婚姻無効になったので新しい人生始めます
夫婦の寝室にある大きなベッドの縁に座り今日も旦那様が来るのを待ち続けている。
しかしこの部屋に旦那様がやって来たことはない。
それでも私は待ち続ける。
私の居場所はここにしかないから。
◇◇◇
「くしゅん」
夜も深くなり薄い夜着しか着ていない私は体をぶるりと震わせた。
ベッドの中で待とうかとも考えたがもし旦那様がいらっしゃったら失礼だろうと思い、少しでも身体を温めようと自分で自分を抱きしめる。
しかし時間だけが無情に過ぎていきとうとう日付が変わってしまった。
もしかしたら今日だけは来てくれるかもしれないと期待していたのだが結局部屋の扉が開くことはなかった。
「…三年」
今日いやもう昨日だが結婚してちょうど三年だった。それなのにいまだ私の身は清らかなまま。
旦那様に相手にされていないことを知らない義母からは会う度に跡継ぎを求められ、事情を知る屋敷の使用人からは私を女主人として認めず蔑ろにされている。そして与えられた仕事をこなし夜はこうして旦那様を待つのが私の毎日だ。
しかしこれからも同じ日々が続くのだろうか。
そう考えると急に言い様のない不安に駆られた私はベッドから急いで立ち上がろうとした。
「っ!」
急いだのが良くなかったのだろう。立ち上がろうとした時に手がシーツで滑り、そのままバランスを崩してベッドの脇にあるミニテーブルに頭をぶつけてしまった。
「い、痛っ…」
ぶつけたところに手を当てて確認すると血は出ていないようでひとまず安心した。しかしいつまでも床に倒れ込んだままではいけないと思い起き上がろうとした次の瞬間、
「痛っ!!」
先ほどの痛みよりも遥かに強い痛みが私の頭を襲った。私はその場から動けずにうずくまる。
(なに、これ…。頭がっ、割れそう!…えっ?)
痛みに耐えていると突如として頭の中に何かが流れ込んできた。
(これは!?…私の記憶?)
流れ込んでくる記憶は私が見たこともないはずのものなのになぜだか懐かしく感じるが、痛みでこれ以上何も考えることはできそうになかった。
◇◇◇
しばらく経つとようやく痛みが治まってきた。
私はゆっくりと床から起き上がりベッドに仰向けに寝転んだ。
「私、転生したんだ…」
痛みが治まった途端理解した。
先ほどの痛みは私の前世の記憶が流れ込んできたものだと。
前世の私は人生を終えた後この世界で生まれ変わったのだ。
どうやら今世の記憶も覚えてはいるようだが、性格というか内面は前世の自分に影響されているように感じる。
なぜなら私の今の状況をあり得ないと思うからだ。
先ほどまでの私は自分の居場所がなくなる不安から不遇な日々を受け入れていたが、今の私には到底受け入れられるものではない。
(旦那には相手にされず義母からはプレッシャーをかけられ使用人からは見下されて…。与えられた仕事だけをこなし毎晩来るはずのない旦那を待ち続ける毎日…ってこんなのやってられるか!あっ!)
「…そうだ、この結婚はなかったことにしよう」
貴族同士の結婚は簡単に離縁することができないのだが何事にも例外がある。
一つは結婚して三年が経っても子どもが出来ない場合。もう一つは白い結婚が三年続いた場合だ。
前者は離縁となり後者は婚姻無効となるのだが、三年が経っていればどちらも一人で手続きを行うことができる。
前世の記憶を思い出す前の私が三年というのを気にしていたのはこのためだ。もしかしたら旦那様から離縁か婚姻無効を宣告されてしまうのではないかと。
しかしいつも通り旦那様が夫婦の寝室に現れなかったことは今の私にとっては好都合だ。
「思い立ったが吉日ね!こんな屋敷からはさっさと出ていってやるわ」
早速私は準備に取りかかるために夫婦の寝室から出て自分の作業部屋へと向かった。
もう夜も遅いため使用人とすれ違うこともなく部屋へとたどり着いた。服を着替え鞄に荷物を詰める。鞄には空間魔法が掛けてあるのでたくさんの物を入れることができて便利だ。
「これもこれも…あ、これも持っていかなくちゃ」
一通り荷物を詰め終わった私はある作業に取りかかる。作業と言っても手慣れたものなのであっという間に終わった。
「できた!よし、これを飲んでっと…」
私は自分で作った魔法薬を飲み干した。すると効果がすぐに現れ、髪と瞳の色が変わっていった。
髪はくすんだ金色から茶色に、瞳も水色から茶色へと変化した。
「やっぱり染めるより魔法薬の方が簡単ね」
そう言って鏡を見ながら髪を一つに結わく。最後にローブを羽織り準備完了だ。
「さて、まずやるべきは教会に行って白い結婚による婚姻無効ね」
まだ日の出までには時間がある。今から街に向かえば朝一には教会に着けるだろう。
私が居なくなっても屋敷の人間はすぐには気付かず、気づいた頃には婚姻無効になった後だろう。
