26話 聖人君子を絵に描いた男
俺は、これまでの善行を淡々と語った。
ミィミという獣人の少女を助け、居場所を与えたこと。
少し前までは傭兵として、戦争で捕らえられた捕虜たちに働く場を提供してきたこと。
学園では、いじめなどの犯罪に手を染める学友を戒め、正しい道へ導こうとしたこと。
俺は誇るような口調でもなく、ただ事実として語る。
カレンは、俺の話を静かに聞いていた。
ときおり小さく頷きながら、時には少し微笑みを浮かべながら。
俺が最後の言葉を終えると、彼女は目を閉じ、一呼吸置いた。
そして——
「……素晴らしいですね。」
カレンは、ゆっくりと拍手を送った。
「貴方は本当に……正義感の強いお方なのですね。」
俺は、少しばかり驚いた。
(……まさか、ここまで素直に褒められるとはな。)
カレンは、深く俺を見つめる。
「この国では、獣人を助ける者など、ほとんどいません。」
「ましてや、戦争の捕虜に“新たな生き方”を与えるなど……。」
「学園で悪を正そうとする行動も、とても勇気のいることです。」
「貴方の行いは……本当に素晴らしい。」
ミィミが、目を輝かせながら俺を見上げる。
「ご主人様はやっぱりすごいです!!」
「……はは。」
俺は、照れ隠しのようにカップを手に取った。
(……まぁ、当然のことをしてきただけなんだけどな。)
カレンは、俺の目をじっと見ながら、穏やかに微笑む。
「貴方のような方が、この国にはもっと必要です。」
「神もきっと……貴方の行いを祝福するでしょう。」
俺は、カレンの言葉を噛み締めながら、静かに紅茶を口に運んだ。
しかし、俺は、心の奥に澱のように沈む感情を拭いきれなかった。
カレンの賛辞も、ミィミの純粋な尊敬の眼差しも、俺を満たしてはくれない。
(……だって、俺は被害者なんだ。)
俺は、あの学園で“虐げられた”側だった。
俺は、あの社会で“搾取されてきた”側だった。
俺は、あの戦場で“踏みつけにされた”側だった。
それなのに——
どうして、俺が“正義”だなんて言われなきゃいけないんだ?
俺は、紅茶のカップを見つめながら、静かに口を開いた。
「……死んだ人が、夢に出てくるんです。」
カレンの表情が、少しだけ曇った。
「……夢に?」
「はい。」
俺は、自嘲気味に笑った。
「……俺の目指している道は、本当に正しいのかなって思うんです。」
静かな沈黙が流れた。
俺の言葉の重みを、カレンは慎重に受け止めているようだった。
「正しい道……、ですか。」
カレンは、少し考えるように目を伏せた。
「……それは、貴方が今までの行いに迷いを感じているということですか?」
「……」
俺は、言葉を濁す。
「……俺は、ただ……」
「俺は、ただ……復讐をしたかっただけなんです。」
カレンの瞳が、かすかに揺れた。
「……復讐。」
「そうです。」
俺は、ゆっくりと指でカップをなぞる。
「俺は、ずっと“理不尽”な世界で生きてきた。」
「誰も俺を正しく評価しなかった。」
「俺がどれだけ頑張っても、どれだけ努力しても、周りは俺を軽く見て、馬鹿にして……。」
「でも、俺は負けなかった。」
「“見返してやろう”って思って、ここまでやってきたんです。」
俺は、カップを置いた。
「それなのに——」
「なぜ、俺は今になって夢にうなされなきゃいけないんですか?」
「なぜ、死んだ奴らが、俺の前に現れるんですか?」
カレンは、静かに俺を見つめていた。
「——それは、貴方が“人”だからです。」
俺の心臓が、ギクリと音を立てた。
「貴方は、何かを捨てきれていない。」
「だから、夢に見るのです。」
「……」
俺は、無意識に拳を握った。
(……俺は、何を捨てられていない?)
(何を……まだ、気にしている?)
