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あやかし日和

あやかし日和

作者: 一之瀬染子

 昼下がり。

 その日、たまたま自宅にいた藤原孝仁は簀子で昼寝をしていた。

 藤原の姓とはいえ、彼は藤原一族の末端にかじりついている程度の――それこそ本家筋の者達からは存在すら忘れられているような、下流貴族である。本来なら今頃は陰陽寮であくせく働いているのだが、物忌みと称して休暇を取っていた。

 時折吹く風はまだ肌寒いものの、腹に載せた白い狐がちょうどよい温もりを与えてくれる。

 ふと、孝仁の腹の上で微睡んでいた狐が簀子に降りて警戒するように毛を逆立てた。

「……食い物を貰えぬか?」

 しわがれた老人のような声が簀子の下から聞こえた。

 温もりが消えて目を覚ました孝仁は、寝ぼけた瞳をこする。

「……食い物を貰えぬか?」

 ふたたび声がした。

「報酬は?」

 欠伸を噛み殺しながら孝仁は聞いた。傍らの狐が小さく舌打ちをする。

「先読みをしてやろう」

 筋ばった腕が床下の影から伸びている。

 孝仁は立ち上がり、奥へ行くと握り飯を一つ手に戻ってきた。ひょいと床下を覗き込み、

「先読みはいらない。礼なら食べられる物にしてくれ」

 握り飯を放った。

 握り飯を受け取った腕は、

「落ちるぞ」

 とだけ言って消えた。

 やれやれと後ろ頭を掻いた孝仁は背後に殺気に似たものを感じて振り返る。

 ちょこんと座った白い狐の赤い瞳が非難がましく孝仁を映している。これ見よがしにため息を吐いて、

「あの手の類は放っておけといつも言うておるに」

「や、でも腹を空かせているのはかわいそうですし……」

「人が良いにもほどがある」

 ぴょんと庭に飛び下りた。

「どこに行くんです?」

「食事だ」

 孝仁を一瞥すると駆けていった。

 狐の後ろ姿を見送った孝仁は胡座をかき、先ほどの妖の言葉を思い返した。

 相手は妖、真に受けると痛い目を見る。とはいえ、落ちるなぞと言われると気になるではないか。

「難しい顔をして、どうしたのじゃ」

 庭先から声をかけられた。見ると山伏姿の子供が大きな麻袋を手に立っていた。

 子供は孝仁の顔を見て泥で汚れた手で鼻をこする。

「見ろ、筍じゃ」

 ずっしりと重たそうな袋から筍を一つ取り出して笑った。

「仙太が掘ったのですか?」

「いや、小五郎様に頂いた」

 今年はよく生えていると知ったふうに言いながら山伏姿の子供、仙太は袋を奥から出てきた千寿に渡した。

 女手のないこの屋敷で家事を引き受けてくれているのが千寿である。一見して人のようだが、額の生え際から人ではありえない突起が伸びている。本来左右一対のはずのそれは右側だけ折れていた。

