第1話 男の胸なんてどうでもいいわ!
「……どこだよここは?」
ふと気がつくとそこには一面の草原が広がっていた。遠くのほうには大きな山や森が見える。すぐそこに人が踏み鳴らしてできた道のようなものがあったが、道路や街などといったものは視界上にはなかった。
どうして俺はこんな場所にいるんだ? ボーッとする頭を働かせて、最後の記憶を辿ってみる。
「あれ、もしかして俺死んじまったんじゃね?」
俺の頭に残っている最後の記憶、それは高校からの帰り道で、信号が青に変わった交差点を歩いている時に、いきなり猛スピードで突っ込んできたトラックだった。
「あるいは集中治療室で夢の中か……でも夢の中ではなさそうだ」
太陽の温かさ、地面の土の感触、頬に当たる風、そのどれもが夢の中であることを否定していた。
ということはやはり俺はあの時に死んでしまったのだろうか。人は死ぬとこんな場所に放り出されるのかよ。誰も死んだ後のことなんてどうなるか分からないもんな。
「ワイシャツに制服のズボンにスポーツシューズ。学校から帰ってくる時のままだな。持ち物は何もなし、ポケットに入れていたスマホもサイフもなしか」
冷静に現状を把握してみたが、これからどうしよう。とりあえずここにある道に沿って進んでみるか。もしかしたら三途の川か何かがあるかもしれない。
道に沿って歩くこと1時間、やはり人工物は何も見えてこない。そして徐々に木々が増えて森に近付いてきた。……しまったな、道を反対に進むべきだったか。
ガサッ
「っ!?」
横の草むらから物音がした。何かいる!?
「……スライム?」
草むらからゆっくりと現れてきたのは全身水色をしたゼリー状の生物だった。そしてその中心には赤い目、もしくは核のようなものが存在している。それはよくゲームや漫画で見るスライムの姿だった。
「マジかよ……ひょっとしてここは異世界なのか?」
俺もいわゆる異世界ものと呼ばれる小説や漫画は読んだことがある。もしかしてトラックに轢かれて死んで異世界に転生してきたのか!?
無茶苦茶な考えであることは自分でも分かっているが、目の前に存在するファンタジーな生物を実際に見てしまうとそう考えるしかない。
どうしよう、30cmくらいの可愛らしい生物なのだが、この世界では危険な生物の可能性もある。ここは逃げてとにかく人を探そう!
ピョンッ
「のわっ!?」
踵を返して逃げ出そうと思った瞬間にいきなりスライムが飛びついてきた。ゼリー状の身体の癖して想像の3倍は速く動いてきた。
ジュワッ
「おわ、服が溶けた!? ヤバい、俺も溶かされ……あれ、痛くも何ともない」
飛びついてきたスライムが俺のワイシャツにへばりついてきたかと思ったら、いきなり俺のワイシャツが溶け始めた。しかし肝心の俺の身体自体にはまったく害がなく、ヒンヤリプルプルしてむしろ気持ちいいくらいまである。
「うわ、初めての感覚だな。大丈夫だよな、あとで腫れたりしないよな……」
プルプルとした触感のスライムを両手で引き離して、遠くまで放り捨てる。今のところはスライムを触った両手にも異常はない。ただ服に関してはワイシャツが右肩からお腹のあたりまで綺麗に溶かされてしまっていた。
しかし上半身だけだったのは幸いだな。あのまま下半身まで溶かされてしまっていたらいろいろアウトだった。ここが異世界なのかは分からないが、もしかしたら猥褻物陳列罪がこの世界にもあるかもしれないし、街や村に入れてもらえないかもしれない。
ガサガサッ
「なんだよまたスライムか……よ?」
どうやらさっきのスライムがまた戻ってきたようだ。しかし、俺の目の前には3匹のスライムが現れた。分裂したのか仲間を呼んだのかはわからないが、とにかくまずい。今度のやつは皮膚まで溶かすかもしれないし、下半身も溶かされたら事案が発生してしまう。
これはまずい、早く逃げないと! しかし相変わらず思ったよりも素早い動きで、3匹のスライムが一気に俺に迫ってきた。
「危ねえ!」
突如スライムと俺の間に何者かが割り込んできた。その者は大きな盾を持ち、3匹のスライムの突進を防いだ。
「はっ!」
そしてその大きな盾の横から長く美しいポニーテールの金髪をなびかせながらもう1人の人影が現れた。長いロングソードを見えない速度で振り下ろしたと思ったら、3匹のスライムの赤い核のようなものがすべて割れてゼリー状だったスライムは液体になって地面に消えていった。
「大丈夫か! 怪我はないか!」
金髪ポニーテールの女性はスライムを切ったロングソードを腰の鞘に収めながらこちらに振り向く。彼女は若く、俺と同じか少し年上くらいで整った顔立ち、美しい金髪碧眼の彼女はどうみても日本人ではない。それにもかかわらず、彼女の言葉がはっきりと理解できる。やはりここは異世界なのだろうか?
