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21話 失ったもの

 包みが宙を舞い、スネージヤの手の中に収まった。


 革の袋の中には、当面の金——それだけではなかった。


 スネージヤは、その重みを感じた瞬間、全てを悟った。


 彼女の瞳が見開かれ、肩が震える。


「——っ!」


 次の瞬間、彼女は絶叫しながらラゼルに飛びついた。


「うおっ!? おい、何——!」


 だが、ラゼルの声が終わる前に——


 ズブッ!


 重い手応え。


 ラゼルの体が硬直する。


 スネージヤの手は、包みごとラゼルの腰に押し込まれていた。


 昨日、俺が丹精込めて研いだナイフ——それが深々と、彼女の脊椎まで到達していた。


「——ッ!!」


 ラゼルの体がガクンと揺れる。


「て、めぇ……!!」


 苦悶の声とともに、ラゼルは咄嗟に剣を抜こうとする。


 だが——


「……立てねぇ……?」


 彼女はその場に崩れ落ちる。


 膝が砂に沈み、剣を支えにしながら、顔をしかめた。


「この……クソガキ……!!」


 スネージヤの手は震えていた。


「……っ、だって……だって……!」


 泣き叫ぶように、彼女はラゼルを見下ろす。


「私を……あんた達は……捨てるつもりだったんでしょう……!!」


 ラゼルは苦しげに息を吐きながら、歯を食いしばった。


「当たり前だ……お前みたいな役立たずを……飼っとく理由はねぇ……」


「……だったら!!」


 スネージヤの瞳には、恐怖と怒り、そして何より”覚悟”があった。


「私を……捨てる前に、あんたを道連れにしてやる……!!」


 ラゼルの腰に深く刺さったナイフ——

 それを握りしめながら、スネージヤは涙を流していた。


「ば、馬鹿野郎!!」


 俺は叫びながら馬車から飛び降りた。


 スネージヤはナイフを握ったまま、息を荒げて立ち尽くしている。

 ラゼルは砂の上に崩れ落ち、剣を杖のようにして必死に耐えていた。


 俺はスネージヤの肩を掴み——


 バチンッ!!!


 思い切り頬を叩いた。


「ッ……!!」


 スネージヤの体が揺らぐ。


「そんなに安易に人を傷つけるんじゃねぇ!!」


 俺は彼女の襟首を掴み、怒鳴りつける。


「てめぇの気持ちひとつで、簡単に人を刺していいと思ってんのか!?」


 スネージヤは涙を浮かべながら、必死に俺の手を振り払おうとする。


「だ、だって……私を捨てようとしたんじゃないですか……!」


「だったら何だ!? だから殺していいのか!? ふざけんな!!」


 俺は力任せに彼女の体を押し倒した。


 スネージヤの背中が砂の上に落ち、息が詰まる音がする。


「……お前なぁ……。」


 俺は彼女を睨みつけながら、深くため息をついた。


「……人を殺すことが、どれだけのことかわかってんのか。」


「……っ……。」


「俺はな……今までいろんな奴を見てきた。

 人を売る奴、殺す奴、泣き叫ぶ奴、逃げる奴。

 けどな、一番みっともないのは……“自分の行動の意味をわかってねぇ奴”なんだよ。」


 スネージヤの目が揺れる。


「お前はただの復讐で人を殺そうとした……それで何が変わる? それでお前は”自由”になれるのか?」


「……っ、わかんない……わかんないよ……!!」


 スネージヤは涙をこぼしながら叫ぶ。


「でも……でも、私は……!」


「……もういい。」


 俺は彼女を見下ろし、強く押し返す。


「お前なんか、勝手にしろ。」


 スネージヤは、その場にへたり込んだ。


 彼女の瞳は、揺らぎ、そして——


「……ッ!!」


 駆け出した。


 俺たちの元を離れ、砂煙を上げながら、彼女はただひたすらに走っていく。


 俺はその背中を見送った。


(……これでいい。)


 ラゼルの横で、俺は静かに吐息を漏らした。


 だが——問題は、ラゼルだった。


「……はは。」


 ラゼルは、苦笑しながら息を吐く。


「刺されたってのに……下半身に力が入らねぇ。」


 その言葉に、俺はラゼルの顔を見下ろした。


(……マズいな。)


 ナイフが刺さったのは腰、脊椎に達している可能性が高い。

 貫通していないのは幸いだが、出血もあるし、何より——


(動けない、か。)


 ラゼルの脚は微かに震えていたが、立とうとする意思が伝わってこない。


「おい、冗談だろ。」


 俺は思わず呟いた。


「……さぁな。」


 ラゼルは、自嘲気味に笑う。


「ただの一撃で……ここまでやられるとは思ってなかった。」


「くそ……。」


 俺は拳を握る。


「……すぐに手当てをしないと。」


 ラゼルは、ふっと笑った。


「へぇ、意外と優しいじゃねぇか。」


「バカ言うな、俺はまだお前に利用価値があると思ってるだけだ。」


「……そっか。」


 ラゼルの瞳が、少しだけ和らいだように見えた。


 俺は、すぐに馬車へと駆け寄る。


「ミィミ!! 包帯と水を持ってこい!!」


 ミィミは慌てて馬車の荷台を漁り、俺の方へ駆け寄った。


 俺はラゼルの服を引き裂き、傷口を確認する。


(深い……でも、致命傷ではない。)