 その千寿が、

「ほんに見事な筍じゃ。さっそく何か作ろう」

 麻袋の中を確認すると紅を塗ったような口端を吊り上げて笑い、いそいそと奥へ消えた。

「小五郎様はお元気でしたか?」

「ああ。あの方はいくつになってもお元気じゃ」

 簀子に腰を下ろした仙太が頷く。

「それより、ずいぶんと難しい顔をしておったが、また何か無茶な頼まれ事でもされたか?」

 孝仁は苦笑いを浮かべた。また、とは人聞きの悪い。

「違いますよ」

 仙太は疑わしそうに孝仁を睨み、ふん、と鼻を鳴らした。

「ならば良いが。何かあればワシに言うのじゃぞ」

「鳥頭に相談したところでなんの解決にもならぬわ」

 ぴくりと仙太は肩を震わせた。いつの間にか庭に白い狐が戻ってきていた。

 狐は瞬き一つで少女の姿に変わると赤い瞳で仙太を一瞥し、そのまま簀子に上がり奥へ入っていく。

「おかえりなさい。ずいぶん早かったですね」

 孝仁が言うと、少女は不機嫌そうに眉根を寄せた。

「……不猟だった」

 それで機嫌が悪いのかと納得してちらり、と仙太を盗み見る。普段から仲の悪い二人である。下手なことを言ってこれ以上機嫌を損ねないようにしなくては。

「それは残念でした。先ほど仙太が小五郎様から筍をいただいて戻りましたから、皆で食べましょうか」

「筍?」

 少女は呟くと目を細めて仙太を見た。

「はい。今、千寿が支度をしていますし、紅姫も一緒にいただきましょう」

 少しの間考える素振りをみせて少女は、

「出来た頃に参る」

 言い置いて奥へ入っていった。




 数日経って、中納言家の宴に招かれた。

 花見には遅く、蛍には早い中途半端な時季であるが、意外に多くの公達きんだちが参加していた。おのおの酒を酌み交わしたり談笑しているのを、孝仁は少し離れた場所に狸寝入りをして聞き耳をたてていた。本来こういった席に呼ばれる立場ではないことは重々承知している。それでも居心地の悪さを我慢してこの場にいるのは、上司の口利きだからだ。

 周囲の冷たい視線にたちまち帰りたくなったが、帰るわけにもいかずこうして庭の隅で寝たふりをしている。

「聞いたか、参議殿の姫君の噂を知っているか」

 公達の一人が言った。

「あの変わり者と評判の姫君だろう。参議殿も難儀なことよ」

 くつくつと笑ってもう一人が言うと、

「その姫君の女房の一人に毛色の変わった女房が居るとか。なんでも、たいそう笛が達者とのことではないか」

 別の者が応じ、口火を切った公達がぽんと扇で膝を叩いた。

「それなら知っているぞ。鬼すら魅了するほどというが、一度聞いてみたいものよ」

 寝たふりをしている孝仁は会話を続ける公達の顔を見ることはできないが、始めに切り出した公達の声には心当たりがあった。

 大納言の馬鹿息子……いや、ご子息。仕事は出来ないくせに、女性関係にはかなりの情熱を燃やしているともっぱらの噂だ。どこそこの女房とねんごろになったとか、あちらの貴族の北の方に手を出したとか、上げ出したらきりがない。

