足音
走る、走る、速く、もっと速く。
先の見えない何もない長い廊下をひた走る。
追いつかれないように、もっと速く。
廊下の途中に纏められたゴミのようなものが見える。跳び越える。
息が切れる、足が縺れる。体勢を何とか立て直しまた走り出す。
疲労が溜まってきて脚が動いてるのかわからなくなってくる。
また足が縺れる。今度は転びそうになる。走ってきた勢いを殺さないように全身を使い転がる。上手く前転できたのでそのままの勢いで立ち上がるのと加速をかける。
まだ階段が見えない。少し離れた後ろからコツ、コツと足音が響いてくる。急いでるようには聞こえないのに確実に距離を詰めてきている。
廊下の先を睨むように見る。薄っすらと赤黒い靄がかかったような視界の悪さの中ただひたすらに階段を求める。
ただ遊び半分で母校に肝試しに来ただけなのに、なんでこんな事になってしまったのだろう。
数年前に卒業したなんの曰くも無い、ごく普通の高校だったはずなのに。
疲れた身体でそんなことを考えながら走っていたせいで足を滑らせてしまう。背中を勢いよく打ち付けてしまう。衝撃で呼吸が止まる。疲労と痛みで挫けそうになるが、後方からコツ、コツと響いてくる足音の恐怖を思い出し、起き上がろうとする。床に着いた手が濡れる感触。どうやら濡れた床に気が付かずに足を滑らせてしまったらしい。立ち上がりながらも、無意識に掌を見ると真っ赤に染まっていた。鉄臭さが鼻孔に届いてくる。
その周囲だけ真っ赤だった。
全身の疲労感など吹き飛んだかのようにまた前へと走り出す。目の前に落ちてた女物の靴を蹴飛ばしながら。心なしさっきまでより足音の距離が近い。
廊下の終わりが見えてきた。気が急く。息も絶え絶えに辿り着く。もしかしたら階段なんて無くなっているかもという考えが一瞬脳裏を過ぎったけどどうやらちゃんと存在していた。
階段を駆け下りる。そのまま一階まで駆け下りると、友人達がきょとんとした顔でこちらを見ている。
疲れきりへたり込む私に、何があったのかと尋ねてくるB君とCちゃん。体験したことを説明しようとする私の耳に、微かにコツ、コツと聞こえてくる。
力の入らない脚を叱咤し、少しふらつきながらも校舎から出る。そのまま無言で高校の敷地からも出るとようやく少しだけ落ち着いてきた。
追い掛けてきた友人達を促し近くのファミレスへと入る。人の賑わいに癒される。
人心地ついた私は、友人達に体験したことを語り始めた。
階段を上って四階まで行っただろ?そこから一人で廊下を進んで。途中まではなんにもなかったんだ。真ん中過ぎて何か後ろの方から音がして、最初は気のせいかと思ったんだ。そのくらい微かな音で。振り返ってライトで照らしても勿論何もなかったし。気のせいだって判断してそのまま進んで行ったんだ。
少し歩いたら後ろの方から微かに、だけど確実に聞こえてきたんだ。コツ…コツって。頭に思い浮かんだのは足音だった。だからお前らの誰かだと思ったんだよ。だから急に振り返って見たんだけど、誰もいなかった。
とはいえ、廊下に個人用のロッカーが並んでたからその陰に隠れれば見えないし、そうやって隠れてるんだと思ったんだ。
だから待ち伏せして驚かそうとして。A棟、B棟って直角に曲がってるから、そこで追いつかれる前に隠れようとして。
だから後ろを振り返らないように進んでA棟からB棟に入ったら窓から見えないように腰を屈めて走ってさ、そのまま5つある教室の3番目、真ん中の教室に入ったんだよ。一番奥だと後ろから驚かせられないし、かと言ってその手前だとこっちの考えがバレてたら裏をかかれそうだったし。
静かにドアを開けて教室に入って。少ししたらコツ、コツって音が聞こえてきて、その感じからヒール音みたいだったから、てっきりCちゃんだと思ったんだよ。Aさんは靴が見えないぐらいのロングスカートだったけど、Cちゃんはミニスカでパンプスだったの見てたからさ。
だけどそうじゃなかった。教室の前を通り過ぎる時にドアの隙間から見えたのは脚と斧だった。持ち手まで金属製の、洋画とかで消防士が使ってたりするような斧。右手にぶら下げてた。腰から上は黒い影で見えなかった。
そいつはそのまま通り過ぎて行って、少し離れたところで足音が止まって。教室のドアを勢いよく開ける音がしたらその後はドカンドカンって破壊音。多分机とか椅子を壊してたんだと思う。私怖くて動けなくて。
しばらくしたら音が止んで、またコツ、コツって聞こえてきて、今度は近づいて来てたんだ。今度はさっきより近いところで足音が止まって、またドアを開ける音。隣の教室だった。破壊音が聞こえてくると同時に隠れてた教室のドアをゆっくり開けて廊下に出たんだ。
破壊音が聞こえる中廊下に出たんだけど、廊下に出て隣の教室、破壊音が聞こえる方を見たんだ。そしたら女が立ってた。
隣の教室のドアの前に立ってニヤニヤとした目でこっちを見てたんだよ。私が女の方を見るまで、女に気がつくまで確かに破壊音が聞こえてたのにどうしてって思ったんだけど、女が答えを教えてくれた。
口を三日月みたいに歪ませた後、口を大きく開けたんだよ。その後に聞こえてきたのはさっきまで聞こえてきた破壊音だった。
それを聞いた瞬間私は走り出したんだ。数秒でB棟からA棟に入ったんだけど、先が見えなかった。教室2つ分ぐらいの距離までしか見えなくて、その先は赤黒い靄がかかってて。
一瞬足を止めそうになったんだけど、後ろからコツ、コツって聞こえてきて走り出したんだ。その後はしばらく走り続けたんだけど階段に辿り着かなくて。走っても走っても廊下は続くし、足音はずっと距離を変えずについて来てて。
ようやく階段を見つけて、駆け下りて。みんなと合流して助かったって思ったんだけど、階段の上から小さいけど確かにコツ、コツっていう足音が聞こえたからとにかく学校から離れたかったんだよ。
話を終え、息をつく私にB君が不思議そうに話しかけてくる。
「お前階段上って姿見えなくなって数秒で駆け下りてきたんだが」
B君の発言に疑問を覚える。何かおかしい。そう思っていると、Cちゃんが続けて言う。
「ていうか、なんで唐突に一人で階段上り始めたの?」
それを聞いてB君の発言のどこがおかしいのかわかった。
私達3人は四階まで全員で話しながら上って行ったんだ。
……そうだ、私達は3人で来たはずなんだ。
そう思い出すと同時に、正面に座ってたAさんがニンマリと笑う。口を開く。やけに真っ赤な口腔が目につく。
思い出した。
…私達は3人で四階に上って、Cちゃんが途中で居なくなって。隠れてるんだと思ってB君と二人で探し回って、気がつくとB君もいなくなってて。
ふと気がつくとさっきまで賑やかだったのに今は無音。B君もCちゃんも居ない。店内に赤黒い靄が広がっている。
纏まらない思考。そういえば、廊下を逃げている途中で見かけたもの…そこまで考えた私の視界を紅く染まった金属が埋め尽くす。顔面への強い衝撃とともに意識が消えていく。