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1. 彼女がいなくなりまして

 


 彼女と付き合いだしてから三度目の春。同棲してから一年。俺は今日、彼女にプロポーズをする。

 前々から計画していたデートコースを辿り、夜は夜景の見える洒落たレストランでプロポーズだ。ありきたりでベタかもしれないが、彼女の思い出に残るようなものにしたい。


 待ち合わせ場所は近所の自然公園の噴水の前。わざわざ彼女より先に家を出て外で待ち合わせをした。めかし込んだスーツのポケットの中には指輪の箱。彼女がこの日の為に新調したワンピースを着てくることはわかっている。あからさまなデートプラン。

 彼女は俺が今日プロポーズすることをわかっている。それでも嬉しそうに知らないふりをする彼女が堪らなく愛おしい。


「夜景の見えるレストランで指輪をパカってするプロポーズ、憧れるな」


 いつだったか冗談まじりに彼女が言ったその台詞は俺の記憶に深く刻まれ、今日、この日を迎えた。


 本当に今日が晴れでよかった。一日晴れの天気で雨が降る予報もない。

 清々しさを感じる空気をいっぱいに吸い込んだ。それでも高鳴る心臓は落ち着かない。今朝だって顔を合わせている筈なのに何だか緊張してしまう。

 そわそわと視線を彷徨わせていると遠くに彼女の姿が見えた。普段、履き慣れていないヒールの靴もこの日の為に買っていた。


「美世子!」

「こうちゃん」


 嬉しそうな笑顔を浮かべる美世子は世界中のどんな人より綺麗だ。しかし、俺が彼女の手を取ると彼女の顔は一変した。目を見開き、それから表情が無くなった。


「あ、め……」


 彼女が小さく呟くと急に空から大粒の雨が降り出した。


「えっ」


 天気予報では今日は一日晴れのはずだ。思わず空を見上げてから美世子に視線を移すと、彼女は消えていた。

 今の今まで目の前にいたはずの彼女が雨に溶けたように消えていたのだ。彼女が立ち去る音なんてしなかった。そもそも目を離したのは一瞬のことで、どこかに立ち去る隙なんてなかった。


「美世子、美世子!」


 わけがわからず俺は叫んだ。だが、彼女からの返事はない。辺りを見回し彼女の姿を探してみても雨に遮られた視界には何も見つけられない。

 彼女が物凄いスピードで物音も立てずに俺の前から一瞬で消えることなんてあり得るだろうか。それも慣れないヒールの靴で。実際問題、彼女はいなくなっている訳だが俺はとても信じられなかった。

 美世子が目の前から消えたことよりも、今、俺が見た美世子が幻覚だったと言われた方がまだ信用出来る。そうだ。そうに違いない。


 俺は走って家に戻った。おろしたてのスーツはびしゃびしゃに濡れてとてもレストランに行ける格好ではなくなってしまったがそんなことはどうでもよかった。一刻も早く美世子の顔が見たかった。


「美世子!」


 2LDKの部屋の中は暗く、静まり返っていた。人の気配は、ない。ノックもせずに美世子の部屋を開けた。


 中には、何も無かった。


「はっ……どういうことだよ……」


 空の部屋に座り込み、震える手でスマホを起動させた。美世子から何か連絡が来ているかもしれないと思ったが、そこにも何も無かった。連絡どころか美世子のアドレス自体が完全に消えていたのだ。


 今朝までは美世子も、美世子の部屋もアドレスも確かにあったのに、たったの数時間のうちに全てが消えた。俺はポケットの中の美世子に渡すはずだった指輪を握り締めて、何も無い床をじっと見つめた。


「あ、どうもこんにちは」


 突然、頭上から男の声がした。パッと見上げると胡散臭そうな笑顔を顔に貼り付けた中年の男が、部屋の中央に立っていた。


「誰だ」

「どうも。私、この世界の番人をさせて貰ってる者です。以後お見知り置きを。ってこれから忘れて貰うのにこんな台詞必要ないか」

「……番人? 漫画の見過ぎじゃないか? 不法侵入だ……ぞ」

「まあまあ、私の話を聞いてくださいよ」


 俺の言葉を遮り男が顔をずいと近づけてきた。


「貴方の恋人、消えちゃいましたね」

「なっ」

「先程から美世子美世子と、聞いていましたよ? 驚くかもしれませんがね。実は彼女、この世界の住人じゃないんですよ。彼女は元の世界に帰ったんです。私、この通りね、この世界の番人やらせて貰ってますから。この世界の均衡を保つ為にこの世界の彼女の痕跡を消さなくてはいけないんですよ」

