僕が魔王になった理由
この世界へ来て二日目。
木のウロから這い出る、座ったまま寝たので体が痛い。昨日は、この木のウロを見つけるだけで精一杯だった。キッーキッーと鳴く獣の声、バサバサと何かが羽ばたく音。
うん、認めよう。ここは異世界だ。
寝て起きたら自分の部屋なんだと、自分に言い聞かせ目が覚めても変わらず森の中。
ふと気がつくと森の音が消えていた。
そして何処からか、沢山の足音がする。
粗野で乱雑に、跳び跳ねて、地を踏みしめて、真っ直ぐここへ。
恐怖に身がすくむ、 何が来るの?
それらは、すぐにやって来た。
「ひっ!」
たるんだ茶色の肌にぽっこりでたお腹、しわくちゃな顔で口からは牙が出てる、目は顔の半分はあるだろう、突出ぎみでギョロギョロと忙しなく何かを探して動いている。片手には棍棒、ボロボロの腰巻き。
これは、漫画でよくあるゴブリン?
逃げたくても動けない、頭を少し上げ30匹近いゴブリンの群れを見つめる。
ここで死ぬ?殴られる?
血が出るよね?痛いよね?
嫌だ。嫌だ。怖いよ!誰か助けて!
まだ、ゴブリンの群れは私に気がついていない。目を合わせたらヤバイ、咄嗟に目をつむる。ゴブリンの群れは、やはり何かを探している。
『ギギャー!!』
『グゲッ』
『グガア!』
何を話してるかわからない。
『ギャー!ギギャー!!』
『ギギャ?』
『ギャ!』
何かを見付けたゴブリンは興奮して盛り上がっている。まだ帰る様子もない。他にも何かを探して固まって動いていた気配がバラバラになる。
お願い早く帰って、嫌な汗が背中を伝う。お腹の下から恐怖が這い上がって体が震える。背筋はゾワゾワと悪寒が止まらない。少しだけ辺りを見たい、そう思って目を開けると。
すぐ近くにいる、一匹のゴブリンと目があった。
永遠かと思う程の一瞬の後。
『グガア!!!!!』
ゴブリンは棍棒を振りおろす。
「ぎゃっ!」
目から火花が飛び、頭を殴られグワンと目がまわる、他のゴブリンが気がつき、騒ぎ出し集まってくる。
嫌だ、死にたくない。
その時、声が聞こえた。
「隊長こっちです!」
「いたぞー!」
「こっちだー!」
私は地面に倒れこみ意識が遠くなる、その間も大勢の声や金属が擦れる大きな音とゴブリン達のわめき声が聞える。
あぁ、誰か来てくれた…助かったんだ。
そこで、私の意識は闇に飲まれた。
□□□□
目を覚ますと、大きなテントの中、地べたに薄い敷物を敷いただけの場所に転がされていた。
頭には何か巻かれているようなので、治療をして貰ったようだけど何か掛けてもらっている訳でもなく雑な扱い、隣には私と同じように包帯を巻かれて転がっている人達がいる。
その中に隣の席に座っていた男性がいた。
そうか、皆こっちにきたんだ。
一昨日、飛行機に乗っていたのに、気がつけば森の中にひとりでいた。パニックになって闇雲に歩き回り疲れ果て木のウロの中へ隠れて寝たのだ。
ゆっくり体を起こす。
「あ、起きました?大丈夫ですか?」
声が聞こえた顔をあげると、ドラマや映画に出てくるような甲冑を着た人がテントに居る。
「あの、ここは?」
「あ、すみません起きた方は、隊長に会って頂くのでこちらへ」
「…ええと、はい」
「隊長から説明がありますのでご安心下さい」
声からしてまだ若い彼に案内され、テントから出ると、目の前には大きな湖畔があり、ドラゴンや翼を持つライオンそれと甲冑姿の人々が大勢いた。
初めて見る生きたドラゴンに度肝を抜かれ、戦時中なのだろうピリピリとした空気が肌を刺す。
泥濘んだ地面をゆっくり案内され目的のテントの前に来ると直立不動で大声をかけた。
「ライアン隊長!ご婦人1名お連れしました!」
「入れ」
案内してくれた彼が、テントの幕を上げてくれ私は恐る恐る中に入ると、簡易テーブルを囲み座っている迫力のある男達が数人いた。
皆ガチなマッチョだ。全員の視線が私に突き刺さる。
中でも一際目立つ男前がいる。浅黒い肌に短く刈り込んだ黒髪と澄んだ緑の瞳。
「さ、どうぞ」
「は、はい…」
彼等から少し離れた所にある椅子を勧められ腰掛ける。あの男前が自己紹介した。
「ええと、何から説明したからいいのか…私はグレイデア帝国第1騎士団隊長ライアン・シュトエングだ。貴女の名前を聞いても?」
「私は日本人で、田中美舟と言います」
「ニホンジン、タナカミフネ」
「田中が家名なので、田中と呼んでもらえたら」
「では、タナカ。いきなりで済まないが『ステータス』と言って欲しい」
「え、あ、はい『ステータス』」
「何か見えるとおもうが」
「うわっ何これ。あ、はい見えました」
「そこに称号は何と?」