もしかしたらもっと長い時間気づかないかもしれないが。
私は作業机に手紙を置いてから部屋の窓を開けそこから鞄を抱え外へと出ていった。魔法で門番を眠らせて堂々と正門から出ていく。
私は二度とこの屋敷にもこの国にも戻るつもりはない。
これからは自分の生きたいように生きていく。
そして自分の居場所は自分で作るのだ。
「それではさようなら」
屋敷に向かって一言だけ告げてから、私はまだ暗い道へと歩みを進めるのだった。
◇◇◇
魔法で光を灯し暗い道をひたすら歩き続ける。
つい数時間前に前世の記憶を思い出してからすぐに屋敷を出てきて、色々と落ち着いて考える時間がなかったので今はちょうどいい。どうせ歩いてるだけなので考えてみようと思う。
私の名前はセレーナ・カリスト。
結婚前はセレーナ・アルレイでアルレイ伯爵家の娘であったが、三年前にカリスト侯爵家に嫁ぎ今の名前になった。
旦那様の名前はサイラス・カリスト。
私と旦那様はこの国ではめずらしくもない政略結婚だった。魔力のアルレイ伯爵家と財力のカリスト侯爵家。
アルレイ伯爵家は魔力はあるがお金がなく、カリスト侯爵家は魔力を使った事業を新たに始めたくて多くの魔力を持つ人材が欲しかった。そこで利害が一致した両家は豊富な魔力を持つ私をカリスト侯爵家に嫁に出し、アルレイ伯爵家は資金援助を受けることになったのだ。
アルレイ伯爵家には娘が二人いるのだが、長女である私が嫁に出された。確かに私と妹では私の方が魔力が多いのだがそれが理由で嫁に出されたわけではない。
私が両親と妹から疎まれていたからだ。
本来なら家の繁栄のために魔力量が多い私が伯爵家を継ぐべきなのだが、それを両親が嫌がったのだ。どうやら私は父方の祖母に顔立ちが似ているようで、父も母も祖母のことが嫌いだったことから疎まれるようになってしまった。
そして二年後に生まれた妹は母にそっくりだったこともあり、両親の愛は妹だけに注がれるようになった。そんな親の姿を見て育った妹は当然姉は疎んでもいい存在なのだと思っている。
十二歳で学園に入学したが、私は両親に疎まれていたのでまともな教育を受けさせてもらえていない状態だった。
それでも私には勉学の才能があったようでなんでもすぐに吸収していき、気づけば学年で一番を取るほどまでになっていた。
友人もそれなりにでき楽しい学園生活を送っていたのだがそれも二年で終わってしまった。
なぜかといえば妹が学園に入学してきたからだ。
妹は勉学が苦手でその苦手を補うための努力も嫌だったようであまり成績が良くなかった。
学年一位の姉と下から数えた方が早い成績の妹。妹は自分より成績のいい私を許せなかった。
『私よりお姉さまが目立つなんて許せない』
そう両親に訴えれば私は妹よりいい成績を取ることを禁じられた。
それからの学園生活は辛いものだった。
理解しているものを理解していないふりをしなければならず、突然様子のおかしくなった私を友人達が敬遠しだし私は独りぼっちになった。しかし学びたい欲は無くなることはなく、その欲求を満たすために休み時間や放課後は図書室で過ごすようになった。
そういえばその頃から図書室でよく誰かに見られていた気がしたがあれは一体誰だったのだろうか。ただもう学園を卒業してから三年が経った今、知る術などないので気にしても無駄だと思い直した。
そして学園の最終学年になってすぐに婚約が決まり、卒業と同時に結婚式を挙げた。
婚約期間は短いながらも存在したのだが、その間に旦那様に会うことも手紙や贈り物を貰うこともなかった。おそらく旦那様にとって私との婚約は不本意なものだったのだろう。しかし家同士の契約なので旦那様はどうすることもできず結婚するしかなかったのだと思う。
初めて旦那様に会ったのは結婚式の時だった。バージンロードを歩いた先に旦那様がタキシード姿で立っていたのだ。
黒い髪に黒い瞳が印象的な整った顔に長身だがしっかり鍛えているのが分かる体型、さぞかし女性にモテるだろう容姿をしていた。
それに引き換え私はくすんだ金髪に女性としては高めの身長と残念な容姿だ。唯一の取り柄は水色の瞳くらいだろうか。
魔力量が多いと髪と瞳の色が淡くなる傾向にあり、黒い髪に黒い瞳の旦那様はあまり魔力は多くないということが分かる。
そして結婚式を無事に挙げ終わり、迎えた初夜で旦那様に言われたのだ。
『今は君を抱くことはできない』と。
それからは与えられた新事業の仕事をこなし旦那様を待ち続ける日々。そうして三年が経ち十七歳で結婚した私は現在二十歳になっていた。
◇◇◇
(こうやって思い返すと私ってなかなか不遇な人生を送ってきたわね…)
