山賊
透真は、商隊と共に静かな谷を進んでいたが、天気は次第に曇り、周囲の空気はまるで凝り固まったように重く、圧迫感を漂わせていた。護衛たちの表情も次第に険しくなり、武器を握りしめ、いつでも危機に対応できるよう準備を整えていた。
「皆、気を付けろ。この辺り、何かおかしい。」護衛隊長のマルクスが低い声で警告し、鋭い目つきで周囲を見渡した。
透真も山中の異変を感じ取り、隊の後方から静かに様子をうかがいながら、丹田に内力を蓄えて、いつでも対処できるようにしていた。
しばらくすると、前方から短い叫び声が聞こえ、その直後、密林から黒い影が現れ、商隊を取り囲んだ。黒装束の者たちは武器を手にし、険しい表情を浮かべており、明らかに準備された山賊の一団だった。
「荷物を渡せ。そうすれば命は助けてやる!」屈強な山賊の一人が冷たい声で言い放ち、威圧感を漂わせながら商隊を脅した。
護衛たちはすぐに馬車を守るように陣形を組み、戦闘準備に入った。透真は隊の中央に立ち、冷静に周囲を観察していた。山賊たちは装いこそまちまちだったが、動きは統制されており、訓練された様子がうかがえた。
モニカは一方で、冷静な表情を保ちながらも、目に鋭い光を宿して透真に合図を送った。透真は軽く頷き、内心で対応策を考えていた。彼は、この女性商人が危機的状況にも冷静で、こうした場面には慣れている様子に少し驚きを感じた。
耐え切れなくなったマルクスはすぐに剣を抜き、敵陣に向かって突撃した。彼の剣は風のように速く、内力もみなぎっていた。そして、そのまま屈強な山賊の一人に狙いを定め、激しい一撃を放った。
「商隊を守れ!」マルクスが高らかに叫び、護衛隊を率いて反撃に転じた。
たちまち、両軍の間で激しい戦いが繰り広げられた。剣光が閃き、殺気が交錯し、怒号が響き渡る中、透真は後方で冷静に戦況を見守り、相手の隙を見極めながら動き始めた。彼は身をひるがえし、剣を素早く振るい、瞬く間に数人の山賊を退けた。
だが、透真は不意に気付いた。山賊たちは意図的に致命的な部分を避けるように攻撃している。彼はこれに疑問を抱いた。「なぜ、彼らは致命傷を避けているのか?」
透真はこの状況に一抹の不安を覚えつつも、剣の動きを止めることなく、流れるような動きで攻撃を続けた。彼の直感が告げるには、この山賊たちには、ただの略奪以上の目的があるようだった。
その時、前方から激しい衝突音が聞こえてきた。マルクスが、あの屈強な山賊と一騎討ちを繰り広げていたのだ。その山賊は巨漢でありながらも驚くほど素早く、彼の大刀は一撃ごとに圧倒的な力を帯びていた。
マルクスは懸命に応戦し、剣を振るうたびに内力を注ぎ込んで、相手を押し返そうとしたが、その山賊の力と速さは予想を遥かに上回っていた。彼の一撃一撃は雷鳴のような重さを伴い、マルクスにとてつもない圧力をかけていた。
「この男、強すぎる……私は敵わないかもしれない!」マルクスは内心で恐れを感じた。
ついに、マルクスが一瞬の隙を見せた瞬間、大刀が横薙ぎに振り払われ、彼は地面に叩きつけられた。護衛たちはそれを見て駆け寄ろうとしたが、山賊の猛攻はますます激しくなり、阻まれてしまった。
しかし、その山賊の首領は追撃せず、武器を収め、冷たく言い放った。「お前を殺す価値はない。」
マルクスは驚き、その言葉に戸惑いを覚えた。「なぜ手を止めた?殺すつもりはないのか?」
透真もこれに気付き、その男からは殺気が感じられないことに疑問を抱いた。なぜ、今になって手加減するのか?彼らの行動には、何か隠された理由があるのだろうか。
その時、モニカが前に出て冷静に言った。「このままでは逃れられそうにありませんね。必要な物資はお渡ししますので、どうか私たちの命はお助けください。」
山賊の首領はモニカの提案に興味を示し、少しの間考えた後で頷いた。「よかろう。しかし、何か不審な動きをすれば、その時は命を奪う。」
モニカはすぐに護衛に命じて、いくつかの物資を山賊に引き渡させた。護衛たちは不本意ながらも、モニカの指示に従うしかなかった。透真はモニカの目を見つめ、彼女が単に降伏しているわけではないことを悟った。彼女には何か計画があるのだろう。
「マルクス、私の指示通りにして、山賊に物資を渡しなさい。」モニカが静かに指示した。
マルクスは頷き、大声で命じた。「全員、馬車の側に下がれ。山賊に物資を渡すんだ!」
山賊の首領は冷笑し、手下たちに物資を取りに行かせた。物資が確認されると、彼は大刀を振り上げ、「我々は撤収する!」と命じた。
しかし、山賊たちが退こうとしたその瞬間、モニカは透真に合図を送った。透真はすぐにその意図を理解し、密かに山賊たちの後を追いかけて、彼らの本拠地を探る準備をした。
山賊たちは物資を持って速やかに撤退し始めたが、透真は卓越した身のこなしで、静かに彼らを尾行した。密林をいくつも越えた先に、山賊たちはついに彼らの隠れ家である山の中腹にある山寨へと戻った。
透真はその山寨を観察した。それは簡素な造りではあるものの、守りは堅く、短期間で作られたものではないことが明らかだった。さらに奇妙なことに、そこには陰鬱な雰囲気はなく、むしろどこか哀愁に包まれていた。透真の胸中に不安が広がった。ここには、彼が思っていたよりも複雑な事情が潜んでいるようだ。
彼は隠れた場所から静かに山賊たちの動きを見守り続けた。そして、山賊の首領であるフレデリックが数人の手下と共に密談をしているのを目にした。
透真は、かすかに会話の内容を聞き取った。「……このままでは、もう続けられない。我々には、もっと長期的な計画が必要だ……」 「今、俺たちにできることはなんだ?」一人の山賊が不満げに低く呟いた。「資源が足りない。このままじゃ、生き延びることすら難しい……」
透真の疑念はさらに深まった。これらの山賊は、ただの強盗以上の何かを隠しているようだった。彼はもう少し近づいて、話の全貌を聞こうとしたが、突然背後に一陣の風を感じた。
「透真、ここには私たちの知らない事情があるようだわ。」モニカの声が耳元で囁かれた。彼女は何の音もなく透真の隣に現れ、低い声でそう告げた。
透真は心の中で驚いた。モニカがまったく気配を感じさせずに近づいたことに驚嘆し、彼女の身のこなしに感心した。この女商人は冷静で頭が切れるだけでなく、他にも多くの技術を持っているようだ。透真は、ますます彼女の神秘性に引き込まれた。モニカはまだ何か隠しているのだろうか?