「だからこの部屋も空なのか」

「そういうことです」


 男の話はにわかには信じ難いが、実際に美世子は消えている。こんなとんでも超常現象でも筋は通っている気がした。


「だからね。貴方の中の彼女も消さなくてはいけないんですよ。本当は」

「……嫌だ」

「ですよね。そう言うと思っていました。それに彼女の記憶を消したところで、貴方の中の彼女の存在が大きすぎて行動に矛盾が出てしまうんですよ。はい残念ながら」


 言葉の割に男は至極楽しそうに言う。


「だからね、貴方を消してしまうのが一番手っ取り早いんですよね」

「は?」

「ああ、すみません。語弊がありましたね。貴方の存在を消すわけではありませんよ。そんなことをしたらまた大きな矛盾が出てしまいかねませんから。この世界での貴方は死んだことにしませんか、と提案しているのです。ええ、ええ、わかります。貴方の戸惑いは充分にわかります。ですが、これは貴方にも良いお話なんですよ?」

「……どう言うことだ」

「貴方を貴方の彼女がいる世界に送ります。この世界では死んだことになりますが、貴方は彼女のいる世界に行ける。私は処理が楽になる。双方にとってこれ程良い話はないでしょう。如何ですか? 勿論強制は致しません」


 突拍子もない話だ。本当に信用していいのかはわからない。


「断ったらどうなる?」

「貴方の記憶を消します。それから矛盾が生じないようにいくつかの処理を。これが大変なんですよね。私としてはおすすめしたくないのですが」


 こいつが考えているのは自分のことだけだ。俺の為に美世子の元に連れて行ってくれるわけではない。だが、俺は美世子と共に生きたい。それだけは確かだ。


「わかった。俺を美世子の元に連れて行ってくれ」

「ええ、勿論です。貴方ならその選択をして頂けると思っていましたよ」


 男が頷き、床に手を触れると部屋の中が真っ白な光に包まれた。視界が遮断され、意識が遠のいた。


「次の世界でお幸せに」


 あの男の声が聞こえた気がした。



 ***



「女神様だ。女神様が降臨された!」


 ざわざわと人が騒めく声が聞こえる。


 何だ? 俺の部屋じゃない……。


 薄っすらと目を開けると、そこはテレビで見たことがある様なステンドグラスが美しい大聖堂の様な場所だった。辺りには現代日本とは異なる服装の大勢の人。皆、俺の方を見ている。


「何処だ。ここは」


 女の声がした。まさに俺が言いたかったことだ。と言うか、俺が言ったと思ったことだ。


「よくぞおいで下さいました」


 倒れていた体を起こすと修道女と思わしき女が俺にローブを被せた。そこで気がついた。俺、裸だ。しかも、


「……女になってる」


 女の体にピンクの長い髪。正真正銘の日本人だったはずの俺の体は全く別のものに変わっていた。


「どうなってんだよ。これ」


 呟くと、大衆の中から三人の男女が俺に近づいてきた。高校生くらいだがしっかりしてそうな男と二十半ばくらいの気の強そうな女、それから女と同じ年頃の屈強な肉体を持つ男だ。


「突然呼び出してしまい、すまない。貴女の力が必要なんだ」


 一番若そうな男が言う。彼がリーダー格なのだろうか。


「どう言うことだ。説明しろ」

「女神ジンノ、世界を闇で覆おうと闇の王が目覚めてしまった。討ち滅ぼす為に貴女の力を貸して欲しい」


 よくわからんが、俺はこの世界で女神として呼ばれた存在らしい。なるほど、これなら矛盾なくこの世界に神乃(じんの) 光一(こういち)として溶け込めるかもしれない。……って、んなわけあるか!!

 何でどうしてこうなった!? 世界の番人は何を考えていやがる!?


「悪い……少し休ませてくれるか?」

「勿論だ。すぐ部屋に案内させる」


 混乱する頭を整理する時間が欲しかった。

 少し気が抜けて、ふと、握り締めていた拳を開くと、中には指輪があった。


「美世子」


 そうだ。この世界には美世子がいるはずだ。半信半疑だったが、世界の番人は実際に俺を別の世界に送った。ならば、この世界に美世子がいるという話も信用に値する。


 俺は、必ず美世子を見つけだす。そして、一生一緒にいることを誓うんだ。





『光の女神ジンノが召喚された』





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