前世の記憶を思い出したからには今まで通り生きていくつもりは更々ないが、これまでの私は自分の居場所を失わないためにも人に従って生きていくしかなかったのだろう。
(でもそんな人生は嫌!せっかく魔法が使えるんだし魔力もたくさんある。できれば学園で学んだことが活かせるところで働けたらいいのだけど)
何だかんだと考えているうちに空が明るくなってきた。目指す街まではあと少しだ。
(まずやるべきことは婚姻の解消だわ。それが終わったら…そうね、あの国にでも行ってみようかしら)
ひとまず今後の行動を決め街に向かい歩き続ける。そして太陽の光に照らされ朝を迎える頃、無事に街へとたどり着いた。
この街はカリスト侯爵領の中で一番大きな街だ。朝早いにも関わらずすでに街には活気が溢れており、パンを焼くいい匂いや子どもの笑い声が聞こえてくる。
そんな中私は真っ直ぐに教会へと向かった。教会の扉は既に開かれており、中へ入ると祈りを捧げに来ている街の人の姿がちらほら見受けられる。
私は近くにいた神父に声をかけた。
「すみませんが白い結婚の証明をお願いできますか?」
「!…こちらへどうぞ」
神父は驚いたようだがすぐに対応してくれた。驚いたのは白い結婚の証明を申し出る女性がほとんどいないからだろう。それだけ白い結婚による婚姻無効は女性にとっては誰にも知られたくないものなのだ。
だけど前世の記憶を持つ私はそんなこと気にしない。それよりも白い結婚が証明されれば婚姻が無効になることの方がありがたいと思うくらいだ。
別室に案内され椅子に座ると対面するように神父も椅子に腰かけた。
「それでは手をお借りしますね」
そう言って私の手を握ると私の身体に何かが流れ込んできた。
「っ!」
知識では知っていたのに経験するのは初めてなので驚いてしまったが、こうして魔力を流して確認をするのだ。時間にして一分程と短いながらも身体の中を異物が動き回るような感じがして不快だったが、証明してもらうにはこれしか方法がない。
無事に白い結婚が証明されそのまま婚姻無効の手続きを済ませた。神父は私がカリスト侯爵夫人だということに驚いていたようだが粛々と手続きを進めてくれた。
こうして私はセレーナ・カリストからただのセレーナになったのだ。
アルレイ伯爵家に籍を戻すこともできたのだがそれはしなかった。あんな家に戻るくらいなら一人で平民になった方がマシだ。
前世の記憶もあるし今までも一応貴族令嬢でありながらも自分のことは自分でこなしてきたのだ。だから何も問題もない。それにこれから向かうつもりの国は実力主義であると聞いている。それなら平民であろうとも実力が認められれば生きていくに困ることはないだろう。
私には膨大な魔力と学園で身につけた知識がある。それにカリスト侯爵家の新事業である魔法薬の開発から製作までを一人で三年も続けてきたのでそれなりの実力があると自負している。そこに前世の記憶が加われば実力主義の国でも十分やっていけるはずだ。
教会を出た後は必要な物資を購入し、すぐに乗り合い馬車に乗り国境を目指した。
カリスト侯爵領は比較的王都に近いので国境まではかなりの距離がある。国を出るまでに時間がかかりすぎると侯爵家からの追手に捕まるかもしれないと考えてみたがそれはあり得ないなと思い直した。
おそらく屋敷の人間が私がいないことに気付くのに一日、もしかしたら三日は気付かないかもしれない。そこから元旦那様がいる王都に連絡を入れるのに更に一日はかかるだろう。そして追手を差し向ける頃にはかなりの時間が経っていて、私を捕まえることは容易ではないはずだ。
そもそも私は相手にされていなかったのだから元旦那様は婚姻無効を喜ぶだけで私を捕まえようと思わないかもしれないが。
(まぁもしそうだったとしても私はこの国から一刻も早く出ていきたいから急ぐに越したことはないわね)
それからは馬車を乗り継ぎ国境を目指した。国境まで辿り着くのにはそれなりの日数を要する。
私は行く先々でお金を稼ぐべく、魔法薬を作っては街にある冒険者ギルドで買い取りをしてもらった。道具はあの屋敷から持ってきていたし、材料は馬車の休憩の度に採取することができたのでそれなりの量はある。
夜に宿屋で魔法薬を作りストックを貯めておいたおかげでそれなりの金額を稼ぐことができた。本当はまだストックがあるので全部売ってしまいたいが、同じ場所で大量に売ると追手を差し向けられていた場合に私の居場所がばれてしまう可能性がある。
それに残った魔法薬は空間魔法がかけられているバッグに入れてあるので劣化することはないから国境を越えてから売ればいい。どうせ新しい生活を始めるにはお金が必要になるのだから魔法薬はいくらあっても困らないだろう。
そうして馬車を乗り継ぎ三週間後、ようやく私は国境へと辿り着いた。
ここから私の新しい人生が始まるのだ。