4. それぞれの思い
「ところで、肝心の勇者はどこに行ったんだよ」
「ああ、家かも」
勇者は王都の自宅に帰ったらしい。落ち込むことがあるとすぐに家に帰るようだ。二人の慣れた様子からよくあることであることが窺える。
勇者の家は少し離れた静かな郊外にある一軒家であった。俺も将来は美世子とこんな所に家を建てたいものだ。
「一人で住むには随分でかい家だな」
「一人じゃないわ」
「え?」
「あれ? 鍵が掛かってる。まったく……」
エペは服のポケットから鍵を取り出して家の扉を開けた。
「セイヴ! いるんでしょ!?」
ずかずかと家に踏み込むエペに俺がおろおろとしているとムスリクがそっと俺の背を押した。
「いつものことだ」
「そうなのか?」
エペは一室の部屋の扉を叩いた。
「セイヴ、出てきなさい」
しばしの沈黙の後、扉がそっと開かれた。
「姉さん、うるさい」
「あんた勝手に家に帰るの辞めなさいよ。いちいち面倒なのよ」
「別にいいだろ」
「あんたはちゃんと女神様を召喚出来たんだから自信持ちなさいよ」
「でも、なんかあの女神、この世界のことよくわかってないし……本当に俺達の力になってくれるか……」
「大丈夫よ。ちゃんと女神の力持ってたから。姉さんがちゃんと確かめておいたから」
「本当?」
「本当よ」
こいつら、姉弟だったのか。それにしても初対面のときのしっかりしてそうな雰囲気は何処へ行ってしまったのか、年相応の思春期男子って感じだな。
「ほら、女神様も一緒に来てるわよ」
「よ、よっす!」
急に話を振るんじゃねえよ。俺はまだまだ状況を理解するのに手一杯なんだ。
「……」
「お、おーい」
俺の顔をじっと見つめてから視線を彷徨わせ、そしてキメ顔を作るとセイヴは俺に歩み寄った。
「すまない。見苦しいところを見せたな」
「いや、もう情けないところ見てるから無理しなくていいぞ?」
セイヴはすたすたと自室に戻り、その扉は再び閉められた。
「……要らんこと言ったか」
「まあ、いつものことだ。ははは!」
「仕方ないわね。もう今日のところは解散しましょう」
ため息混じりにエペが呟いた。ムスリクは自身の家に帰って行き、住居のない俺はエペとセイヴの家に泊まることにした。本当はムスリクの家に泊まろうとしたらエペに止められた。
「ジンノはうちに泊まりなさい」
「いや俺、今は女の姿してるけど彼女持ちの男だしさ……。女の家に泊まるってのはちょっと」
「セイヴがいるでしょ。話したいことがあるの」
「……わかったよ」
鋭い眼光で睨まれれば従う他なかった。
***
この世界は日本と似ている。建物の外観や景色は異質なものだが、生活様式は日本と大差ない。しかも言語が普通に通じている。これに関しては某国民的機械ロボットの翻訳する食べ物的な機能かもしれないが。
「異世界にも風呂はあるのか」
体が小さくなったせいか、この家の風呂がでかいのか、湯船で足を伸ばせる。なんて快適なんだろう。それにしてもこの体、胸でかいよな。むにむにと揉みしだいてみてから何故か虚無感が襲ってきて止めた。
ゆっくりと湯船に浸かりながら俺は食事の席のことを思い出してた。
美世子程ではなかったがエペの作る飯も素晴らしく美味かった。そのとき聞かされたのがエペとセイヴのことだ。彼らは早くに両親を亡くし、ずっと二人きりで生きてきたらしい。エペは長らく弟を甘やかして育ててきた。十六の若さで勇者に選ばれた弟が心配で旅について行く程だ。だが、その際でセイヴがいつまで経っても一人立ち出来ないのではないかと悩んでいた。俺からしたら十六なんてまだまだ子供だと思うが。勇者という立場もあり、そういうわけにもいかないらしい。
女神を召喚出来たことが彼の自信に繋がり、一人前の勇者になれるのではないかと思っていたが、召喚されたのはただの女神ではなく、異世界から来たとかぬかす俺。失敗したわけではないし、セイヴのせいではないが、女神の召喚もろくに出来ないと落ち込んで欲しくない。だから、俺が異世界から来たとセイヴには言わないで欲しい。そういうことだった。
それも弟を甘やかしてるんじゃないかと思ったが、俺がセイヴに自分のことを話さないことで不利益を被ることもない。俺はエペにセイヴに俺が異世界から来たと話さないことを約束した。
「さて、そろそろあがるか」
俺が浴室から出るのと、セイヴが洗面所の扉を開けるのは同時だった。裸の俺をじっと見つめ、そして静かに扉を閉めた。
「まあ、待て待て!」
俺は勢いよく扉を開け、立ち去ろうとするセイヴを洗面所へと連れ込んだ。
「俺達これから頑張って闇の王を倒そうっていうチームなわけだ。仲良くしようぜ」
「な、何」
「まあ脱げよ。裸の付き合いと行こうじゃねえか」
「は、裸!?」
無理矢理服をひん剥き浴室に押し込んだ。
俺達は浴槽の中で向かい合って座った。流石に二人で入ると狭い。
「お前、女の裸見たことないのか?」
さっきから視線が泳いでいる。
「馬鹿にするな。あるよ」
「姉ちゃんはカウントしねえからな」
「……」
姉ちゃんの裸しか見たことがないと。
「……何で俺を連れ込んだ?」
