表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

12/49

12話 ミィミ

 路地裏で、俺は金を数えた。


 裸の紙幣を束ね、親指で数えながら計算する。


(……1バベル=1円、か。)


 ざっと見積もって、10万バベル。


(めちゃくちゃ入ってたな。)


 俺は、思わず鼻で笑う。


「あの貴族……普段からこんなに持ち歩いてたら、そりゃひったくりにも遭うわな。」


 小さく折りたたまれた紙幣をパラパラとめくり、適当に500バベルを抜き取る。


 そして——


「ほら。」


 俺は、隣でうずくまる少女の手を取った。

 無理やり、500バベルを握らせる。


「なんかごめん。これでパン買ってきてくれないか?」


 少女は、手の中の紙幣をじっと見つめた。


 そして——小さく、首を横に振った。


「……獣人には、何も売ってくれません。」


(……は?)


 一瞬、意味が理解できなかった。


「いや、金はあるだろ? これで買ってくればいいじゃん。」


「……でも、ダメなんです。」


 少女は、俯きながら、静かに呟く。


「獣人は、お金を持っていても、お店では売ってもらえません。」


(……マジか。)


 俺は、思わず無言で紙幣を握りしめた。


 この国の”獣人”の扱いがどれほど酷いものなのか、

 さっき広場で見た暴力的な光景から何となく察してはいた。


 けど、“商売”にまで影響があるとは思わなかった。


(つまり、こいつらは”客”ですらないってことか。)


 金を持っていたって意味がない。

 そもそも、“取引相手”としてすら認識されていない。


(……“存在しないもの”みたいな扱いかよ。)


 俺は、黙って少女の手から500バベルを抜き取る。


「じゃあ、返して。」


 少女は、何も言わずに手を引っ込めた。


 俺は、軽くため息をつく。


(……仕方ない。)


「自分で、買ってやるかぁ。」


 裸の札をズボンのポケットに突っ込み、路地裏から出ることにした。


 とりあえず、近くのパン屋に向かうか。

 こいつが食えそうなもので、一番安いものを買ってやればいい。


(……つくづく、不便な世界だな。)



「……お前、名前は?」


 俺は、パンを買い終えた後、少女に向かって尋ねた。


 少女は、俺が差し出したパンを大事そうに両手で持ち、かじりながら顔を上げた。

 琥珀色の瞳が、少し戸惑うように揺れる。


「……名前、ですか?」


「そうだよ。お前の名前だ。」


 少女は、パンをぎゅっと握りしめた。


「……わかりません。」


 俺は、一瞬言葉を失った。


(……え?)


「知らないって、どういうことだよ。」


 少女は、小さく肩をすくめた。


「生まれた時から……誰にも呼ばれたことがありませんでした。」


(……マジか。)


 俺は、思わず拳を握った。


 獣人には人権がない。

 広場でボコボコにされ、商人にすら見向きもされない。


 それだけじゃなかったのか。


 ——名前すら、ない。


(……存在を認められていないって、こういうことかよ。)


 心の中で、ズシリと重たい何かがのしかかった。


「……。」


 何か、言うべきことがあるはずだった。

 でも、言葉が出てこない。


 すると、少女は申し訳なさそうに小さく笑い、ペコリと頭を下げた。


「……助けてくれて、ありがとうございます。」


 その瞬間——


 俺の胸の奥に、何かが撃ち抜かれたような気がした。


(……クソが。)


 何なんだ、この感じ。

 さっきまで、俺はただの”実験”としてこの子を利用していた。

 それなのに——


「……しょーがない。」


 俺は、ため息をつきながら、少女の頭をポンと軽く叩いた。


「おいで、ミィミ。」


 少女は、ポカンと目を丸くする。


「……ミィミ?」


「お前の名前だよ。」


 俺は、少し照れくさくなりながら、適当に手を振った。


「名前がないってのは、落ち着かないだろ? だったら、俺がつけてやるよ。」


 少女は、目を瞬かせた。


「……ミィミ。」


 ゆっくりと、小さく呟く。


 そして——


 次の瞬間、彼女の目から涙が溢れた。


「え、ちょ……!? 何で泣くんだよ!」


 俺は、思わず狼狽える。


 少女は、パンを握ったまま、ポロポロと涙を零しながら、小さく震えていた。


「ごめんなさい……なんか……嬉しくて……。」


(……クソが。)


