波紋
透真は静心湖のほとりに静かに立ち、鏡のように穏やかな湖面をじっと見つめていた。その湖水は澄み切っており、遠くの山や空が鮮明に映り込んでいる。まるで天地の広大さがここに凝縮されているかのようだった。
しかし、彼の心は湖水のように静かではなかった。
この見知らぬ世界に突然飛ばされて以来、透真は困惑と焦燥に苛まれていた。なぜ自分がここに来たのか、どうやって元の世界に戻るのか、全くわからなかった。旅の途中、彼はモニカという謎めいた狡猾な商人と出会った。モニカは気品ある振る舞いと賢さ、そして掴みどころのない言動を持つ人物だった。彼女は透真に「無字天書」と呼ばれる空白の本を手渡した。
透真がそっとその天書を開くと、初めて見たときと同じように白紙のままだった。しかし、彼はその本に言葉では説明できない力が隠されているのを感じ、いつでも彼を導く準備がされているような気がした。
「どうして天書は俺をここに導いたのか?」彼は心の中で問い、自分でも気づかぬうちに不安な表情を浮かべていた。
そんなとき、近くで微かな足音が聞こえてきた。透真が顔を上げると、ルシエンがゆっくりと近づいてきていた。この森に隠れ住む達人は多くを語らないが、その一言一言が透真の胸に重く深く響くものだった。
「湖水はお前の心を映し出す。心の焦りを手放してみるべきだ。」ルシエンの声はこの湖水のように穏やかだったが、無視できない力が込められていた。
透真は視線を湖面から外し、しばし沈思した後、答えた。「おっしゃる通りです。でも、この世界に来てからというもの、心がどうしても落ち着かないんです。どうやって家に帰ればいいのかも、天書がここに導いた理由もわからないままで……。」
ルシエンは軽くうなずき、湖面を見つめながら言った。「お前は外の手がかりばかりを探し、心の声を聞こうとしていない。静心湖はお前の心を映す。執着を捨て、流れに身を任せることだ。」
透真は黙り込んだ。数日前、謎めいた人物から渡された古い玉牌と言葉が頭をよぎる。「その玉牌は、いざというときに力を発揮する。」それ以来、この言葉が透真の頭から離れず、玉牌の本当の用途に思いを巡らせていた。
彼は懐から玉牌を取り出し、古びた素朴な表面を見つめた。その感触に胸の内から得体の知れない感覚が湧き上がる。「この玉牌……本当に家に帰る道を見つけられるのか?」透真は半信半疑だった。
ルシエンは玉牌に目をやると、相変わらず穏やかな表情で言った。「その玉牌の役割は、ただ単に道を指し示すだけではない。しかるべき時に、その力を理解し、掌握する必要があるのだ。」
透真は玉牌を懐に戻し、目を閉じ、深く息を吸い込んだ。そして、心の動揺を静めることに努めた。家に帰りたいという渇望や不安を一時的に忘れ、今の感覚に集中する。微風が頬を撫で、湖水が岸辺を軽く打つ音。それらの微細な感覚が次第に彼の心の不安を和らげていった。
この瞬間、透真はこれまでの自分の心の状態を振り返った。焦り、恐れ、迷い。それらの感情は湖面のさざ波のように、彼の視界を乱し、未来への道を曇らせていた。しかし今、彼は気づき始めた。もしかしたら、家に帰る道は焦って探すものではなく、心の静けさを保ちながら見つけていくものなのかもしれない、と。