「お前、風呂入りに来たんだろ?」
「そうだけど、一緒に入る必要はないだろ」
「だってお前、俺が失言したら部屋に篭っちまうだろ? 風呂なら逃げられないかと思ってさ」
「もう逃げない」
「本当かー?」
「そもそも貴女が失言しなければいい」
「そりゃごもっともだ」
調子良く話しているが顔も耳も赤いし、首まで赤くなっている。
「お前童貞か」
「……そういうところだぞ」
「おっと、悪かったな」
嫌な静寂が訪れる。
「……お前の姉ちゃんさ」
「ああ」
「お前のこと心配してるぞ」
「わかってるよ」
「お前が変に落ち込むから俺に対してめちゃくちゃ怖かったんだぞ。いきなり魔物の前に置き去りにしてさ、女神の力見せろとか言ってさ」
「ははっ。姉さんそういうところあるから」
「笑い事じゃねえって。こっちは死ぬかと思ったんだ。まあ、おかげで俺にちゃんと女神の力とやらがあることはわかったからいいけどよ。すげえぞ。魔物は俺に触れることも出来ずに吹き飛ぶんだ」
この力があれば怖いもの知らずだ。勇者はこんなチート女神を召喚出来たんだから自信持ってどんと構えてろよ。俺はそんな思いを込めてセイヴに拳を突き出した。
「?」
「手を出せって」
首を傾げて俺の拳をセイヴは包み込んだ。ちょっと思っていたものと違うがまあいい。
「俺達で力を合わせてさっさと悪徳大臣も闇の王も倒しちまおう!」
そして、俺は美世子を探すんだ。
「……貴女は、変な女神だな」
「へへっ、よく言われるよ。さて、もう出るか、な……」
立ち上がった瞬間、視界が揺れた。
「あ、やべ……」
こりゃ、のぼせたな。
俺の体はふらりとセイヴの胸元に倒れ込んだ。セイヴの焦った声が何処か遠くに聞こえた。俺はそのまま意識を手放した。
***
気がつくとベッドの上で寝かされていた。服は着せられている。セイヴが運んでくれたのだろうか。
前の世界では長風呂をするのが好きだったがこの体では難しそうだな。魔物を吹き飛ばせる女神と言えど、以前と同じ感覚で過ごしていたら無理が生じることもあるようだ。
「目が覚めた?」
「エペ、悪いな」
「いいわよ。これくらい。でも、貴女ね……今は女の体だってこと自覚した方がいいわよ」
「あ?」
「弟を誑かさないで頂戴」
「ばっかお前! 俺はお前に言われたからあいつに自信を付けさせようと思ってだな」
「はいはい。あの子はね、女慣れしてないの。旅の途中も悪い虫が付かないように私がしっかり目を光らせていたんだから」
だからお前そういうところが過保護なんだぞと言いたかったが、エペの文字通り眼光が怖すぎて言えなかった。
「ところでこのベッドって」
「私のよ」
「ああ、悪いな。占領して。俺床で寝るから」
「気を使わなくていいわよ。旅をしているときは野宿して地面で寝ることなんてしょっちゅうだったし」
「そういうわけにはいかねえよ。俺には美世子がいる。女のベッドで寝ることも部屋で寝ることも出来ない」
「どこで寝るのよ?」
「セイヴの部屋に決まってんだろ」
「誑かさないでよ」
「わあかってるって。何か疲れたしもう寝るわ。おやすみ」
エペの部屋を出てセイヴの部屋の扉を叩いた。
「おい、セイヴ! 開けろよ」
ゆっくりと少しだけ開けられたドアの隙間に腕を差し込んで無理矢理中に押し入った。
「なっ」
「みみっちい事すんなよ」
「……か、体は大丈夫なのか?」
「ん? ああ、迷惑かけてごめんな。少し怠いくらいで平気だ」
「よ、よかった」
セイヴの奴、顔が赤いな。
「お前ものぼせたんじゃないか? 顔が赤いぞ?」
そっとおでこに手を当てると熱い。
「熱あるのか? エペを呼ぼうか」
「い、いいから。本当に大丈夫だから!」
「そうか?」
「それより何しに来たんだ。早く寝た方がいいんじゃないか」
「ああ、そうだ。俺、今日はここで寝させて貰うから」
俺の言葉にセイヴは目を大きく広げ、更に顔を真っ赤にして狼狽た。
「な、だ、駄目に決まってるだろ!」
「しみったれたこと言うなよ。ベッドを使わせてくれって言ってるわけじゃねえんだ。床で寝かせろって言ってんだよ」
「それの方がもっと駄目だ!」
「じゃあどうすりゃいいんだよ?」
「姉さんの部屋で寝ればいい」
「それは論外。俺、(美世子以外の)女の部屋で寝るとか無理」
「じゃ、じゃあ……えっと」
「あ、そうだ。一緒に寝るか」
うん。それがいいな。幸い今の俺は女にしても小柄な方だ。セイヴのでかいベッドで二人で寝ても窮屈ではないだろう。
「あ、あ」
「名案だな。じゃあお邪魔しまーす」
「な、なな」
「何変なこと言ってんだよ。早く来いって」
セイヴの腕を引いてベッドに寝かせた。だがセイヴは目をかっ開いて天井をじっと見つめている。
「寝れないのか? 子守唄でも歌ってやろうか?」
「……」
返事がない。これは肯定と受け取っていいのだろうか。俺はセイヴの腹をぽんぽんと叩きながら子守唄を歌った。そうしているうちにいつの間にか俺自身が寝落ちしてしまった。
翌日、目を覚ました俺が見たのは昨夜と寸分の違いもなく天井を見つめているセイヴの姿だった。
『女神ジンノと勇者は心の距離が少し近づいた』