「見たかしら?この山賊たちには、もっと深い理由があるわ。」モニカは、興奮を隠せない口調で続けた。
透真は頷き、「もっと情報が必要だ。彼らの本当の目的を明らかにするために。」
モニカは微笑み、目に一瞬の狡猾さを浮かべた。「私たちは、もっと深く探る必要がありそうね。」
透真は山賊たちの隊列を静かに追い、彼の身のこなしは風のように軽やかで音もなく進んだ。突然、彼はあることを思い出し、小声で尋ねた。「さっき山賊に顔を見られたが、潜入したら見破られないか?」
モニカは微笑しながら答えた。「心配しないで。そういうことには慣れているわ。」そう言うと、彼女はバッグから化粧道具を取り出し、素早く顔に塗り始めた。すぐに彼女の顔立ちは朴素になり、まるで普通の農家の女性のように見えた。
「これなら、さすがにバレないでしょう?」モニカは自信に満ちた声で言った。
透真はモニカの変装を見て、感心しながら言った。「君は本当に何でもできるんだな。こんなに早く別人になるとは。これも商人の必須スキルだとでも言うつもりかい?」
モニカは軽やかに答えた。「商人なら、どんな状況にも対応するのが基本よ。変装はその一つに過ぎないわ。」そして続けて、「時には他人に化けることで、自分を守ったり、状況を逆転させたりすることができるの。」
透真は再び頷き、周囲を見渡して警戒を強めた。山賊の隠れ家に近づくにつれ、透真はあることに気づいた。そこには山賊だけでなく、ボロボロの服を着た多くの貧民が集まっていたのだ。ここは単なる賊の隠れ家ではなく、多くの普通の民が集まる場所だった。
「ここは山賊の根城だけでなく、多くの平民も庇護を求めているようだ。」透真は小声で言った。
モニカは軽く頷いて答えた。「どうやら、彼らは戦乱や飢饉に苦しみ、行き場を失ってここにたどり着いたのかもしれないわね。」
透真はしばらく考え込み、突然閃いたように言った。「それなら、私たちは困窮した夫婦のふりをすれば、もっと自然に溶け込めるだろう。」
モニカは眉を上げ、面白そうに答えた。「その提案、悪くないわね。でも、勘違いしないでよ。本当に私の夫だと思い込まないでね。」
透真は軽く笑って言った。「安心してくれ。本気でそのつもりはないよ。」
二人は急いで粗末な衣装に着替え、モニカは短い髪を無造作に束ね、頭に古びた布を巻いた。彼女の姿はすっかり普通の村の女性のように朴素になっていた。透真は剣を隠し、まるで農夫のような見た目になった。
「これでどうかしら?」モニカは自分の装いを確かめながら尋ねた。
透真は彼女を一瞥し、満足げに頷いて言った。「君の変装は見事だ。これなら、無事に山寨に潜入してもっと情報を得られるだろう。」
その後、二人は疲れ切った難民のふりをして、庇護を求めるように行動した。透真はあえて足取りを遅くし、モニカを支えながら、妻を気遣う夫を装った。
モニカも巧みにそれに応じ、弱々しい様子を演じた。
山寨に入ると、透真とモニカは予想とは異なる雰囲気に気づいた。そこにいる平民たちはボロボロの衣服をまとっていたが、彼らの顔には恐れや絶望の表情は見られなかった。
さらに驚いたことに、山賊たちは、一般的な盗賊のような残忍さを持っておらず、むしろ平民に対してある種の思いやりを見せていた。
透真とモニカは、数人の山賊が老婦人を手伝って荷物を運び、子供たちが遊ぶ様子を気にかけているのを目撃した。別の場所では、山賊が食料を難民に分け与えており、その態度は親切とは言えないまでも、思いやりが感じられた。
モニカは透真に向かって低い声で言った。「ここの山賊たちは……私たちが想像していたのとは違うようね。」