夕やけの空
3
通い始めて二ヶ月が経ち、季節は夏になっていた。彼女をデートに誘った。デートに誘った夜、彼女は名前を華恵だと言った。
どこか測りきれない奥行きがある彼女を知る場所として、六本木や銀座は合わない。最初の場所は鎌倉を選んだ。
古い街並みに洒落たカフェやバーがあり、インテリアやアンティークが好きな華恵も喜ぶと思った。夜が遅い彼女に合わせたデートは夕方からだった。
彼女を拾い、一時間車を走らせた。観光客が帰り始めた鎌倉を二人で歩く。家路につく人々が置いていく笑みと談笑は初めて二人きりで逢う二人の距離を縮めてくれた。彼らとすれ違う度に、華恵の肩と俺の肩が触れ合う。
夕方に鳴く蝉の声と少しずつ涼しさの混じった夜に向かう夕方の空気は、俺に子供の頃に行った夏祭りを思い出させた。どこからかはやし太鼓の音が聞こえてきた。
暮れかかった八幡宮の参道を歩いた。敵を欺くために境内に近づくにつれて狭くなっていくそのつくりに彼女は目を丸くし、コツンコツンと音を立てる踵の高い靴に、履いてくる靴を間違えたと嘆きながら、笑った。
参拝を済ませ、街並みを見渡せる境内の高台から、夕焼けに染まる鎌倉の街を二人で座って見下ろした。
「ねえ、神様っていると思う?」
「どうだろな」
続けようとした俺の言葉を遮るように彼女が言った。
「わたし、そういうの全然信じていないの」
落ち込んでいる風でも強がっている風でもなかった。しかし、その声には誰をも寄せ付けない、躊躇のない力があった。
「いるかも知れないじゃないか」
「信じないの」
沈み行く夏の太陽が憂いを帯びた華恵の顔を艶やかに照らしていた。
その時の華恵は下に広がる街よりも遥か遠くを見ているように、俺には見えた。
境内から長い階段を下りている間に日は落ちた。石段を下りながら「信じないの」と言ったときの華恵の言葉を思い起こしながら、横を歩いている彼女の華奢で白いな腕を見た。
真夏の太陽の残していったぼんやりとした薄明るい暗闇の中で、彼女の腕は幻想的な白い光を放っていた。
俺は自分がこの女に落ちた理由を、その時悟った。
八幡宮からの帰りは裏通りを通った。その通りの店は夏祭りの出店を思わせる活気で通りを満たし、それぞれの個性を道行く人々にそれとなく見せていた。
彼女は道端の丸々と太った猫としゃがみ込んでにらめっこをし、店仕舞を始めた店の前で足を止めては様子を興味深く覗いた。
洒落た構えの店に興奮し、そのデザインの素晴らしさを俺に語り始めたかと思うと、その話が終わらないうちに、次は隣の店の大きな豚の貯金箱を見て笑い出した。
まるで夏祭りに来た少女だった。夜の店から出た華恵は、籠から飛び出した小鳥のように俺の周りを自由に飛び回った。
「はなは、店と、外では、まるで別人だな。どっちが本物だ」
彼女はそう言った俺から一歩離れて、俺を見て言った。
「どっちも、にーせーもーのー」
真顔で言った後で、悪戯をして大人を困らせる子供のように華恵は笑う。
真夏の夜は、初めての二人を包んでゆっくり更けていった。
つづく