そんなもの、あるわけがない。
俺は、俺を踏みにじった世界を見返してやるために生きてきた。
その結果、俺は、俺の“正義”を貫いただけだ。
——それなのに。
「……俺は……。」
言葉が、喉の奥で詰まる。
「……俺は、一体、何がしたいんでしょうね……。」
俺は、虚空を見つめながら、そう呟いた。
「ここには、そのような方が訪れます。」
カレンは穏やかに微笑んだ。
「……なら。」
俺は、静かに息を吐きながら言葉を継ぐ。
「俺も、ここにいたら……救われますか?」
カレンは少し目を見開いた。
それから、すぐに柔らかく微笑んだ。
「えぇ、きっとそうです。」
「……そう、ですか。」
俺は、紅茶の表面をじっと見つめた。
カップの中に映る自分の瞳は、どこか深い影を落としていた。
(……救い、か。)
(俺にも……そんなものがあるんだろうか。)
カレンの言葉が、どこまで本気なのかはわからない。
けれど——
俺は、その言葉を信じることにした。
ゆっくりと顔を上げ、口元に笑みを浮かべる。
「よかった。」
俺は、静かに呟いた。
「……救いは、あるのですね。」
(……本当に、そうならいいのに。)
その時だった。
——バンッ!!
扉が勢いよく弾け飛ぶように開かれた。
「おうおう、ここでええんか? ウチらの“貸したもん”返してもろてへん奴がおるんは?」
野太い声が教会内に響く。
数人の男たちがズカズカと足を踏み入れてきた。
教会の厳かな雰囲気とはまるで釣り合わない、粗野な空気をまとった連中だった。
コワモテの男が、まるでこの場にいる全員を見下ろすようにニヤリと笑う。
「ええトコやんけぇ。神様の前でしっかりお祈りしとったんか? ん〜?」
周囲の孤児たちは、怯えたように身を寄せ合う。
ミィミは俺の後ろに隠れるようにして、小さく震えていた。
「ウチらに貸したもん、ちゃんと返してから語ってくれへんか?」
男はゆっくりと歩を進めながら、挑発するように言う。
俺は、そんな連中をじっと見つめながら、静かに椅子から立ち上がった。
(……なるほど、こいつらが“来る”理由があるってことか。)
カレンは、顔色を変えずに彼らを迎え入れるような態度を取っていたが、
その手元を見ると、僅かに指が強張っていた。
「……こちらは神の家です。」
彼女は静かに言う。
「争いごとはご遠慮いただけますか?」
「おお、そらええこっちゃ。ワイらも、別に暴れたいわけちゃうねん。」
「せやけどなぁ……ウチらも“お約束”ってもんがあるんや。」
「筋を通さへん奴は、どこにおっても筋通してもらわなアカンねん。」
男たちは、嘲るようにニヤつきながら、俺をじっと見据えていた。
(……どうやら、“俺”に用があるらしいな。)
俺は、ゆっくりと息を吐きながら、カレンの前に立つ。
「で?」
俺は、男たちをまっすぐに見据えた。
「“貸したもん”ってのは……俺のことか?」
「ちゃうわボケ。」
コワモテの男は鼻で笑いながら、俺を一瞥する。
「ウチらが貸したんは、お前やのうて——そこの牧師はんや。」
「……」
俺は、ゆっくりとカレンの方を見る。
彼女は、僅かに目を伏せた。
(……何か事情があるんだな。)
男たちは、ますますニヤニヤしながら近づいてくる。
「神様に仕えとる立派なご身分やけどなぁ。」
「借りたモンは、ちゃんと返さんとアカンやろ?」
「ま、ウチらも慈悲深いしなぁ。これまで待ってたんや。」
「そろそろ回収させてもらおか?」
周囲の子供たちは、怖気づいて縮こまる。
ミィミも俺の袖をぎゅっと握りしめていた。
「……」
カレンは黙って目を伏せたままだった。
男たちは、それを見てさらに嘲笑を深める。
「なんや、急に黙ってもうて。」
「それとも、まだ払うつもりあらへんのか?」
「牧師様が、借り逃げってことは……ないよなぁ?」
——ピクッ。
カレンの肩がわずかに震えた。
(……なるほどね。)
俺は、ゆっくりと立ち上がった。
「いくら?」
男たちは、一瞬きょとんとした後、ニヤッと笑う。
「お? 払うんか?」
「ああ。」
俺は、ポケットに手を突っ込む。
「で、いくらだ?」
男は、口元を歪めながら、指を五本立てた。
「500万バベルじゃボケ。」
「……500万?」
俺は、一瞬だけ絶句した。
(……500万バベル……たったの500万バベル?)
