、薄く笑いながら、俺の手に鱗を置いた。


「……綺麗だな。」


俺は、思わず呟いた。


手のひらに乗せられたそれは、深い青と銀色が混じり合い、光を受けてキラキラと輝いていた。


まるで宝石みたいな——いや、宝石以上に美しい。


「魚人の鱗は高く売れるんだ。まぁ、これはほんのお礼ってことで。」


ナーシャは軽く肩をすくめる。


「……いいのか?」


「いいさ。アンタがどう使おうが、アタシには関係ないしね。」


ナーシャは、少し皮肉っぽく笑った。


「それに、人間はそういうのが好きだろ?」


俺は、鱗をじっと見つめながら、小さく笑った。


「……ああ、確かにな。」


「待てよ、これからどうするんだ?」


俺は、手のひらの鱗を見つめながらナーシャに問いかけた。


ナーシャは、俺の言葉を聞いても表情を変えずに答えた。


「決まってる。この街の人間に抗議する。」


「……抗議?」


「そうだ。ダムのせいでアタシたちの住んでいた水辺が枯れたんだ。人間どもに水の使用を抑えるように言う。」


ナーシャは強い視線を俺に向ける。


(……まぁ、当然の反応だよな。)


水がなければ生きられないのは人間も魚人も同じだ。だが、人間はそのために技術を発展させ、他者を犠牲にすることを厭わない。


この世界に来てから、俺は嫌というほどそれを見てきた。


「……だけど、それは難しいだろうな。」


俺は、ため息交じりに言った。


ナーシャが眉をひそめる。


「……どういう意味?」


「この街がダムを作ったのは、きっと街の発展のためだろう。人間が快適に暮らすために、水を管理するのは当然の流れだ。」


「だからって、アタシたちは干上がって死ぬしかないのか?」


ナーシャの声に怒りが混じる。


「いや、俺が言いたいのは……誰がアンタの話をまともに聞いてくれるかってことだよ。」


俺は視線を横に向けた。


(だって、この国では獣人のミィミですら、まともに扱われていない。)


人間と獣人の壁は、この国ではまだまだ厚い。


ましてや、魚人なんて……人間たちにとっては“異形”の存在だ。


「アンタがどれだけ正しいことを言ったとしても、奴らがそれを聞き入れる可能性は限りなく低い。」


「……でも、言わなきゃ何も変わらない!」


ナーシャは拳を握りしめる。


「そうだな……。」


俺はナーシャの意志の強さを感じながら、ゆっくりと考えた。


(どうする……?この状況を覆す手はあるのか?)


無謀な抗議が、ただの迫害に繋がるのは目に見えている。


——この街の連中に、ナーシャの話を聞かせるには……。


俺は、ゆっくりと視線を上げた。


「……なぁ、ナーシャ。」


「……何?」


「ただ抗議するだけじゃ、奴らにとっては“ただのクレーム”で終わる。おそらく、聞き流されるか、最悪、アンタは街から追い出されるだけだ。」


「……じゃあ、どうしろっていうの?」


俺は薄く笑う。


「交渉しよう。」


「交渉……?」


「人間は損得勘定で動く。何かを得られるなら、話を聞こうとする。」


俺は、ゆっくりとナーシャの肩に手を置いた。


「つまり……俺たちは、この街の連中にとって、“ダムを調整することで得られる利益”を用意すればいい。」


「……そんなもの、あるの?」


ナーシャは疑わしげに俺を見た。


「……考えてみるさ。」


俺は目を細め、街の遠くに見える大きな水路を見つめた。


(人間にとっても、ダムの水が多すぎたり、逆に少なすぎたりするのは問題になるはず……。)


(何か交渉材料があれば……この問題を解決できるかもしれない。)


