29話 子供達の未来
翌日——
教会の庭では、朝から静かなざわめきが広がっていた。
「レオン、準備はできたか?」
俺は、少年の肩を優しく叩いた。
「……はい、レグナードさん。」
レオンはまだ十歳にも満たない少年だった。
栗色の髪を揺らしながら、ぎゅっと拳を握っている。
「怖くないか?」
「……怖いです。でも……新しい家族ができるのなら……頑張ります。」
レオンは小さく微笑んだ。
俺の視線の先には、豪華な馬車が停まっている。
その前に立つのは、シルクの衣装を纏った富豪の男。
「君がレオンくんか。良い目をしているね。」
「……よろしくお願いします。」
そう言って、レオンは振り返ることなく馬車に乗り込んだ。
「……」
カレンは、じっとレオンの姿を見つめていた。
だが、涙はこぼさない。
(……これが、最善の選択だ。)
レオンの馬車がゆっくりと動き出し、通りの向こうへと消えていく。
——そして、その次だった。
「マリア、おいで。」
今度は、一人の少女が俺のそばにいた。
「……レグナードさん……」
彼女の瞳には、不安と期待が入り混じっていた。
「心配いらない。」
俺は、彼女の手を取って、ゆっくりと握った。
「君を迎え入れるご家族は、とても良い人たちだ。」
「……うん。」
マリアの新しい家族は、貴族階級の家だった。
この国で獣人と人間の壁を超えようとする数少ない者たち。
(……信じるしかない。)
彼女もまた、馬車へと向かう。
そして、その後ろ姿を見送るカレンは——
「……レグナードさん……」
彼女の瞳に、涙が滲んでいた。
「こうして……みんな……それぞれの道を進んでいくんですね……。」
俺は静かに頷いた。
「えぇ。みんなの幸せを祈るばかりです。」
その言葉が、どこまで本当なのか——
俺自身、わかってはいなかった。
子供たちは、毎日のように引き取り手が見つかっていった。
新しい家庭へと送り出される度に、教会の庭は少しずつ静かになっていく。
最初は涙ながらに見送っていたカレンも、次第にそれが日常の風景になっていった。
「……まさか、こんなにも早く皆の行き先が決まるなんて。」
カレンは、教会の改築計画が書かれた書類を見ながら呟いた。
(……この話も、もう必要ないな。)
俺は、窓の外を眺めた。
戦争孤児たちを迎え入れるための施設を拡充する予定だったが——
それは不要になった。
なぜなら、新しくやってくる子供たちよりも、圧倒的に“引き取り手”が現れるスピードの方が早かったからだ。
孤児たちは次々に新しい家庭へと向かう。
誰もが、嬉しそうに笑って、俺たちに感謝の言葉を残していく。
「ありがとう、レグナードさん!」
「新しいお父さんとお母さん、優しそうな人だったよ!」
「また遊びに来てもいいですか?」
(……そうか。よかったな。)
俺は微笑みながら、子供たちの背中を見送る。
カレンもまた、そんな子供たちを優しく見つめていた。
「これで、皆が幸せになれるんですね……。」
(……そうだといいな。)
俺は、心の中で小さく呟いた。
ある日、俺は荷物をまとめていた。
新しい子供たちを迎えるための準備だ。
シーツを新しくし、ベッドを並べ、机と椅子を整える。
いつもの作業のはずだった——
だが、ここ最近、教会にやってくる孤児の数は激減していた。
それもそのはず、“引き取り手”が異常な速度で現れるようになったのだから。
「……」
ベッドの並んだ部屋を見渡す。
数ヶ月前までは、ここに子供たちがあふれていた。
寝る場所を求めて押し合い、掛け布団を奪い合いながらも、どこか安心して眠る彼らの姿があった。
だが、今は違う。
空のベッドが並ぶ部屋に、静寂が広がっていた。
(……おかしいな。)
俺は思わず独り言を呟く。
(戦争は続いている。孤児の数は減るどころか、むしろ増えているはずなのに。)
なのに——なぜ、ここにはもう子供たちが来なくなったのか。
その時だった。
——コン、コン。
窓を叩く音がした。
「……?」
誰かが、外から俺を呼んでいる。
不審に思いながら窓を開けると——
「よう、お前さん。」
そこには、以前教会の借金を取り立てに来たコワモテの男がいた。
「……今度は何だよ。」
俺は眉をひそめる。
男はニヤリと笑い、ポケットから紙の束を取り出した。
「お前さんに見せたいもんがある。」
無言のまま紙を受け取る。
パラパラとめくる。
そして——
俺の指が、止まった。
「……っ!!」
そこに映っていたのは——
見覚えのある“引き取られた”子供たちの顔だった。
「……」
だが、それは笑顔の写真ではなかった。
「……これは、どういうことだ?」
俺の声が、かすかに震える。
「見世物小屋、工場の奴隷、闇競売の出品リスト……いろいろやなぁ。」
男は肩をすくめた。
「……嘘だろ……?」
「嘘つく理由があるか?」
「……」
「せや、これが“現実”や。」
俺は、唇を噛む。
「そんな……俺は、彼らが幸せになれるように——」
「はっ!」
男は鼻で笑う。
「ほんまにそう思っとったんか?」
「……」
「お前さん、最初から知っとったやろ?」
「……」
「ウチらみたいな奴らが、“善意だけ”で金を出すわけないってな。」
俺は、何も言えなかった。
男は紙束を俺の胸に押しつけると、ふっと笑った。
「……」
俺は、その場に立ち尽くした。
紙束を見つめる。
そこに映るのは、俺が見送った子供たちの顔。
「……違う……こんなはずじゃ……」
俺の手が震える。
(俺は、子供たちを売り捌いたのか?)