「……」
俺は、無言で懐から札束を取り出した。
「……ほい、500万バベル。」
男たちは、一瞬きょとんとしたが、すぐに顔をしかめる。
「……は?」
「それくらい払いますよ。」
俺は、軽く肩をすくめた。
「500万バベルなんて、端金じゃないですか。」
「大の男が何人も揃って、こんなとこまで乗り込んできて、借金取りごっこですか?」
「500万バベル回収するのに……そんなに手間かけてたら、割に合わないですよ?」
俺の言葉に、男たちは微妙な表情を浮かべた。
「……あん?」
「まぁまぁ、ええやん。とりあえず回収できたんやし。」
「せやな。」
「……」
俺は、まだ俯いたままのカレンを横目に見た。
(この反応……どうにも、話はこれで終わりじゃなさそうだな。)
男たちが去った後、教会の中はしばらく静寂に包まれた。
子供たちは怯えながらも、何事もなかったかのように祈りの続きを始める。
ミィミは俺の袖を引っ張りながら、不安そうに俺を見上げていた。
俺は、目の前で小さくため息を吐くカレンに視線を向ける。
「……聞かせてもらえませんか?」
彼女は俺の言葉に、少し驚いたような顔をした。
「何のことでしょう?」
「さっきのことです。あの男たちが言っていた借金……一体どういう事情なんですか?」
カレンは少し目を伏せると、静かに語り始めた。
「この場所は、都市開発の対象になっているのです。」
「都市開発……?」
「ええ。街の拡張計画の一環で、この教会が建っているこの土地も、新たな施設を建てる予定があるそうです。」
「……つまり、立ち退きを迫られている?」
カレンは小さく頷く。
「そして……この教会には、先代の牧師が借りたまま亡くなった借金が、まだ残っているのです。」
「先代が……?」
「彼は、貧しい者たちを助けるために、多くの金を借りていました。ですが、彼は病で亡くなり、その借金はそのまま教会に残されました。」
「……」
「今回の取り立ては、その借金の一部です。ですが、実は——」
カレンは苦しそうに目を伏せた。
「まだ、その3倍ほどの額が残っています。」
「……」
俺は、拳を握りしめた。
(……都市開発、借金、そしてこの教会を守るための金か……。)
「俺に……なんとかできませんか?」
カレンは驚いたように目を見開く。
「え……?」
俺は、リュックを下ろし、その中から全ての金を取り出した。
カレンは目を見開いたまま、動けなくなる。
「……これが、俺の全財産です。」
教会の薄暗い光の下、札束がいくつも積み上げられる。
カレンの表情が、徐々に驚愕へと変わっていく。
「……信じられません……。」
俺は、一つ息を吐くと、続けた。
「ラゼルさんと、今まで貯めたお金です。」
「……」
「死んだ恩人の分もあります。」
カレンが、僅かに口を開く。
「……そんな大金を……なぜ?」
俺は、静かに微笑んだ。
「こういう使い方をした方が、きっとラゼルさんも喜ぶと思うんです。」
「……っ!」
カレンの瞳が揺れた。
次の瞬間——
彼女の目から、大粒の涙が零れ落ちる。
「……ありがとうございます……!!」
カレンは両手で顔を覆い、震えながら泣き崩れた。
その姿を見ながら、俺はただ黙って、目を伏せた。
カレンが涙を流しながら感謝の言葉を述べる中、俺は静かに手を挙げた。
「……ただし、条件があります。」
カレンは涙を拭いながら、驚いたように俺を見る。
「……条件、ですか?」
「ええ。」
俺は、積み上げた札束を指でトントンと叩いた。
「この金を差し上げるのは構いませんが、俺にも口を出させていただけないでしょうか?」
「……?」
カレンの眉が僅かに寄る。
「どういう意味でしょう?」
「簡単な話です。」
俺は椅子に腰掛け、腕を組んだ。
「このラグーン教会の運営方法にも、俺が関与するということです。」
「……!!」
カレンは驚きの表情を浮かべた。
「……しかし、教会は信仰の場です。営利目的の経営とは異なります。」
「ええ、今まではね。」
俺は微笑みながら、札束を一枚取り出し、ひらひらと宙に揺らした。
「でも、このままだといずれ潰れるでしょう? それとも、まだ借金を抱えながら細々とやっていくつもりですか?」
カレンは口を開きかけたが、言葉を失ったようだった。
(……やはり、これまで苦しんできたんだろう。)
俺はゆっくりと言葉を続ける。
「今までのやり方では、ダメだったから借金が膨れ上がったんでしょう? だったら、新しいやり方に変えるべきじゃないですか?」
「……新しい、やり方……?」
「そう。」
俺は、椅子に深く座り直し、静かに言った。
「教会運営に“株式”を導入しませんか?」
カレンの目が、驚愕と困惑で揺れる。
「か、株式……?」
「そうです。」
俺は、にっこりと微笑んだ。
「簡単に言えば、教会を“企業”として再構築する”ってことですよ。」
「……」
カレンは、俺をじっと見つめている。
その表情は、驚きと戸惑いが入り混じったものだった。