 俺は、目を逸らしながら、ポケットに手を突っ込んだ。


「……ま、気に入ったなら、好きにしろよ。」


 少女——いや、ミィミは、涙を拭いながら、小さく笑った。


「……はい。」


 その笑顔が、妙に眩しく感じた。


「ミィミ、あの爺さんとか行けそうだ。頼めるか?」


 俺は、路地裏から少し出たところにいる老人を指さした。


 ミィミは、一瞬だけ俺の顔を見た。

 その瞳には、不安とも恐れとも言えない感情が揺れている。


 けれど——


「……わかりました。」


 ミィミは、俺の指示に従った。


 “頼めるか?“と聞けば、ミィミは断らない。


 彼女は、ゆっくりと立ち上がると、小さな体を縮こませながら、慎重に路地裏を抜けた。

 俺は、建物の陰に身を潜め、その様子をじっと見つめる。


 ターゲットは、商人風の老人。

 白い髭をたくわえた、裕福そうな男。

 広場のベンチに座り、重そうな袋を膝に置いて、ひと休みしている。


(……行け。)


 俺は、ミィミの背中を見つめながら、心の中で命じた。


 ミィミは、一歩、また一歩と近づいていく。

 体を縮こませ、申し訳なさそうに頭を下げながら、そっと老人に近寄る。


「……あの、すみません。」


 か細い声。


 老人は、ゆっくりと顔を上げた。


「ん? なんじゃ、お前は。」


「……何か、恵んでください。」


 ミィミは、手を前に差し出しながら、震える声で言った。


 老人は、眉をひそめた。


「……獣か。」


 その一言に、俺は思わず奥歯を噛む。


(こいつもかよ。)


 この世界では、獣人は”存在しないもの”として扱われている。

 金を持っていても、店で買い物すらできない。

 ましてや、こうして物乞いをすれば——見下されるだけだ。


 老人は、大きくため息をつくと、膝の上の袋をポンと叩いた。


「悪いがな、ワシは施しをするつもりはないんじゃよ。」


「……そう、ですか。」


 ミィミは、小さく呟く。


 その瞬間——


 ミィミの手が、老人の袋に伸びた。


(よし……!)


 俺は、隠れながら小さく拳を握る。


 ターゲットは、もう警戒を解いている。

 一度、施しを拒否された相手が、まさか”奪う”とは思ってもいない。


 ミィミの手が、袋の紐にかかる。


 引っ張れ。

 一気に走れ。


 そうすれば、成功する——


「……っ!?」


 しかし——


 次の瞬間、ミィミは動きを止めた。


(……あ?)


 何をしている?

 早くしろ、引っ張れ、逃げろ。


 なのに、ミィミはなぜか動かない。


「……なぜ、お前は、そんな目をする?」


 老人が、ぼそりと呟いた。


 俺は、息を呑む。


 ミィミの顔が見えない。

 けれど、老人の表情が明らかに変わった。


(……何をしてる、ミィミ。)


 その場に固まるミィミ。

 しばしの沈黙。


 そして——


「すみません……!」


 ミィミは、掠れた声を漏らし、後ずさった。


(……なんで謝る!?)


 その瞬間、俺の胸の奥に、嫌な焦燥感が広がる。


 ミィミは、“盗らなかった”。


 ひったくるどころか、老人の前から逃げようとしている。


(やばい。)


(これ、失敗するぞ……!)