 けれど、このままでは確実に動けなくなる。


「……どうすんだ?」


 ラゼルが俺を見上げる。


「俺は、まだ死ぬ気ねぇけどよ……このままじゃ、お前の足手まといになるぜ?」


 俺は、ラゼルの顔をじっと見つめた。


「……足手まといにする気はない。」


 包帯を巻きながら、俺は静かに答えた。


「お前を”使える状態”に戻してやるさ。」


 ラゼルは、くっと口角を上げた。


「そりゃ、楽しみだな。」


 俺は歯を食いしばりながら、応急処置を進めた。


 このまま放っておくわけにはいかない。


 ——俺は、“ラゼルが動ける方法”を考えなければならなかった。


 ミィミが、小さな体で一生懸命に馬車を引く。


 本来なら、こんな仕事は子供がやるものじゃない。

 だが、今はそんなことを言っている場合じゃなかった。


 俺は、馬車の荷台に横たわるラゼルの手を取る。


「……おい、大丈夫か?」


 ラゼルはかすかに笑った。


「お前が言うかよ。」


 俺は、一瞬ムッとしたが、すぐに自分の立場を思い返した。


(……まぁ、そう思うよな。)


 ついこの間まで俺は、ミィミにひったくりをさせ、スネージヤを売り飛ばそうとしていた。

 つい昨日までは、ラゼルと一緒になって人を売ってた。


 そんな俺が今、ラゼルの手を握りながら心配そうに顔を覗き込んでいる。


(……我ながら、何やってんだか。)


「……お前が”壊れる”のは、俺にとって都合が悪いんだよ。」


 俺は、ラゼルの手をぎゅっと握った。


「だから、死ぬな。」


 ラゼルは少しだけ目を細めて、俺を見た。


「……お前ってさ。」


「何だよ。」


「変な奴だな、って思ってさ。」


「……」


 俺は何も言わなかった。


 けれど、このままじゃダメなのはわかっている。


(……急がなきゃな。)


 ラゼルが”本当に壊れる前に”。


 街で一番大きな病院——とは言え、この国において”金持ちが使う医療施設”というだけで、清潔感があるわけでも、技術が進んでいるわけでもない。


 それでも、ここが一番マシだった。


 俺たちが馬車をつけると、すぐに病院の使用人らしき男たちが駆け寄ってきた。


「負傷者か?」


「ああ、刺された。腰だ。」


 俺は簡潔に説明しながら、ラゼルを慎重に荷台から降ろす。


 ミィミが心配そうに端で見ている。


 ラゼルは、ぐったりしたまま意識はあるものの、さっきから一言も喋らなくなっていた。


 運び込まれた先には、白衣を着た医師——50代くらいの痩せた男が待ち構えていた。


 だが、その顔色は芳しくなかった。


「……見せなさい。」


 医師は面倒くさそうに言いながら、ラゼルの傷を見下ろす。


 俺は一瞬だけ、嫌な予感がした。


(……この態度、まさか。)


 医師はラゼルの腰元の布を剥がし、傷口を確認する。


「……ふむ。」


「どうなんだ?」


 俺が問い詰めるように聞くと、医師は少し困ったように視線を落とした。


「これは……厄介だな。」


「何が”厄介”だ?」


 俺の言葉に、医師はゆっくりと息を吐く。


「傷の深さが、脊椎に影響を与えている可能性が高い。」


「つまり?」


「最悪の場合——」


 医師は、慎重に言葉を選ぶように続けた。


「もう歩けなくなるかもしれない。」


 その言葉が落ちた瞬間、ラゼルの瞳がかすかに揺れた。


 俺は、手を強く握りしめる。


(……おい、冗談だろ。)


