大噓つきの末路
その日、一人の聖女が天に還った。
その周りには数えきれないほどの人々が控えており、皆一様に最も敬愛すべき聖人でありながら、それでいて最も親しみを抱いていた友人の死を嘆き悲しんだ。
直接的にしろ間接的にしろ彼女によって絶望の淵から救われた人間は国の人口に迫るほどだった。
そんな聖人の末路。
別れを惜しみ泣き続ける人々に見送られるこの上なく幸福な結末。
しかし、当の本人は魂となりながら、自分の遺体とそれに群がる人間たちを冷めた目で見つめていた。
「馬鹿じゃねえの」
生前。
十代の頃にやめてしまった刺々しい口調で呟く。
誰に対しても優しい笑顔で、語る言葉もまた温かい。
皆が聖女を母親のように愛していた。
けれど、本来の彼女の性格はそのような存在から最も遠かった。
「馬鹿ばっか」
実のところ、彼女は生来からの嘘つきだった。
人々を騙すことに喜びを感じ、それによって誰がどんな思いをしようとも気にもしない。
そんな人間だったのだ。
聖女は泣いている女性の隣まで歩いていくと鼻を鳴らして言った。
「エイミー。私、あんたの母親の代わりになってやるって言ったよね?」
幼い頃に母を亡くした孤児だった女性も今では三人の子供を持つ母親だ。
「間抜けなアンタは気づかなかっただろうけど、私はいつだってアンタの呆れるほどのお人好しさにイラついていたよ」
さらに隣で泣いている男性に舌打ちをする。
「ロベルト。私は何度もあんたの馬鹿力を褒めてやったけど、実際のところは力しかない能無しだっていつも思ってた」
老夫婦にため息をついて言う。
「ライナーにエリス。あんた達、私より十歳近く年上のくせに最後まで私のウソを見抜けなかった純粋さには反吐が出る」
まだ四つになったばかりの子供に向けて毒づく。
「アンリ。絵の才能があるなんて私の言葉を信じているみたいだけど、私には絵が上手いか下手かなんてわかんないから」
遺体の周りで泣いている人々の顔を一人一人見つめながら全員に悪口を言っていく。
全て、生前は言えなかったものばかり。
何故、こうなってしまったのか。
それは彼女がある時に最も騙しやすい人種が何か気づいたからだ。
神を信じる者達。
元々、神なんて不確かなものを信じようとする者などお人好しでありながら、自分で考えることが出来ないほどの間抜けで、そして何より愚かなほどに人を信じてしまう愚か者しかいない。
だからこそ彼女は神の名を語り苦しむ人たちに希望を与えて来た。
痛みや苦しみ、絶望に打ちのめされた人々は面白いほどに聖女の語る神の存在を信じ切った。
びっくりするほどに簡単だった。
泣きながら彼女が語る神様の祈りを必死に復唱する人々の存在は滑稽だった。
さらに喜ぶべきことに『聖女』という偶像が大きくなるにつれて、人々は疑うこともなく信じるようになっていった。
それが愉快で仕方なかった。
それが気持ちよくて仕方なかった。
彼女にとって嘘をつくのは快楽を得る手段でしかなかったから。
人が食事をして愛し合い眠るのは決してなくならない欲求であり、彼女にとってその中に誰かを騙すことがその三つの欲求の中に入り込んでいた。
ただ、それだけのことだったのだ。
聖女は遂に最後の一人に悪口を言い終わるとぐるりと泣いている人々を見つめて呟いた。
「私は神様なんて会ったことないし、見たこともない。口から出まかせを言っていただけ」
ずっと誰かに聞かせてやりたかったネタばらしを誰にも聞こえないまま吐き出す。
「あんた達が救われるかどうかなんて分かりゃしない」
そう言い切ると聖女は無意識のままに想いを口にしていた、
「ごめんね」
生まれ落ちた言葉は地面の上に無情に落ちるとやがてそよ風と共に彼方へ消えていく。
やがて聖女の意識が段々と遠くなっていく。
自分がどうなるか分からなかった。
当たり前だが彼女が生前口にしていた神が現れたりしない。
それが。
寂寥感に包まれる彼女自身を無情に包む。
消えゆく中で彼女はもう一度呟いていた。
「ごめんね」
その言葉と共に彼女は。
一人の大嘘つきは世界に同化して消えた。
語るまでもなく。
現代においてさえ神の存在は不確かである。
語るまでもなく。
そんな不確かな存在を信じている者達は未だ数多く存在する。
語るまでもなく。
そんな不確かな神を心から信じる者達は。
彼女が騙し続けていた者達と同じく『実際に』一つの形として救われている。