「そうだ。これからその女房の笛を聞きに行かぬか」

 さも良いことを思いついたと言わんばかりに参議の息子が提案した。

 他の公達も考える気配があり、

「それは良い」

「あわよくば姫君の姿も伺うことができるかもしれん」

 それぞれ頷いて立ち上がった。

 やれやれと息を吐いた孝仁のすぐ傍で扇を閉じる音がした。

「……まったく、あの連中はお気楽なものだ」

 小馬鹿にしたような口調に、孝仁は狸寝入りをやめて顔を上げた。

 眉根を寄せて馬鹿息子達を見送る若者は内大臣の子息、萩の少将。近衛少将の彼は、優しげな容貌で宮中でも評判であった。

「ご心配ですか?」

 と聞いたのは彼と参議の姫君がいい仲らしいということを知ってのことだ。

 萩の少将は不機嫌そうに顔をしかめて孝仁を見る。

「誰が誰の心配をすると?」

 冷たく言われて孝仁は言葉に詰まった。ひねくれ者だと聞いていたが、まさかこう返されるとは思わなかった。

「心配するのはそちらだろう。連中が九条に手を出さない保証はないと思うが」

 萩の少将は、にやりと口元に意地の悪い笑みを浮かべた。

「あの方々にその勇気はないでしょう」

「一人一人ならそうだろうが、人数がいればわからないな」

 そんなことはない、と言おうとして、孝仁は言葉を飲み込んだ。かわりににこやかに笑みを浮かべて、

「姫君のご様子を見に行きたいけれど、ご自身が行かれるのは具合が悪いから私に行ってもらいたいのですか。それなら考えなくもないですね」

 萩の少将は目を見開き、扇を取り落とした。

「なっ……ち、ちが…」

「隠さないでもよろしいですよ」

「ち、違うっ。断じて心配などっ」

 顔を真っ赤にさせて反論しようとする萩の少将を見て、予想以上の効果に孝仁は少し可哀想になった。

 萩の少将と会話をする際には言葉の裏を読むように、とは姫君付きの女房、九条からの忠告だったが、常にこのような接し方だとひねくれるのも仕方ないような気になる。

「どちらにしろ行くつもりですので、姫君のご様子も見て参りましょうか」

「こ、こらっ。勘違いをしたまま逃げるな!」

 声を荒げる少将に、では、と会釈をして孝仁は宴から抜け出した。

 屋敷を出るとしっとりとした闇の世界。明かりがなければしり込みするような漆黒の中を孝仁はためらうことなく歩いていく。その前方、狐火を手に先導するように紅姫がいた。

 ふと紅姫は足を止め、右側を顎で示した。参議の屋敷である。

 路に向かって門があるが、そこから少し離れた場所に牛車が停まっている。

 紅姫の狐火があるのと、夜目がきくのとで孝仁には牛車が見えるが、向こうからは孝仁はおろか狐火すら認識出来ないだろう。

 牛車の中に人の気配はない。屋敷の周りをぐるりと巡り、母屋の東側にあたる方向に目的の人間を見つけた。馬鹿息子が三人集まって塀越しに屋敷を伺っている。

 孝仁はそっと息を吐いた。

 見つけたはいいが、さてこれからどうしたものか。 下手に出て行っても警戒されるだけだ。

「孝仁」

 紅姫が呼んだ。

「無理のない出方を教えてやろう」

「……はい?」

 闇の中で赤い瞳を輝かせて紅姫は、

「天狗を呼べ」

 滅多に見せない笑みを浮かべた。




 ごう、と突然の強風に、参議の屋敷を伺っていた三人は煽られて倒れた。

「うわっ」

「わああっ」

「ば、化け物!?」

 見上げた三人の視線は、空中で留まった。闇の中にあってすらぼんやりと浮かび上がって見える影は、翼を持つ人の形をしている。

 影がばさりと翼をはためかせると、ふたたび突風が襲った。

 立ち上がる間もなく、地面に伏せた格好の三人に向かって、さも今駆け付けたように装った孝仁が声をかけた。

「大丈夫ですか?」

「ば、化け物が……」

 がたがたと震えながら中空を指差す。

 孝仁はともすれば弛む口元を引き締めて、しかつめらしい表情で頷いた。

「妖退治の途中で逃げられたのです」

 しかし、と難しい顔をする。

「予想以上に妖の力が強く、私一人では難しく。何か封じの助けになるものがあれば……」

 そこでふと大納言の息子に視線をとめた。

「失礼ですが、懐に持っていらっしゃるものを見せていただいても?」

「い、いや、これは……」

 体を震わせて大納言の息子は一歩後ずさった。

「いかがされた」

「どうでも良いが、早くあれを退治てくれ」

「いや、これは……」

 口ごもる大納言の息子に追い打ちをかけるように影は三度風を起こした。