 医師の表情は、まるで”決まりきったこと”のように冷淡だった。


「……は?」


 俺の頭の中で何かが切れた。


「おい、ふざけんな。」


 俺は医師の胸倉を掴み、強引に引き寄せた。


「なんとかしろよ、藪医者!!」


「ぐっ……お、落ち着きなさい!」


 医師の顔が青ざめる。


「このままじゃ歩けなくなる……? 最悪? ふざけんな、だったらその”最悪”をどうにかするのがテメェらの仕事だろうが!!」


「だ、だから、私は今説明を——」


「説明なんざいらねぇんだよ!! 治せるのか、治せないのか、それだけ答えろ!!」


 俺が叫ぶと、病院の使用人たちが慌てて俺を引き剥がそうとする。


 だが、俺は力を込めて医師の白衣を引き裂かんばかりに握り締めた。


「……っ、馬鹿を言うな!」


 医師が震える声で怒鳴る。


「私は医者だ! だが、万能じゃない! この傷は……深すぎるんだ!」


「ならどうすんだよ!? 俺は、ラゼルを歩けなくするために連れてきたんじゃねぇ!!」


「手術をしても成功率は低い……脊椎を傷つけている可能性がある以上、最悪の場合、完全に感覚を失うことだって——」


「そんなもん関係あるかよ!!」


 俺は思い切り医師を突き飛ばした。


「テメェはな、この国で”一番の病院”の医者だろうが!!」


「ぐっ……」


「助けられないって言うなら、今すぐ辞めちまえよ!! “最悪の場合”なんて言い訳を並べて、何もしねぇんだったらな!!」


 俺の声が病院中に響く。


「……っ!」


 医師は俺を睨みつけながらも、押し黙った。


(……くそが。)


 俺は、荒い息をつきながら、ラゼルの顔を見た。


 ラゼルは目を閉じていたが、その表情はどこか諦めているようにも見えた。


「……レグナード。」


 俺の名前を呼んだラゼルの声は、いつもより少しだけ弱々しかった。


「……落ち着けよ。」


「……」


「こいつの言う通り……ダメなもんは、ダメなんだろ。」


 俺は、拳を握りしめたまま、歯を食いしばる。


(……こんなの、認められるかよ。)


 俺の知っているラゼルは、いつだって堂々と、誰よりも強くて、

 そして俺にとって”使える女”だったはずだ。


 なのに——


「……っ、諦めてんじゃねぇよ。」


 俺は、声を震わせながら呟いた。


「こんなところで、終わっていいわけねぇだろ……!」


 ラゼルは、少しだけ笑った。


「……だったらさ。」


「……?」


「お前が……どうにかしてみろよ。」


 俺は、ラゼルの言葉を噛み締めるように聞いた。


「“お前”なら……どうすんだ?」


 俺は、ラゼルの瞳をじっと見つめた。


「……」


 俺は、ゆっくりと立ち上がり——


「……おい、藪医者。」


「……なんだ……?」


「金ならいくらでも出す。」


 俺は、背負っていたリュックの口を開き、札束を放り投げた。


「だから、お前は”どうにかする”んだよ。」


 医師は、床に散らばった札束を見つめた。


「俺は結果しか求めてねぇ。」


「このままラゼルが歩けなくなったら、お前を殺す。」


「だから”治せ”。」


 俺の言葉に、医師は震えながらゴクリと息を呑んだ。


 その夜、俺は宿屋の薄暗い部屋で、じっと考え込んでいた。


 ラゼルがもし、本当に歩けなくなったら——


(……アイツは、死を選ぶだろうか。)


 いや、そんなことは考えたくない。

 ラゼルは俺にとって”使える女”であり、俺が目をかけた”駒”だ。


 俺の計画はまだ続いている。

 ここで彼女を失うわけにはいかない。


(……まだ、だ。)


 俺はゆっくりと椅子から立ち上がる。


 夜更けの静寂の中、俺はそっと部屋を抜け出した。


 宿の裏手に停めてあった馬車に向かうと、ミィミが眠たげな目をこすりながら俺を待っていた。


「ご主人様……夜中に、どこへ行くのですか……?」


「ちょっとした用事だ。ミィミ、馬車を引け。」


 ミィミは少しだけ戸惑ったが、すぐに小さく頷き、手綱を握った。


 俺は荷台に乗り、夜の静寂の中を進んでいく。


 向かう先は、スネージヤと別れた野原。


 俺たちが彼女を”放った”場所。


(……生きているか?)


(いや、死んでいるかもしれない。)


 それでも、俺は確かめなければならなかった。



「……つきました。」


 ミィミの声で、俺は顔を上げた。


 月明かりに照らされた野原。


 木々の間から冷たい夜風が吹き抜ける。


(さて……)


 俺は荷台から降り、辺りを見渡す。


「……うむ。」


 いた。


 スネージヤは、飢えで死にそうになっていた。


 薄汚れたドレスは泥にまみれ、骨ばった手足が闇夜に浮かび上がる。

 髪は乱れ、頬はこけ、唇はひび割れ、目は虚ろだった。


 まるで”死”そのものが、人の形を取ったかのようだった。


 俺は彼女のすぐそばまで歩み寄る。


 スネージヤは俺の気配に気づいたのか、かすかに瞼を持ち上げた。


「……ぁ……」


 声にならない声を漏らす。


 その目には、怒りも、憎しみも、誇りもない。


 ただ、“生存本能”だけが、そこにあった。


 俺はしばらく彼女を見下ろしていたが——


「……スネージヤ。」


 そう静かに声をかけた。


 彼女は、何かを言おうと口を開くが、うまく声が出ない。


(こりゃ、相当ギリギリだな。)


 俺は軽く息を吐きながら、コートの内ポケットからパンの塊を取り出し、彼女の目の前に放った。


「……食え。」


 スネージヤの目が、かすかに動く。


 震える指が、ゆっくりとパンへ伸び——


 次の瞬間、彼女は”獣のように”食らいついた。

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