俺は小さく息を吐いた。


「さて……まずは情報を集めないとな。」


俺はナーシャとミィミを連れて、街を歩きながら色々な人に話を聞いて回った。


市場の商人、酒場の店主、街角で井戸端会議をしている老婆たち、門番の兵士——。


そして、次第に見えてきた事実があった。


この街では、水害が相次いでいたということだ。


「昔は毎年のように洪水が起きてねぇ……家が流されたり、畑が全滅したりしたもんだよ。」


街の片隅で果物を売っていた老商人が、しわがれた声で語る。


「この街の人間は、毎年の水害に苦しめられていたんだ。せっかく豊かな水があるのに、それが仇になっていた。」


「なるほど……だからダムを作ったってわけか。」


俺は腕を組んで、静かに頷く。


「そうさ。」

老商人は頷きながら、店先のリンゴを布で拭いた。


「ダムができてからは、あの忌々しい洪水とは無縁になった。確かに、街の連中は水を潤沢に使えるようになったが……それは単なる副産物さ。本当の目的は、水害を防ぐことだったんだよ。」


「……。」


俺は静かに目を細める。


つまり——


この街の人間にとって、ダムはただの“贅沢のため”ではなく、“生存のため”の手段だったということだ。


(これじゃ、ナーシャの訴えは通らない……。)


水を戻せば、今度は街の人間が洪水の危機にさらされる。


「……。」


俺は後ろを振り返る。


ナーシャは腕を組んで、難しい表情を浮かべていた。


「……そういうことか。」


「……納得したか?」


「いいや、納得なんかできるもんか。」


ナーシャは忌々しげに地面を蹴る。


「人間が助かるために、アタシたちは犠牲になれってか?冗談じゃない!」


「……まぁ、そうなるよな。」


俺は、ため息をついた。


「お前たちの種族は、散り散りになったのか?」


俺は静かに尋ねた。


ナーシャはしばらく何も言わなかった。

俺の言葉をどう受け取るか、考えているようだった。


やがて、ゆっくりと口を開く。


「……いや。」


低く、静かな声だった。


「人間のお前には言いたくない。」


「……なんで?」


ナーシャは、ふっと鼻で笑った。


「言ったろ?アタシらの鱗は高く売れる。」


「……。」


「だからさ。」


ナーシャは腕を組んで、俺を見た。


「居場所がバレたら、みんな狩られるに決まってる。」


「……。」


「人間なんて、そんなものだろ。」


冷たい言葉だった。


どこか達観したようで、それでいて深い憎悪が滲んでいた。


(……それほどまでに、人間を信用していないのか。)


俺は喉を鳴らしながら、視線を逸らす。


「……つまり、ここにはもう仲間はいないってことか。」


ナーシャは俺の言葉には答えず、ただ視線を遠くへ向けた。


そこには、ゆらめく水面。

豊富な水を蓄えたダムの姿。


人間にとっては”恵みの水”。

しかしナーシャにとっては”奪われた水”。


同じものを見ても、感じるものはまるで違う。


「……。」


俺は、深く息を吐いた。


(これは、厄介な話だ。)



その日の夜——


俺はナーシャとミィミと一緒に宿を取った。


手持ちがないナーシャは、当然のように俺の金で泊まることになったが、文句を言うつもりはなかった。

こっちが勝手に連れ込んだようなものだし、どうせ宿代くらい大したことじゃない。


ただ——


「床、硬い……」


俺は木の床に転がる2人を見下ろしながら、少しだけ眉をひそめた。


ミィミは慣れた様子で丸くなって寝息を立てている。

ナーシャのほうはというと、背中を丸めて鱗を擦り合わせるようにしながら、時折小さく息を吐いていた。


(魚人って、床で寝るのは苦手なのか?)


そう思って、俺はふと彼女の鱗に触れてみた。


しっとりと冷たく、わずかに硬質な手触り。

夜の湿気を吸ったせいか、ひんやりとしていた。


ナーシャは微かに身じろぎするが、特に起きる様子もない。


俺は指で鱗の表面をなぞりながら、ぼんやりと考える。


(……俺が、そんな人間に見えるのか。)


ほんの少し、胸の奥が重たくなる。


(狩るだの、売るだの……人間なんてそんなもんだ、か。)


俺は、そっと手を離した。


目を閉じると、ナーシャの言葉が思い出される。


——居場所がバレたら、みんな狩られるに決まってる。

——人間なんて、そんなものだろ。


(そんなこと、俺がすると思ってんのかよ。)


なんとなく、少しだけ悲しくなった。


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