27話 株式会社ラグーン教会
カレンはしばらく困惑した表情のまま沈黙していた。
だが、やがて息を整え、ゆっくりと頷いた。
「……わ、わかりました。」
彼女の声はまだ少し震えていたが、それでも確かな決意が感じられた。
「死んだ人へ恩を報いる貴方を信用します。」
その言葉を聞いた瞬間、俺は微笑みながら深く頷いた。
「ありがとうございます、カレンさん。」
俺の言葉に、彼女は驚いたように一瞬目を見開いたが、すぐに微笑みを返した。
その表情には、先ほどまでの不安や戸惑いはなく、どこか安心したような色が浮かんでいた。
(……ああ、よかった。)
俺の目は真剣そのものだった。
カレンもそれを感じ取ったのだろう。
彼女の顔には、ほっとしたような安堵の表情が浮かんでいた。
そして俺は大通りを歩きながら、さっきのコワモテの男たちを探した。
(あの連中に、もう一度話をつけないとな。)
そう考えながら通りを見渡していると——
「……いた!」
少し先、屋台の酒場でだべっている彼らの姿を見つけた。
俺はまっすぐ彼らの方へ歩いていき、大きく手を振った。
「おーい!」
男たちは、ちらっとこちらを見た。
一瞬、俺の姿を認めると同時に、酒を片手にした一人が眉をひそめた。
「……なんじゃワレ?」
不機嫌そうな目が、俺を睨みつける。
(まぁ、そりゃそうか。)
さっきは借金を返しただけで、特にいい印象を持たれているわけじゃない。
むしろ、今の俺は”借金を肩代わりした物好きな善人”か、“利用価値のありそうなカモ”くらいにしか思われていないだろう。
(……なら、うまく交渉するしかないな。)
俺は彼らの前に立ち、にこやかに微笑んだ。
「ちょっとお話ししたいことがあるんですが、いいですか?」
俺はコワモテの男たちの前で、一つ咳払いをした。
「ちょっとお話ししたいことがあるんですが、いいですか?」
男たちは不機嫌そうな表情を崩さないまま、酒を片手に俺を見つめている。
「……話? ワシらに?」
「ええ。」
俺は、にこやかに微笑んでみせた。
「貴方たちに、ラグーン教会の運営権の30%を担ってもらいたいんです。」
「……は?」
目の前の男が、片眉を上げる。
「なんや、それ。“運営権”やと?」
俺は頷き、酒場の簡素なテーブルを借りて、話を続けた。
「簡単に言えば、貴方たちには教会の経営に一部関与してもらいたいんです。」
「教会の経営? ははっ、そんなんで儲かるんか?」
「ええ、毎月の利益はしっかり還元します。」
俺は落ち着いた口調で答えた。
「もちろん、30%というのは教会の全体収入のうち、貴方たちに配分される分という意味です。」
「……つまり、儲けた金の三割がワシらのもんになるっちゅーことか?」
「そういうことです。」
男たちは顔を見合わせた。
「……待てや。」
別の男が腕を組みながら口を挟む。
「教会なんざ慈善事業やろ? 利益なんか出るんかい。」
「ええ、普通のやり方じゃ無理ですね。」
俺は静かに頷くと、言葉を続けた。
「でもその代わり——貴方方、裏社会の方々の協力が必要になります。」
「……協力?」
男たちの視線が鋭くなる。
「何をさせるつもりや?」
「簡単な話です。」
俺は、笑みを浮かべたまま続けた。
「この国の裏社会は、資金洗浄の手段を探しているはずです。」
「……!!」
男たちの表情が一変する。
「……続けろ。」
俺は、彼らの反応を確認しながら、淡々と説明を続けた。
「教会は基本的に税金がかからない。そのため、寄付金という名目で資金を流し込み、正規の収入に変換することができる。」
「……なるほどな。」
男たちは腕を組み、俺の話を黙って聞いている。
「そして、教会は慈善活動の一環として、商業活動を始めることができる。」
「商業活動……?」
