南野雪華さんの元カレになりきって手紙を書いてみた。
拝啓、南野雪華 様
ご無沙汰しております。
最初に、別れの挨拶が書置きになってしまったことをお詫び申し上げます。
この手紙は、その件についての釈明文でございます。
お時間をとらせますが、どうかお付き合いください。
風来坊を気取って全国を放浪していた私を、函館周辺での世話役にと名乗り出て拾ってくださった先生との出会いは、昨日のことのように覚えております。試される大地でさっそく死にかけた思い出とセットなので忘れようにも忘れられないというのが正確なところですが。
迎えにきてくださった先生に気付かず、雪に埋もれるまで待っていた私も私ですが、エルフと聞いていたのにコロポックルにしか見えない先生にも問題があると思います。
御存じのとおり、御厄介になったばかりの頃は、本当にエルフなのかと疑っておりました。
しかし水仕事を手伝ったときに見た、皸や節くれの目立つ手。若々しい見た目とは不釣り合いなその手を両手で包むように握ったとき、重ねてきた年月を感じました。間違いなく、この手でたくさんの人の手を握り、この地と共に長い時を生きてきたんだと思いました。
こんなに素敵な人を留めておくこの土地はいったい何なのかと、恋敵に嫉妬したものです。
ここからが釈明の核心となります。
先生と過ごすうちに、私は故郷への思いが日に日に強くなっていきました。できることなら、先生を連れて帰りたいと。先生に私の故郷を見せたかった。
同時に、それが叶わないこともわかっていました。
私の郷土愛は、先生から分け与えられたものです。株分けがどうして本家を越えられましょうか。私は先生から大事なことを教わったのに、先生にとって、手を握った数多の人間のひとりに過ぎない私には、何も返せるものがないのか。
考えに考え抜いて、私は、話のタネになることにしました。
追いかけて欲しいという書置きと、航空機のチケットを残して何も言わずに去ることにしたのです。そういえばそんな映画みたいな恥ずかしい真似をしたやつがいたな、と、思い出した先生に小説にしてもらえるような存在になりたかった。
後のことは御存じのとおり。私はひとりで空を飛びました。
それから私は故郷に根を下ろし、人間には相応の、私のような者には不相応なほど幸せな人生を送りました。こうして筆を執る気になったのも、改めて振り返ってみて、先生との出会いは不幸ではなかったと伝える自信ができたからです。
先日、余命宣告を受けました。誤解のないように申し上げると大往生です。エルフでおられる先生はいやというほど御存じでしょうが、人間とは短命なのです。残念ですが。
名残惜しくはありますが、そろそろ筆を置きます。
最後に、別れの挨拶がやはりこの世への書置きになってしまったことをお詫び申し上げます。
先生の益々の御健勝と、著作の変わらずのヒットを祈っております。
敬具
追伸
孫には、私が荼毘に付した後に手紙を投函するよう言いつけておりますが、もしかしたら、先生のもとに持参するかもしれません。そのときは、どうかよろしくお願いします。
先生が握りやすいと仰っていた、私とよく似た手の形をしている子です。
※この恋文は悪ふざけです。
実在の南野雪華先生およびコオロにはまるで身に覚えがありません。