「……くそ……!!」
俺は、拳を壁に叩きつけた。
鈍い衝撃が走る。
それでも、この胸の中のざらついた感情は、消えなかった。
(これは、間違っている……よな?)
(俺は、子供たちを“救った”んだよな?)
だが、その答えを知る術は、もうどこにもなかった。
「……っ!」
俺は、胃の奥がせり上がる感覚に耐えきれず、思わず口元を押さえた。
だが、それでも抑えきれず——
「……げほっ、……うっ……」
胃液と共に、わずかに食べた昼食の残りが床に散る。
口の中に広がる酸味、喉を焼くような感覚。
「おいおい、大丈夫か?」
目の前から、男の呑気な声が聞こえた。
俺は、ゆっくりと顔を上げる。
「……今、なんて言った?」
「ん? 言葉のまんまやで。」
男は肩をすくめながら、ポケットに手を突っ込んだ。
「次の客は、なぁ……まぁ、大物のど変態さんや。」
「……」
「なぁに、お前さんが“いいもん”10人見繕ってくれればええだけや。簡単な仕事やろ?」
「……」
俺の喉が、かすかに引きつる。
(選べ……?)
(俺が、“選ぶ”のか……?)
「お前、少し顔色悪いで?」
男はニヤリと笑う。
「まさか、嫌やなんて言わんよなぁ?」
「……」
「お前さんが大事にしとる“教会”、ワシらが“手出ししない”のは、どういう理由か、わかっとるよな?」
「……っ」
「誤解せんといてや? ワシらかて、慈善事業に水を差すつもりはないんやで?」
男は親しげに肩をすくめながら、俺の耳元に囁く。
「せやけどな、レグナードさん——“手のひら”は、どっちにも返るんやで?」
俺は、何も言えなかった。
胃の奥が、またひっくり返りそうになる。
(……俺が、選ぶのか?)
(……この手で、10人を……?)
「……おいおい、マジで吐きそうな顔しとるやん。」
男は、そんな俺を見ておかしそうに笑った。
「……まぁ、頼んだで。」
そして、軽く手を振って、男は去っていく。
俺は、その場に立ち尽くしたまま、動けなかった。
「……」
何もかも、最悪だ。
その日、俺は広場で遊ぶ少女たちを眺めながら、一人ずつチェックをつけていった。
「……ミレイユは、うーん……不細工だからダメか。」
端で縄跳びをしている少女を見て、俺は淡々と記す。
「クラリスは……ダメか、太ってる。」
ブランコを揺らしながら笑う金髪の少女を見て、ふっと息をつく。
「アメリアは……あぁ、目つきが悪いな。」
「レティシアは……んー、ちょっと体が弱そうか。」
「ソフィアは……可愛いけど、ちょっと生意気そうだな……。」
ひとつ、またひとつと、無意識に少女たちを“振り分けて”いく。
すると、隣にいたカレンがくすくすと笑いながら言った。
「ふふっ、レグナードさん、子供たちの名前をしっかり覚えているんですね。」
俺は、一瞬だけ動きを止めた。
「……えぇ、まぁ。」
そして、少しだけ微笑みを浮かべながら答える。
「短い間でしたけどね。」
「それでも、少しでも子供たちとの時間を大事にしたくて。」
カレンは、その言葉に小さく頷いた。
「……優しいんですね。」
俺は、曖昧な笑みを浮かべながら、再び手元のリストに視線を戻した。
(……優しい、か。)
(そうだったら、どれだけよかったか。)
「ねぇ、カレンさん。」
俺は、彼女に声をかけた。
「ここだけの話なんですが……。」
カレンが振り向く。
「誰が一番、可愛くなりそうですか?」
「え……?」
一瞬、カレンは戸惑ったような表情を浮かべたが、やがて微笑みを取り戻した。
「みんな可愛いですけど……そうですねぇ。」
彼女は、広場で遊ぶ少女たちに視線を向ける。
「エリゼは将来すごく綺麗になりそうですし……。」
「ミアは、今でも十分可愛いけど、きっともっと美しくなるでしょうね。」
「リリィは笑顔がとても愛らしいですし……。」
彼女は、ひとつひとつ名前をあげていく。
俺は、カレンの言葉に軽く頷きながら、手元の紙にペンを走らせる。
(コイツも“選ぶ側”か……。)
そう思った瞬間、笑いそうになった。
(やっぱり、人間なんて結局そんなもんだよな。)
俺は、10人全員に丸をつけた。
その時だった。