「称号は…特になにもないです」
「…そうか。いや、いきなり申し訳ない実は」
彼から説明された話は、西にある小さな王国が大規模な召喚魔法を行い各地に異世界から人々を落としているのだと言う。何故大規模な召喚を行ったのかは不明で現在秘密裏に調査を進めているそうだ。
ただ噂では、魔王が現れるから対抗する為なのではないかと言われていた。
なにその迷惑極まりない行為。そのせいで死にそうな目に合ったんですけど。
「我が国の大賢者が、黒の森に大勢の落人が来ると予言したのが3日前。慌てて駆けつけると魔物に襲われている貴方達がいたので救出したという訳だ」
「なるほど、助けて頂いてありがとうございます」
「間に合って良かった。それとこれからの事なのだが、一応称号がある者だけを保護しろとの命令をされている」
「保護…え…」
「なのでタナカは対象外となる、申し訳無いがまた森に戻す事となった」
「え?またあそこに?」
彼等は冷たい眼差しで私を見た。
「では、直ぐに出てもらえ」
そう言い終わると、私を案内してきた彼に声を掛けた。
「カイル、森までお連れしろ」
「はっ!」
言いたい事は沢山あったけど、助けて貰った人達に言うことじゃないと飲み込んだ。
さっき何もないって言ったけど、実は表記されてる。
『冷蔵庫持ち』
なにこの冷蔵庫持ちってこれが称号なの?意味が分からない。ステータスにある『冷蔵庫』という文字を唱えると目の前に自宅の冷蔵庫がでた。しかも私にしか見えない。隣にカイルさんが居たけど全く気がついていなかった。冷蔵庫を開けてミネラルウォーターを出して閉める。カイルさんは急に現れた物体に慌てていた。
「え?それはどこから?」
「ポケットに入ってたみたいです」
ニッコリ笑って押し切る、明らかにおかしいのに、異世界人は、こんなものかと勝手に納得していた。
チョロい。
手に持っていても邪魔なので冷蔵庫に入れようとしたら、ミネラルウォーターが補充されていた。どうやら食べ物に困る事は無さそうだ、ありがたい。
森にはワイバーンに乗せられ、あっという間についてしまった。鞍から降ろしてもらうも足腰ガクガクで産まれたての子鹿になっている。
「では!タナカ私はこれで!」
カイルさんが改まって私に別れの挨拶をしてくれた。私はワイバーンに乗り去って行く後ろ姿を見つめるだけだった。
カイルさんは親切にも私がのってきた飛行機まで連れてきてくれていた。扉は開けられ縄梯子が掛っていた。
縄梯子なんて使った事もないから、上がるのに苦労したけど人間必死になるとなんとかなるもんだ。
あのゴブリンが怖かったから、縄梯子は引き上げる。
機内には誰も居ない。捨てられてしまった。
でも何となくだけど、称号があると言ってはいけない気がした。
機内食でも食べてみようかと温めようと思っても、エンジンもついてないから電気も流れていない訳で。
ただの冷たい鉄の塊が私の家になった。
森の木々が赤や黄色に染まり、気温もぐっと下がってきた。ここにきて1か月だろうか、これはもしかして冬になるのかもしれない。温かいお風呂に入りたい、もう川の水で体を拭くのは冷たくて無理だ。
冷たい水に手をつけるのも震えて無理なほど気温は下がっている。
パキリ。
小枝を踏む音、振り返ると頭に捻れた黒い角がある美貌の青年が立っていた。
□□□□
「ミフネー?居ないのー?」
黒の森の奥深くに魔女が住んでいる。
1年前に突然現れた大きな銀色の塊と大勢の落人に世界は狂乱した。
彼女は、大勢いた落人のひとりだって話だけど眉唾だと思ってる。だって伝承だと落人は勇者だったり聖女だったり皆凄い偉業を成し遂げて元の世界へ還ってゆくのだ。昼近くなのにまだ寝ている、ぐうたらなのは魔女であって落人なんかじゃない。
村から伸びる1本の獣道、細く続く道を草や木の根を掻き分けて延々歩くと突き当りに魔女の家がある。
すっかり苔や植物に覆われた銀色の塊を家にしてる変わり者だ。途方もなく大きな塊の入口は地上よりも上にあり縄梯子が垂らされている。
1度だけ、階段にしてよと文句を言えば、魔物がきたら縄梯子を隠せばいいから安全だと言われた。
あいつらはジャンプするけど。と思ったけど取りあえず黙っておく。
入口には扉もなく、只の布切れが張られていた。
縄梯子を上がって布を捲り中に入ると、やっぱり床に魔女が寝ていた。
「ミフネ起きてよ!」
ゆさゆさと揺すると、ううとかああとか言ってる。辛抱強く揺すると漸く起きた。お酒臭いし涎まみれだ。
「ミゲル」
「ミゲル、じゃないよ!皆待ってるよ!何寝てるの?!」
