理由……
4
左目の睫毛の方がカールしてるな」
客が少なく、早く上がれると聞いた夜、俺は彼女を夕食に誘った。照れくさいからと正面に座るのを嫌う彼女を、俺は斜めの角度から見ていた。コーヒーの香りが心地よいナイトカフェ。コーヒーを飲めない彼女はジャスミンティを時々口に運ぶ。彼女は左右の睫毛の違いに気がついた俺を、よく見ていると褒めた。
「夜が遅いでしょ。朝が来ても目が覚めないように、アイマスクして寝るの。
「カーテンと雨戸を閉めればいいじゃないか」
「私の部屋はカーテンがないのよ。カーテンより先にインテリアを揃えちゃうから。それに、昼過ぎまで雨戸が閉まってる家ってなんだかみっともなくて嫌なの」
「それじゃ、確かにアイマスクしか手はないな」
「それで、何故かアイマスクが左の睫毛だけ上げちゃうの」
自分でも堪えきれずに途中で吹き出しながら、ようやく最後まで自分の睫毛の秘密を暴露した。
「わたしね、薬飲まないと寝付けないから。毎晩、病院でもらった睡眠薬飲んでるの」
『睡眠薬』という彼女の言葉が俺のどこかに小さな引っかき傷を付けたが、構わずその後の彼女の話に耳を傾けていた。
「昨日、実家に帰ったんだけどね」
少し間があったので俺は少し顎を引いただけの相打ちを打つ。
「お母さんと喧嘩しちゃった・・・・・・。最近帰るといつも喧嘩なの」
「はなちゃんが喧嘩なんて信じられないけどな」
「じゅんくんは、誰とも喧嘩とかしないでしょ?」
黙って首を横に振る。
「仕事ではしょっちゅうだよ」
「へ~そうは見えないけど・・・・・・」
「でも、家族とは喧嘩はしないな」
「家によっていろいろあるのよね、きっと・・・・・・。もう実家には帰りたくないの」
さっきまでいつもよりよく食べていた華恵だったが、それきり料理にも飲み物にも手をつけなかった。
黙って俯く彼女の左の睫毛だけが、しっかりと強く上を向いていた。
「信じないの」
上を向いた睫毛は、最初のデートでそう言った彼女の眼差しを、俺に思い出させた。
その夜、俺は初めて華恵を自分の部屋に誘った。夜は薬を飲まなければ眠れないと言った彼女をとびきりの心地よい眠りに誘いたいという衝動に駆られたのだ。
俺は部屋を待てずに、部屋へ向かうエレベーターで、何度も華恵にキスをした。ジャスミンティの香りが、エレベーターの箱ごと俺を包んでいた。
潤んだ目で俺を見る華恵は顔を赤らめ、抱き寄せる俺を拒んでは甘え、また拒んでは甘えた。
二人で果てた後、ベッドの上で華恵と俺は、お互いの今までとこれからを一から語り合った。
華恵は過去に小物やジュエリーを扱う小さな店を出していたことがあること。
それも上手くいかずに店を畳んだこと。
自分の学歴が低いことがコンプレックスだということ。
二つ歳上の姉がいること。
好きな映画は『ローマの休日』だということ。
好きな作家は東野圭吾だということ。
勉強しなおして、将来はインテリア関係の仕事に就きたいこと。
そんなことを早口で話した。
それでも最後まで毎晩眠れない理由は出てこなかった。
俺の右腕に包まれて無邪気に自分を語る華恵を、俺はもう一度抱いた。
ぐったりとした彼女に、俺はまたキスをした。彼女は嬉しそうに、視点の定まらない視線を俺に向けた。
また、俺の芯に熱が燈った。
「その化粧、とってくれ」
店で男を魅せる化粧など、すぐに剥ぎ取ってやりたくなった。
「いや。お化粧とったら、見せられない顔になっちゃうもん」
彼女は初めて恥ずかしそうに言い、また笑った。
「ということは、化粧して俺を騙してる訳か」
「うん」
けらけらと笑いながら真っ直ぐ俺を見つめている華恵は、一層艶のある目をしていた。
俺は笑いを止めない少女の唇に塞ぐように、そっと指先を乗せた。華恵の唇から湿った息が漏れた。彼女は急に大人しくなり、身をすぼめた。
俺はまた彼女の強張った体を解すように、ゆっくりと華恵の両手を頭の上まで持ち上げた。
無防備になった唇に引かれた口紅を、舌と唇で一枚ずつ服を脱がすように丁寧に剥ぎ取ったあとで、華恵の乳首を強く吸った。
俺はまた、彼女に落ちていった。
つづく