「子供は、無邪気でいいですね。」
カレンが、楽しそうに笑うミィミと子供たちを見ながら呟いた。
ミィミは、少女たちと一緒に鬼ごっこをしていた。
風に揺れる三毛猫のような髪。
笑い声を響かせながら、一生懸命駆け回る姿。
(……バカみたいに騒ぎやがって。)
俺は、無意識に唇を噛んだ。
(お前らが無邪気でいられるのは、俺がすべて段取りをつけてやってるからだろうが。)
(何も知らないで、ただ笑っていられるのは、誰かが汚れ仕事をしてるからなんだよ。)
(……あぁ、ムカつく。)
(こいつら、何も知らずに“幸せ”とか思ってるんだろうな。)
俺は、微笑みながら紙を折りたたんだ。
「そうですね。」
「子供は、無邪気でいい。」
俺の声は、穏やかだった。
だが——
(……無邪気な奴ほど、俺は嫌いだ。)
数日が経った。
選ばれた10人の少女たちは、一人、また一人と引き取られていった。
「レグナードさん、見てください!」
「新しいお父さんとお母さん、とっても優しそうな人たちでした!」
「お姉ちゃんたちもいるんですって!」
少女たちは、笑顔で馬車に乗り込んでいく。
そのたびに、カレンは涙をこぼしながら彼女たちを抱きしめた。
「幸せになってね……。」
子供たちは嬉しそうに頷き、馬車の窓から手を振って去っていった。
(……あぁ、めでたいことだ。)
俺は、にこやかに見送るフリをしながら、その場を後にした。
——そして、その夜だった。
俺は教会の裏手で、例のコワモテの男と落ち合った。
「……どうだった?」
俺が訊ねると、男はニヤリと笑い、ポケットから煙草を取り出して口に咥えた。
「どえらいもんやで、あの娘ら。」
「……」
「お前にも見せてやりたいくらいやわ。」
「……」
俺は、何も言えなかった。
夜風が、ひんやりと肌を撫でる。
俺はポケットの中で拳を握った。
(……まぁ、わかってたことだ。)
(わかってたこと、なのに……。)
「……へぇ。」
俺は、努めて冷静な声を作る。
「それは……“良かった”ですね。」
男は、愉快そうに笑った。
「おうともよ。」
そして、夜の闇の中へと消えていった。
俺は、その場に立ち尽くしたまま、月を見上げた。
(俺は……何をしているんだ?)
夜の静寂が、妙に重く感じられた。
翌日——
朝の光がまだ柔らかい時間だった。
「……つまり、今月の寄付金は先月よりも増加傾向にあるわけですね?」
「えぇ、その通りです。」
俺とカレンは、教会の収支について静かに話し合っていた。
子供たちの引き取りが順調に進む中、教会の運営も盤石なものとなりつつあった。
「でも、少し気になりますね……。」
「何がです?」
「この寄付の増加……まるで“計算された”みたいに、額が一定しているんです。」
「……偶然でしょう。」
俺は微笑みながら言った。
「神の恵み、というやつですよ。」
カレンは苦笑した。
「そうですね……きっとそうなんでしょう。」
その時だった。
——バァンッ!!!
扉が勢いよく開かれた。
「……!?」
俺とカレンが驚いて扉の方を見ると——
そこにいたのは、ボロボロになった少女だった。
「……っ、エリゼ……?」
カレンが震える声で呟く。
俺は、言葉を失った。
彼女は裸足のまま、血まみれの服を引きずって立っていた。
全身は痣だらけ、髪は引き千切られたように乱れている。
顔は腫れ上がり——そして、口を開いた瞬間、俺は気づいた。
(……歯がない……。)
エリゼの口内は、真っ赤に染まっていた。
下半身からは、鮮やかな赤が流れ落ちている。
「……」
俺は、その場で凍りついた。
エリゼは、震える手で俺たちの方へ歩み寄る。
「……た、たひゅけ……」
声にならない、擦れた声。
そのまま——彼女は、床に崩れ落ちた。
——静寂。
カレンは、顔面蒼白で立ち尽くしている。
俺も、何かを言おうとしたが、喉が詰まったように声が出なかった。
(……これは……。)
(……これは……何だ……?)
現実感が、薄れていく。
俺の頭の中で、昨夜の男の言葉が蘇った。
「どえらいもんやで、あの娘ら。」
俺は、ゆっくりと拳を握った。