「…ごめん、あのさ。やっぱり「駄目!絶対無理」うっ」
あんまり怒らない自分だけど、ここにきてそれはない。
「怒るよ?」
もそもそと起き上がり、深酒でぱんぱんに腫れた顔をしてる魔女の黒い瞳に見る見るうちに涙が溜まる。
「ゔぅ、無理だよ!ミゲルの嫁になって村で暮らすとか!」
「この間は納得してくれたじゃない!また誰かに何か言われたの?!」
僕の好きな人は泣き虫で根性なしだ。
「違うよ!自分で考えたの!」
「またそれ?」
「そうよ!またそれだよっ!!」
あ、逆ギレした。
この間もグダグダと、自分は年上だの、異世界の人間だからいつか帰るかもしれないだの、子供が出来ないかもしれないだの。だのだの煩かった。
「ミフネ面倒クサイ」
そう言うとミフネは傷ついた顔をするけど、傷ついてるのは僕の方だよ。
毎回だのだのに付き合ってミフネを慰めて、僕だって拒まれて傷つくんだけど。でもそれをミフネは理解してない。傷ついたのは自分だけだと思ってる。
残酷な事を言ってる自覚がないから、なんで僕が怒り出すのかも分からない。
未来が怖いのは僕も一緒。だから、一緒に乗り越えようって何度も伝えてるのに。
「ミフネが後悔しないなら、いいよもう好きにしなよ」
「え?」
「ミフネと決めた事だと思っていたけど、違ったんでしょう?だから今頃になって止めたいなんて言い出すんだよね。ミフネの事を好きなのは結局僕だけなんだよ」
「え?あ…」
「ミフネが言って欲しい言葉じゃなかった?いつもみたいにすがりついて欲しかった?ごめんね。でも僕も傷ついてるんだ。今更結婚したくないって言われてどんな気持ちかわかる?理由なんか下らない事じゃん」
「下らなくない!真剣だよ!」
「ミフネ、話をすり替えないで、今僕は傷ついてるんだ。君に拒絶されてるから、いつも君にされてる事にフォローもなにもない、ねぇ一緒に乗り越えようって言ったよね?僕だけが努力したらいいの?」
「…」
「ごめん、今日は帰る。皆には僕から話しておく。落ち着いたら連絡頂戴それじゃ」
とぼとぼと獣道を歩く。
やっぱり駄目なのかな、ミフネは自信が無いからって言ってるけど、僕の事を信頼していないだけなんじゃないのかな。どんどん思考は悪い方に傾く。
ミフネに出会ったのは1年前、落人の集団が帝国の騎士団に保護されて、皆居なくなってから見つけた。
偶々結界に反応があって見に来たら、川っぺりで震えていた。声を掛けると、火が起こせなくて寒くて死にそうと言った。
まぁそうだろう、もうすぐ雪がふる季節だ。
可哀想になって火の魔法を教えると物凄く感謝され、お礼に軽い入れ物に入った冷たい水を貰った。
みねらるうぉーたーだから!なんてドヤ顔されたけど単語の意味はよくわからなかった。
だって只の水だよ?魔女のエン婆様とかは、よく聖水を村の祭りの時に魔法で出してるし。
ただ、その屈託の無いドヤ顔は可愛いなと思った。そう胸が締め付けられるくらい可愛いと思ったんだ。
それからはゆっくりと距離を縮めて、ミフネを支えて愛し合っていたと思っていたけど。
「ミ…ゲ…ルー!」
森の奥深くから足音と僕を呼ぶ声が聞こえてきた。
きっと涙でぐしょぐしょなんだろうな。ちょっとだけうんざりしてたら、ミフネが走ってきて僕に追いついた。
びっくりしたのは、涙なんか流してなくて、何か吹っ切った顔をしていた事。
「ミゲル、今までごめん。ミゲルの優しさに甘えて、ミゲルの愛情を確かめるような事ばかりして、本当にごめんなさい」
頭を下げてミフネは僕に謝る。
「ミフネはどうしたい?」
ミフネは真っ直ぐ僕を見て言った。
「ミゲルと生きたい、ミゲルとずっとずっと。だからもう一度チャンスを…」
そういいかけたミフネは忽然とその場から消えた。
「ミフネ?ミフネ!ミフネーーーー!!」
いくら探してもミフネは見つからなかった。ミフネは魔女なんかじゃない、分かっていた落人だって。
村の皆が余りにも僕とミフネが来るのが遅いので迎えにくると半狂乱でミフネを探す僕を見つけた。
ミフネが、怖がっていた理由がわかったよ。
馬鹿だなあ、この世界が壊れそうならまたきっと会える。魔王になった僕にきっとミフネが現れる筈だ。
今日も、知らない勇者がやって来た。
帝国の第1騎士団隊長だとか笑わせる。帝国ならば、今しがた滅ぼして来たのに。落人を沢山囲っているというからミフネも拐われたのかと思ったら最初から居なかったと言われた。
こいつを倒したら西の王国にでも攻めいろう。
かの国が落人を召喚したのだ、もしかしたらミフネがいるかもしれない。
あぁそうだ、きっと居るはずだ。
あぁ、ミフネ。愛しい君に早く会いたいよ。