「お願い致します。どうかお貸しください」

「しかし…」

「陰陽師殿の言うとおりにしたほうがよいのではないか」

「そうだ。妖に喰われてはどうしようもない」

「うぬぅ……」

 二人に詰め寄られて大納言の息子はしぶしぶ懐から紙を取り出した。何の変哲もない紙は丁寧に折ってあり、開くと黒い糸が入っていた。

「お借りします」

 一言断っておいて、孝仁は妖に向き直ると小さく呪を唱える。そして紙に火をつけ妖に投げ付けた。

「ぎゃあっ!」

 妖は炎に巻かれて落下した。

 孝仁は呪符を取り出し妖に近付くと、ぺたりと呪符を貼った。三人の公達は少し離れた場所からおっかなびっくり眺めている。

「もう大丈夫です。お騒がせして申し訳ありませんでした」

 孝仁の言葉が終わるより先に三人の公達は逃げていった。

「上手くいったであろ」

 傍らに仄白い狐火が現れ言った。

「何が上手くいったじゃ。さっさとこれを取らんか!」

 力ない声で仙太が抗議する。炎どころか焦げた様子も見当たらないが、問題は孝仁が貼った呪符らしい。

「本物を使ったのか?」

「はい。手持ちがそれしかなかったもので」

 呪符を外しながら孝仁が申し訳なさそうに仙太の頭を撫でた。

 その手を払いのける気力さえないらしく、仙太は眉を寄せて大人しくしている。

「……まったく、いい迷惑じゃ」

「でも本当に助かりました。目的の物も処理できましたし」

「ふんっ」

 そもそもの発端は、大納言の馬鹿息子が身分ある姫君に言い寄ったところにあった。姫君は馬鹿息子になびくどころか見向きもしなかったのだが、馬鹿息子にはそれが面白くない。姫君付きの女房を丸め込んで姫君の髪の毛を手に入れ、まじないに使った。

 当の姫君はまじないの効果かこのところ体調が思わしくなく、後悔した女房が主を通して孝仁に姫君の髪の毛の処理依頼をしたのだ。

 それにしても悪趣味なことをするものだとため息を吐いた孝仁の耳に、笛の音が聞こえてきた。高く低く透き通った音が闇の中を染み渡るように響く。

 ほう、と紅姫が感嘆のため息を吐いた。

「いつもながら、見事な笛よの」

「まったく。鬼すら魅了するとはよく言うたものじゃ」

 うっとりした様子で仙太も頷いた。力が戻ってきたのか、立ち上がると衣の埃をはたく。

 孝仁はしばらく笛に耳を傾けてから、踵を返した。

「会いに行かぬのか?」

 紅姫に聞かれて孝仁の足が止まった。本当はせめて顔を出して行きたいが、

「……今行くと、怒られる気がするので」

 いや、確実に怒られる。そして締め出されるのは間違いない。

 後ろ髪を引かれる思いで孝仁は帰路についた。




 中三日経って、孝仁は何やら自慢気に会話をする大納言の息子を見かけた。

「……いや、私など、ただ符を貸したにすぎぬよ」

「しかしその符のおかげで物の怪を退治たとか…」

「陰陽師などと言ったところで、当てにならぬ……」

 孝仁はそっと息を吐いた。いつかの妖の言葉を思い出す。

「……落ちたのは、評判か」

 陰陽寮自体の評価なのでそれほど痛手ではないが、しかし多少は影響があるかめしれない。

「……まあ、いいか」

 そう結論付けて、孝仁は彼らに見つからないうちにその場を去った。




 同じ頃。

「ギャーッ!」

 突如上がった静寂を打ち破る悲鳴に、千寿は庭に出た。

 屋根から飛び下りた紅姫が、しきりに床下を覗いている。庭の端に飛び退いた仙太が青ざめて震えていた。

「いかがした」

「くっ、くっ、くく……」

「何を笑うておる」

「笑ってなどおらん!」

 と噛みつくように答えた仙太は、紅姫が床下から取り出した物を見てまた悲鳴を上げた。

 小さな魚籠びくである。取り立てて特別なものではなく、なぜ仙太が恐れるのかわからない。

 おもむろに紅姫は魚籠に手を突っ込んだ。抜いた手に縄が巻き付いている。

「お、おおお主良く平気で掴めるな」

 がたがたと震える仙太に目を向けることなく、紅姫は唇を舌で湿した。

「ただのくちなわじゃ。あの妖め、良いものを持ってきたな」

 好物を前に舌なめずりをして紅姫は笑った。

 千寿は同情するような目を仙太に向けた。視線を紅姫に戻すとそっと息を吐いた。

 どうやら妖が持ってきた蛇を、孝仁が目にすることはなさそうだ。


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