「……普段は施しはしないんだが、お腹は空いているんだろ?」


 老人は、困ったように眉をひそめながら、静かに言った。


 ミィミは、一瞬息を呑む。


 今まで、こんな言葉をかけられたことはなかった。

 獣人は”持たざる者”として扱われ、誰からも見向きもされない。

 それが、この老人は——


「……わ、私は……」


「獣人が買えるかわからないけどな。」


 老人は、ミィミの目線に合わせるように腰をかがめた。


 そして、ゆっくりと手を伸ばし——


 そっと、彼女の頭を撫でた。


(……!)


 ミィミの肩が震えた。


(……あたたかい。)


 今まで彼女が感じた”人の手”は、

 いつも殴り、払いのけ、拒絶するものだった。


 でも、この老人の手は違った。


「貴方に、神のご加護があらんことを。」


 老人は、静かにそう呟くと、

 ポケットから1000バベルの紙幣を取り出し、ミィミの手にそっと握らせた。


 そして、その紙幣と一緒に、もう一枚の紙——名刺を差し出した。


「……え?」


 ミィミは、戸惑いながら見つめた。


「困ったことがあったら、知り合いの教会に頼るといい。」


「教会……?」


「あそこなら、獣人の子もきっと良くしてくれるよ。」


 ミィミは、震える手で、1000バベルと名刺をしっかりと握りしめた。


 こんなこと、今まで一度もなかった。


 彼女が何かを言うよりも先に、老人はゆっくりと立ち上がる。


「……腹を満たせよ。」


 そう言うと、彼は背を向け、ゆっくりと歩き去っていった。


 ミィミは、彼の背中を見送りながら、

 今まで抑えていた感情が、胸の奥から溢れ出すのを感じた。


「……ありがとう、ございます……。」


 彼女の声は、かすかに震えていた。



 広場の片隅。


 夕暮れが、街を柔らかな橙色に染めている。

 行き交う人々の足音、噴水の水音、遠くから聞こえる鐘の音。


 その中で——俺は、ミィミの目の前に、1000バベルの紙幣を差し出した。


「危ないところだったね。」


 ミィミは、まだ震えながら、それをじっと見つめている。


 夕陽の光を受けて、紙幣の端がわずかに揺れた。


 1000バベル——この世界の価値に換算すれば、大した金額ではない。

 たった1000円分の価値しかないはずの、ただの紙切れ。


 だが、この紙には——異様な重みがあった。


 ミィミは、そっと両手を伸ばし、その1000バベルを受け取る。


「……」


 指先が、かすかに震えている。


(……そんなに、重いのか?)


 俺にとっては”はした金”だ。

 たった1000バベル。

 街の飲み屋で軽く酒を飲めば、すぐに消えてしまう程度の金額。


 でも——ミィミにとっては違う。


 彼女は、ずっとお金を持たない人生を生きてきた。

 いや、それどころか——「お金を持つことを許されていなかった」人生だったのだろう。


 獣人が店で買い物をすることすら許されない世界。

 そんな世界で、1000バベルの紙幣を手にすることは——


 “人として認められた証”のようなものだったのかもしれない。


「……ひっ……」


 ミィミの瞳から、また涙がこぼれた。


 俺は、ため息をつく。


「……まぁ、乾杯しよう。」


 俺は、リュックから小瓶を取り出し、彼女の手に渡す。


「ほら、さっきの続きだよ。」


 ミィミは、涙を拭いながら、そっと瓶を見つめる。


「……これ……?」


「いいから飲めよ。さっきは色々大変だったんだから。」


 しばらく戸惑った後、彼女はゆっくりと蓋を開けた。


 そして——


 ゴクリ。


 小さな喉が、静かに動く。


 風が吹いた。


 広場の噴水の水面が揺れ、遠くの鐘の音が静かに響く。


 空が、淡く染まる。


 ミィミは、目を閉じるでもなく、ぼんやりと空を見上げていた。


 さっきまで泣きじゃくっていたのに、もう涙は流れていない。


 その瞳には——ただ、空が映っているだけだった。


「……。」


(……ミィミも大変なんだな。)


 俺は、空を見上げる彼女の横顔を見ながら、静かに微笑んだ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