30. 君の無事を祈って
単身、敵の元に襲撃をかけるなんて、馬鹿のやることだと思っていた。今だってそう思っている。だが、馬鹿なことだと思っていてもやらなくてはならない時があるのだと知った。
ムスリクはため息をついてからトライバルが目撃されたと言う廃坑に入って行った。
薄暗い坑道を奥へ奥へと進んでいく。頼りは手元の小さなランタンだけ。こんなところに本当にトライバルがいるのだろうか。だが、確かにこの廃坑に入ったのを部下が目撃している。それからずっと部下が入り口を見張っているが、中から一人として人は出て来ていない。
外にいる部下達は撤退させた。彼らは何も知らない。シカバがドラガーナの王子であることも、ムスリクが王子の体ごとトライバルを殺すつもりなことも。
坑道先、天井の開けた場所に男はいた。空には月が見える。
「やあ。今夜はいい夜だね」
「そうだな」
「君なら来てくれると思っていた」
「お喋りをしに来たわけではない。お前を殺しに来たんだ」
「物騒なことを言う。少しは話を聞いてくれてもいいだろう? 最近僕は話し相手が居なくてね。寂しいんだ」
「嘘をつくな」
この男の周りには死霊が漂っている。屍術師であるトライバルは死霊と交信することが出来る。
「本当さ。僕は尽く協力者に恵まれないんだ。そろそろ僕も仲間が欲しいと思うんだ」
「……」
ムスリクはトライバルに切り掛かった。影が塊となってその刃を遮る。
「話は最後まで聞いてくれよ」
「お前の話に興味はない」
躊躇なくムスリクは刃を振り上げた。
トライバルはその刃を影でいなしながら避けるが、徐々に動きは鈍くなってきている。ムスリクの圧倒的な猛攻を前に、彼は攻撃をいなす事しか出来ない。
遂にムスリクがトライバルを押し倒し、その首に刃を当てた。首を切り落としてしまえば流石の屍術師もなす術なく死ぬ。
「ムスリク!」
彼女の声がした。
視線を逸らしてしまった。彼女の無事を確認したくて、トライバルから逸らしてしまった。
声の先には影が揺れているだけだった。
「恋とは人を狂わせる」
トライバルは懐から出した注射器をムスリクの胸に刺した。
***
影の後を追った先には廃坑があった。影は坑道の中に消えてた。
「この中か……」
暗いし、普通に怖い。だけど、立ち止まるわけにはいかない。震える足を両手で叩きつけてからキッと前を向いた。
「行くぞ」
「おうっす!」
「あー畜生。お化け屋敷とか苦手なんだよな、俺」
話していないと恐怖に心臓を掴まれそうだった。
「よく心霊番組でこういうとこに入る奴の気がしれないと思ってたけど、本当に気が知れねえわ」
「何言ってるかわかんないっすよ」
「ムスリク、よく一人でこんなとこ入れるよな」
「隊長は強い男っす」
「なら俺は、普通の男だな」
「俺も強い男っす!」
「お前怖くねえの?」
「当たり前っす!」
「嘘つけ。震えてんぞ」
「これは、武者震いっす!」
軽口でも叩いていないと進む勇気が出て来なかった。坑道の中はやけに静かで、本当は俺達二人しかこの坑道には居なくて、この先にムスリクやトライバルは居ないんじゃないかとすら思えた。
嫌な感じがする。
突然、獣が唸る様な雄叫びが聞こえた。坑道内が揺れる程の怒号。
「ムスリク!」
俺は恐怖も忘れて駆け出した。足下が悪くて何度か転びそうになりながら走って行くと、天井が開けた場所に出た。随分と遠くにある月の光に照らされていたのは、にやついた笑みを浮かべて立っているトライバルと、地面に倒れて頭を抱えているムスリクだった。
「ムスリク!」
「近づかない方がいい。彼を消したくないのならね」
トライバルはムスリクを蹴り上げて転がした。
ムスリクの目が大きく開かれる。その目は真っ赤に燃えている。口が裂けて鋭い牙が覗いている。
「ぐ、があ、ああ、ジン、ノ。に……ゲろ……」
彼の目が俺を捉える。その顔から次第に彼の面影が消えて行く。その体は灰色の毛に覆われていく。
「嫌だ……ムスリク」
「コーイチ……逃げるっす」
「ムスリク」
「コーイチ!」
俺はその場から動けず、ムスリクが灰色の巨大な狼の魔物に姿を変えるのを見ていた。
「ぐががががあああ!」
醜い叫び声を上げて彼は俺に向かって駆け出した。
「コーイチ!」
俺とムスリクの間にシカバが体を割り込ませた。バチりと音を立てて俺とシカバは一緒に吹き飛んだ。
体は痛んだが、それよりもムスリクが消し飛んだのではないかと、パッと視線を上げた。ぶつかってきた彼にも衝撃があったのだろう。苦しそうに吠えているが、間に緩衝材があったお陰か、ムスリクの体は消えてはいない。だが、体の一部が焼け爛れた様になっている。
「いい子だ。さあ、女神を喰い殺してしまえ」
死霊がムスリクの中に入って行くのが見えた。彼は焦点の合っていない目をぎょろぎょろと動かして雄叫びを上げる。
俺に触れたら、ムスリクが死んでしまう。
「畜生!」
気を失っているシカバを抱えて坑道に向かって走った。
「追え」
狼の姿の魔物に追いつかれないはずがない。すぐに、回り込まれてしまった。
「ムスリク、嫌だ。お前を消したくない。殺したくない」
彼の口から漏れるのは獣の唸り声だけ。人の言葉も、理性もない。いくら彼に話しかけたって無駄だ。
「嫌だ、嫌だ嫌だ! もう大事なもんが消えるのは嫌だ!」
また目の前で消えるのか。俺が、消すのか。
「ムスリク……」
彼はその鋭い牙を剥いて俺に向けた。
『女神の力は仲間をも消す』




