お迎えに来る人はニセモノ
「あ、お母さん!」
カナが嬉しそうに迎えに来た母親に駆け寄った。お母さんは仕事が忙しく土日もあまり家にいないと言っていたので、迎えに来てもらったことが本当に嬉しかったようだ。
それを昇降口で見ていた私はそのまま家に帰った。その日の夜の事だ、うちのカナがお邪魔してませんかとカナのお母さんが必死に探していたのは。
結局彼女はそのまま行方不明になった。
私はお母さんが迎えに来たじゃないかと言ったが、カナのお母さんはずっと仕事をしていたから迎えには行っていないと言う。間違いなくカナのお母さんだったと思うし、何よりカナが大喜びでついて行ったのだから娘が見間違えるはずがない。
結局カナのお母さんそっくりに変装した誘拐犯がいるのだろうということになり事件は今も解決していない。
私は四年付き合った彼と結婚し娘を授かった。今年で五歳、幼稚園に通っている。幼稚園からお知らせが届いたのがきっかけだった、カナの件を思い出したのは。
「不審者が増えています、知らない人にはついていかないようご家庭でもお話ししてください」
知らない人、か。
カナは知っている人について行っただけだ。誘拐の手段としてお父さん、お母さんの知り合いだからと名乗り連れて行くものもあるらしいが、あの時は本当に「お母さん」だった。
幼稚園のお迎えは基本バス送迎だが、園に直接来る場合は本人確認がされる。顔パスは防犯の観点から禁止、入園時に撮る画像認証が導入されている。化粧や太った痩せたは関係ない、骨格から判断するので精度は抜群だ。安心して預けられる。
私は旦那の社宅に住んでいるが、ここがまあ見事に子供の年齢が近くて、旦那は会社の知り合いの子供が皆同じ幼稚園に通っている。
上場企業なのでマウント取りが激しく、勘違いセレブの多いこと。私はいつもバス送迎に対応するから専業主婦だと思われているらしく、ほかの母親たちからは「ぷーくすくす」状態だ。
あんな連中と付き合いたくないからほっといてる。フリーランスの在宅ワークで夫以上に稼いでるんだけど。
旦那は最近疲れ果てて帰ってくるので不審者の話は土日にすることにした。近隣ママたちの愚痴をぶちまけたいところだが、ぐったりしてる旦那を見るとちょっと冷静になる。こんなにくたくたでも朝ゴミを出してくれるし、お風呂に最後に入ったら掃除をしてから出てくれる。
相手を思いやりなさい、一方的に尽くすでも押し付けるでもない。夫婦は対等なんだから。自分に言い聞かせる。
今日もまたマイちゃんママのマウントがウッザイ。アタクシお金持ちだから、みたいな。金持ちなのは旦那であってお前じゃないだろ。
……やめた、思い出しムカつきは無意味だ。
「ママ、あしたはおむかえだよ!」
舞が自信満々に言う。私覚えてた! と自慢げだ。
「そうだった、忘れてた! ありがとう、ママ助かったわ」
「えへへ」
本当は覚えてたけどここは娘を褒めよう。
舞とマイちゃん。名前が被ってるのが目をつけられた理由だ、ウザ。しかも隣の部屋だし。
明日は車で迎えに行って、そのままデパートに行く。舞の好きなご当地アイドルがデパートにくるのだ。バスを待っていたらサインもらうのが間に合わないので直行。舞が覚えてるわけだ。まあ余裕で間に合う、何もなければ。
やばいやばい!遅れた!