「はい、おかげさまで助かり……」
「お、おい!? 服が溶かされているじゃないか! は、早く隠すんだ!」
「えっ……」
ああ、最初スライムにワイシャツが溶かされてしまっていたんだっけな。だけどズボンは無事だったから問題ないだろう。
「さっきのスライムに溶かされてしまったみたいですね。上だけなんで大丈夫ですよ」
「な、何を言っている! うら若き男が上半身を露出すものではない! は、早く隠すんだ!」
……いやうら若き男って何だよ。あれかな、彼女達は男の素肌も見たこともないような箱入り娘だったりするのかな。
「とはいえ替えの服なんてありませんし……」
「そ、そうなのか。私達も簡単な依頼を達成したばかりで着替えも持っていないしな……。おいおまえら、彼を見るな!」
いつの間にか先程の大きな盾を持っていた女性の他にもひとり女性が集まってきており、顔を赤くしながら俺を見ていた。彼女の一声で2人とも後ろを向いたけれど、別に男の上半身姿なんて見ても楽しくないだろうに。
「そうだ、ちょっと待っていてくれ」
そういうとなぜか彼女は自分の上半身の防具を外し始めた。その下は白い無地のTシャツを着ている。少し汗で湿っており、この世界にはブラというものがないのか、彼女の2つの胸の先にある突起がハッキリと分かってしまった。
おっと、いかんいかん! 助けてくれた恩人を卑猥な目で見るなんて失礼なことをしてしまった。それより彼女は何をしようとしているのだろうか? そうか、彼女の防具を貸してくれるのかな。
「よし!」
「え、ちょ、ちょっと、何をしているんですか!?」
防具を地面に置いて何をするのかと思っていると、彼女は身に着けていたTシャツをいきなり脱ぎ始めた。
「ほら、これを着るといい」
「いやいやいや、何を言っているんですか!? 早く服を着てください」
そして脱いだ服をそのまま俺に手渡そうとしてくる。しかもその大きくて立派な美しい胸をまったく隠そうともせずに服を差し出してくるのだ。
「そ、そちらこそ何を言っている! は、早く君の胸を隠すんだ!」
なんで!? 会話がまったく噛み合っていない!
「俺のことは大丈夫ですから胸を隠してください!」
「何を言っている! 女である私の胸などどうでもいいだろう!? 男の君の方が優先だ。私は上からこの防具を着るから大丈夫だ」
それこそ俺の胸の方がどうでもいいわ! い、いかん、童貞男子高校生の俺に先程の光景は刺激的すぎる!
落ち着け! 恩人をいやらしい目で見るのは俺の良心が痛む。こういう時は逆のことを考えろ! そう、男の上腕二頭筋がひとつ、男の広背筋がひとつ、男の大胸筋がひとつ……よし、落ち着いてきた。ってどんな落ち着き方だよ!
「わかりました! ありがたく服を貸してもらいますから、あなたも早く防具を身に着けてください!」
ひとりでアホなノリツッコミをして少しだけ落ち着いた。とりあえずどちらも譲らないことは分かったから、まずはお互いに胸を隠すことを優先しよう。
「ああ、わかった」
彼女が差し出したTシャツをできるだけ彼女の胸を見ないように受け取ってすぐに着る。まだ彼女の汗の匂いや温もりが残っておりドキドキしてしまった。