「孤児院経営、食堂、診療所、教育機関……これらはすべて“合法”の名目で運営可能です。」
「……それで、どうなるんや?」
「教会の名の下に行われる事業の収益は、合法的な利益として運用できる。それを貴方たちに分配する。」
俺はゆっくりと手を広げた。
「結果、貴方たちは表向きは慈善活動に貢献しつつ、裏では安定した資金運用の場を手にすることになるんです。」
男たちは口をつぐんだまま、テーブルの上の酒をじっと見つめる。
「……で、ワシらのリスクは?」
「ほとんどありません。」
俺は即答した。
「教会という名目がある以上、国や騎士団もすぐには手を出せない。何かあったとしても、宗教の自由という盾がある。問題が発生すれば、俺が対処します。」
「……」
「貴方たちは今まで通りの仕事を続けるだけでいい。ただ、俺と教会に一部の資金を流すだけ。 その代わり、貴方たちは合法的な商業活動を持ち、定期的なリターンを受け取ることができる。」
「……」
しばらくの沈黙が流れる。
男たちは互いに顔を見合わせた。
(ここで引くか、それとも乗るか——。)
俺は彼らの判断を待った。
「……マネーロンダリングってなんや?」
男たちの一人が怪訝な顔で俺を見た。
(……げっ。)
俺は思わず顔をしかめた。
(まさか、この世界にそんな概念がないとは……。)
確かに、考えてみれば当然か。
この国の経済は中世レベルで、貨幣の流通も大雑把だ。
銀行システムも未熟で、そもそも「不正に得た金を合法化する」なんて発想すらないのかもしれない。
(……これだからバカは。)
俺は心の中で舌打ちしながら、仕方なく言葉を選ぶことにした。
「簡単に言うと、汚れた金をきれいな金にする方法です。」
「は? 金は金やろ?」
「違います。」
俺は指を一本立てる。
「例えば、お前たちが闇市で儲けた金があるとする。それをそのまま使おうとすると、出どころが怪しまれることがある。」
「……まぁ、それはあるな。」
「だが、教会に“寄付”という形で金を入れ、それを教会の活動資金として運用すればどうなる?」
「……?」
「表向きは、“善行”に使われた金になるんだよ。」
男たちはポカンとした表情を浮かべた。
「……ちょっと待てや。それってつまり……?」
「汚い金を“きれいな金”に変えるってことだ。」
「……!!」
男たちの表情が変わった。
「……マジか、それ……?」
「本当です。だから、教会に金を流せば、後からそれを報酬という形で受け取ることができる。しかも、疑われる心配なしに。」
「……すげぇな、それ。」
「だろう?」
俺は、ニヤリと笑った。
「教会を使えば、お前たちは合法的に金を動かせる。おまけに、教会の庇護があるから、騎士団や貴族連中も簡単には手を出せない。」
「……なるほどな。」
男たちはゴクリと唾を飲み込む。
「どうする? 乗るか?」
俺が問いかけると、男たちは顔を見合わせた。
「……おもろいやんけ。」
「これは……新しい“商売”やな。」
「……ええで。乗ったるわ。」
俺は満足げに頷いた。
「賢明な判断です。」
(やれやれ、説明するのに手間がかかったが……これで話はまとまったな。)
「ほな、ワレもこの“マネーロンダリング”っちゅうの、ちゃんと運用してみせぇよ。」
「ええ、もちろん。」
俺は、自信満々に言い切った。
(……まぁ、俺も実際にやるのは初めてなんだけどな。)
深夜——
教会の中は静かだった。
子供たちはすでに寝静まり、かすかに寝息の音が響いている。
ステンドグラスを通した月の光が、淡い影を床に落としていた。
その光の下、カレンは静かに祈りを捧げていた。
祭壇の前に膝をつき、両手を組み、目を閉じる。
彼女の唇が小さく動き、微かな声で祈りの言葉が紡がれていた。
——俺はそっと近づいた。