安全運転を心がけるが気持ちが焦る。またマイちゃんママに捕まったのだ、くだらない話を延々と。他のママも参戦して二十分遅れた。お迎え行くって言ってるのに聞きゃしないあの連中! 保育園みたいに延長料金あるわけじゃないでしょ、とか馬鹿か! ああ、サイン間に合わなかったら舞に口きいてもらえないかもしれない。
幼稚園に着くと舞は私の顔を不思議そうに見ている。
「ママ?」
「うん?」
「ママさっき、きた?」
「え、来てないよ。今来た。ごめんね遅くなって」
車に乗りデパートに向かいながら、舞の言葉の意味が分からず聞き返した。
「どうしたの?」
「さっきね、ママがきたの」
「え?」
「むかえにきたからかえろう、って。でもきょうはリリンちゃんあいにいくもん。リリンちゃんは、ってきいたらママなにもいってくれなくて。くるまのおとがして、ママがいなくなっててママがきた」
思わずブレーキを踏みそうになった。これだけ聞くと子供の意味不明な話だ。でも私は前例を知ってる。
身内でさえ見間違えるそっくりな人間による誘拐、それしか浮かばない。いやそれより、画像認証を通った? 本人以外ありえないのに、どうやって。
どうしよう、警察? いや幼稚園に問い合わせか。いずれにせよこのままではいけない。
「みえた!」
舞のテンションが上がる。デパートの外スペースにテントが張られすでに人が集まってきていた。
一瞬迷う。サインもらいに行ってる場合じゃないのでは。でも舞は昨日興奮して寝付けないくらい楽しみにしてたし、ニ十分も遅れているし、とついつい娘に甘い考えが浮かぶ。
結局サインに並びながら幼稚園に電話をした。舞が体験したこと、画像認証に異常はないかということ。調べてみます、と言う回答なのでなあなあになるなと思った。
サインは無事ゲット、写真も撮ってもらい舞はご機嫌だ。旦那にメッセージを送っても読むのは夜だろう、でも送らないわけにはいかない。すると速攻既読がついて電話がかかってくる。今日は取引先から直帰で、丁度今から帰るよと連絡しようとしていたらしい。
事情を説明すると今から帰るから! と電話が切れた。変な話だ、と笑い飛ばさず血相変えてくれる旦那に感謝しかない。
会社から社宅は歩くと三十分、バスや車を使えば五分ほど。幼稚園とか警察は旦那が帰ってきて相談して決めよう、と待っているとわずか五分でインターホンが鳴る。
対応モニターを見ると旦那だ。不思議に思いながら通話ボタンを押す。
「なんでインターホン鳴らしてんの」
「鍵忘れた、開けてくれ」
「……」
何もおかしくない。おかしくないが。しっかり者の洋介がカギを忘れる? 財布にくっつけているのに。私はじっとモニター越しに彼の顔を見つめる。
「ねえ。合言葉言って」
「早く開けてくれ」
「舞が今一番欲しいものなに?」
「……」
「私が欲しいって言った家電は?」
「……」
「洋介が自分から言ったんでしょ、忙しくてお願い事忘れちゃうから合言葉にして復唱しようって」
結局不審者の話は家でしたのだ。同じ幼稚園にお子さんが通っている職場の先輩から不審者の話を聞いていたそうだ。信用していいのは合言葉を知ってる人だけ、忙しくて約束忘れちゃいそうだから合言葉にしちゃおう、復唱できるし、と彼が提案した。
「わからないよね、あんたは洋介じゃないんだから」
「……」
画像の洋介、に似たモノは無表情だ。いつも穏やかな顔の旦那は絶対にしない冷たい顔。
「お迎えだけじゃないのね、あんたが来れる条件は。勉強になった。昔私にみられたことの仕返しのつもり?」
カナを連れて行ったアイツ。私が家に帰る時ちらりと私をみたのを覚えている。
「私たちは家族円満なの、カナと違って」
家が貧乏だからいつも私の文房具を盗んでしらばっくれていたカナ。忙しい母親が迎えに来れるわけないじゃん、と不可解に思ったが、教えてやらなかった。泥棒野郎にそんなことしてやる義理はない。おかげで次の日から私はストレスなく学校に通えるようになったのだ。
「私たちは合言葉を変えるよ、なんなら毎日。まだ続ける?」
私が冷たく言い放つとソレは能面の様に不気味に笑うと踵を返す。追い払ったか、と一息つく。
「ママ、みてみて!」
バタバタと走ってきた舞はリリンちゃんとの写真を見せる。満面の笑顔の娘の写真に私も笑みが溢れた。
その一分後、本物の洋介が汗だくで帰ってきてもちろん鍵を開けて入ってきたが、私に合言葉をやらされてちゃんと答えてくれた。
「もしかして来たのか、俺に化けて」
心配そうに言ってくれる洋介に私は眉をハの字にして笑う。タクシー使って帰ってエントランスから階段使って一気に走ってきたらしい。本当、良い旦那だ。
こんなに性格が悪い私にはもったいないくらい。
警察、と慌てる洋介を宥め、証拠はないし信じてもらえないだろうから幼稚園に注意喚起してもらおう、と提案した。
もちろん幼稚園には言う。さっくり軽めに。私たちのようにしっかり話し合いをしていれば何も問題ないのだ。誰にでもすぐにできる簡単な対策。
上辺だけのセレブ臭を撒き散らす家庭だって当然できるしやって当たり前だ。一度お知らせが来ているのだから。
――やってないだろうけど。
「合言葉、また考えないとね」
「ああ。気を引き締めないと。安いから住んでたけど、ここ引っ越すか、セキュリティ万全のマンションに。金貯まってきたし」
「私の貯金も使えば問題ないと思うから、そうしよう。ご近所もウザイし」
相手が人間じゃないっぽいからセキュリティの面は無理もないと思うけど、引っ越せるのはありがたい。まあ、ご近所はもうちょっとで静かになるから、急がなくてもいいけど。
鼻歌まじりに洋介の好きな唐揚げを作りながら、あと何日で「うちのマイ知らない!?」って来るかな、と考えて私は小さく笑った。
END