出会い
2
「きゃっ」
俺はスピードを上げてそのカーブを曲がった。左の腿に、助手席に座っている彼女の右手が伸びた。車の前の座席がベンチシートになっている洒落た車だった。カーブで振られた自分の体を支える手を、彼女はそのまま俺の膝まで伸ばした。
「もうっ」
彼女は笑いながら頬を膨らませた。
そうして、今度はその手で俺の腿を叩いた。叩いた後も少しの間、俺の腿に右手をのせていた。
その掌から、新たな恋の始まりの喜びと、まだ二人の間にある僅かな距離への歯がゆさが伝わってきた。
その道を下に見ながら歩いていると、左腿に彼女の掌の感触が不意に蘇えった。
強い西陽に遮られそうになりながら俺は彼女の残像を追った。
四月から赴任した職場の近くのその店に、上司に連れられて行ったのは、今年五月だった。連休中の店は開店休業状態で、上司と俺に一人ずつ女がついた。
くだらない――
酒を飲むのにわざわざ金を払ってつまらぬ話しかできない女たちと過ごす時間が、いつも解せなかった。仕事のストレスにその場の苛立ちが追い討ちをかけ、席に座ったばかりの俺は、早々に席を立とうと思った。
「よろしくお願いします」
女が座るのを待って、気の無い返事をした。礼儀正しく頭を下げた女には、花が開いた様な華やかさがあった。
どうせ見た目だけの女だろ――
左側に座った女に軽く頭を下げた。髪を上げ、白地に鮮やかな花びらが散りばめられたドレスを着た女が横に座っていた。
胸元は品を保つ程度に程よく開いている。すっと伸びた背筋。小さく白い顔。化粧の下にそばかすが見える。高い鼻が顔の中央に気高く座っている。つぶらな目の奥の瞳が真っ直ぐに俺を見ている気がした。
仏頂面に少し愛想笑いを乗っけた俺に、女は改めて頭を下げた。頭をあげた女と束の間、目が合う。
二十代前半だろうか――。
「お飲み物は?」
「何があるの」
分かっていながら聞いた。
「ウイスキーとブランデーとウーロンハイです」
言葉と言葉の自然な間、抑えられてはいが潤いのある声。見た目より落ち着いた女だ。
二十代後半だろう――
女の間合いに合わせるように、俺は少し考えた顔をする。
「ウイスキー」
「飲み方は、どういたしますか」
「ロックで」
空いたグラスに氷が入る音が澄んで響いた。すでに、上司とその隣の女は話を弾ませている。ウイスキーを入れる女の仕草を左耳で聞きながら、向かいの壁の前にある活けられた花を見ていた。
誰に媚びることなく、自らの美しさに酔うこともない、短い美しさを謳歌している花。その花瓶から溢れんばかりに咲く花に、しばらく見惚れていた。どれくらいの間、見とれていたのか。
その視線をそのまま自分の左の女に重ねた。もうウイスキーは出来ていた。
上司たちはさらに盛り上がり、店内に二人の笑い声だけが響いていた。女から甘い匂いがほのかにする。
「私も頂いていいですか」
一回り小さなグラスに自分用の酒を入れるのを待って、二人で乾杯をする。二つのグラスの合わさる音が静かに響いた。
「頂きます」
「どうぞ・・・・・・」
俺はまた気だるそうに言った。
「今日も、お仕事ですか」
スーツの俺に、女は訊いた。
「遊び帰りに見える?」
ようやく笑った俺に、女も少し安心したように笑った。笑い方を忘れていた俺の頬はカチカチと彫刻がひび割れるように崩れた。
女は名前を華と名乗った。
それから、時々、華を指名した。夜の店に一人で通うのは初めてだった。その度に、はなは座る前にきちんとお辞儀をした。
「ご指名ありがとうございます。はなです」
特に身のある話をした訳ではなかった。彼女のまとう柔らかな空気が俺の体に沁み込んだ疲れを癒し、その柔らかな空気に相反する若さと妖艶さをともなった美しさが、俺をときめかせた。寄り添うように横に座り少し酒に付き合うと、次の指名に取られ、俺から去った。
本当は酒を飲むのは苦手で、インテリアに興味があり、以前は家具を扱う職に就いていたこと、高校卒業から一人暮らしをしていること。休みの日は本を読んだり、映画を観る。月に一度クラブで朝まで踊ること。
どこまで真実かは分からなかったが、店で知った彼女のことはそれくらいだった。
毎回他の客からの指名が入るまでの二~三十分程度で、華に代わって他の女が俺についたが、俺はそれを断って店を出た。
店を出て一人下るエレベーターの中で、次の指名に急いでいく、はなの後姿を思い出していた。
踏み出すたびに薄手のドレスに張り付くびれた腰、張りのある尻、締まった足首。
俺は自分のスーツに移ったはなの香水の匂いをエレベーターの中に探した。
つづく