「カレンさん。」
彼女は少し驚いたように振り返る。
「……レグナードさん?」
「すみません、こんな時間に。」
「いえ……どうかしましたか?」
俺は微笑み、静かに告げる。
「商談が成立しました。」
カレンの瞳が驚きに揺れる。
「……え?」
「早ければ来月には、寄付が増えると思います。」
彼女は、一瞬言葉を失ったようだった。
「……本当に……?」
「ええ、本当です。」
俺は頷く。
「教会の運営資金は、これで安定するでしょう。借金の返済も、子供たちの食事も、教育も、全て心配いりません。」
カレンは目を見開いたまま、俺を見つめた。
「……あなた……」
彼女はそっと胸に手を当て、感極まった表情を浮かべる。
そして、涙を滲ませながら——
「……本当に、神様の使い……ですか?」
俺は驚き、思わず笑った。
「いやいや、そんな大層なものじゃないですよ。」
「でも……あなたがいなければ、この教会は……」
「俺は、ただ少し手を貸しただけです。」
俺は、穏やかに微笑む。
「誰かの役に立てるのは、気持ちがいいものですからね。」
カレンは涙を拭いながら、俺の手を取った。
「……ありがとうございます……本当に……ありがとうございます……」
俺は、ただ静かに微笑んだ。
(よかった。これで、教会も、子供たちも救われる。)
俺の中には、確かな満足感があった。
それからの俺の日々は、一変した。
朝は早く起きて、子供たちと一緒に朝食を食べる。
ミィミが給仕を手伝い、俺もできる範囲で手を貸した。
「レグナードさま、今日も遊んでくれますか?」
「ねぇねぇ、また昨日みたいに紙芝居読んでよ!」
「今日の授業、ぼくわかんなかったから教えてほしい!」
そんな風に、子供たちは俺に懐いてくる。
(……悪くないな。)
俺は、教会の庭で子供たちと駆け回った。
鬼ごっこをしたり、木登りをしたり、時には小さな子を肩車して歩いたり。
こんな風に誰かと触れ合うことなんて、俺の人生にはなかったことだ。
「レグナードさま、すごく足が速いんですね!」
「そりゃ、僕は昔営業をやってたからね。速く走るのは得意なんだ。」
「えいぎょう?」
「うん、飛び込み営業っていうんだよ。町中を走り回ってたから、足腰には自信がある。」
「すごいー!!」
子供たちはキラキラした目で俺を見上げた。
(……営業やってて良かったな。)
そんな風に、これまでの人生で思うことなんてなかったが、今は少しだけ誇らしかった。
昼間は教会で楽器を学んだ。
カレンがピアノを弾くのを見て、俺も興味を持ったからだ。
「では、まずは指の動かし方からですね。」
「……俺、こういうの初めてなんですけど。」
「大丈夫ですよ。誰でも最初は初心者です。」
カレンは優しく微笑んで、俺の手をそっと鍵盤に置いた。
最初はギクシャクしていたが、次第に指が動くようになり、簡単な旋律を弾けるようになった。
(意外と、悪くないな。)
子供たちも集まってきて、俺の演奏を聞いてくれた。
「レグナードさま、すごい!音がきれい!」
「もっと弾いてー!」
「レグナードさまって、なんでもできるんですね!」
「まぁ、何事もやってみることが大事だからね。」
俺は、どこか得意げに微笑んだ。
夕方になれば、教会の鐘が鳴る。
その音を聞きながら、俺は日課となった子供たちとのお話の時間に入る。
ミィミも、いつも俺の隣に座って熱心に話を聞いていた。
「それでね、ご主人様はその時どうしたんですか?」
「僕はね——」
そうやって、子供たちの興味を引くように話を進める。
笑い声があふれ、俺も自然と笑みを浮かべるようになった。
(……本当に、楽しい日々だ。)
(こんな穏やかな時間、俺には無縁だと思っていたのに——)
教会での日々は、俺の心を少しずつ変えていった。