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昔の思い出

作者: なと

昔の、田舎の風情のある物語です。

子供の頃の話を色を付けて話をしています。

昔棲んでいたU町は、小さな町だ。海の見渡せる、海沿いの街。内陸のほうでは、水田が広がり、シラスとか磯の海苔などが海産物だ。


昔は、北海道に住んでいた。北海道の頃は、北海道の都会に住んでいて、洋式の家に住んでいた。


ところが、4歳の頃、U町に引っ越してきた。




引っ越してきてからは、地域の子になじんでしまい、都会で住んでいたころの、美しいかんばせはなりを潜め、みんなと同様に子供の頃から目つきが悪くあたりを睨みつけてばかりのこどもだった。


同級生は、偏見と差別に満ち満ちていた、田舎の子ばかりだった。


私は、嫌われていた。


クラスの皆から、後ろ指を指されて、「あいつんちは、赤だよ」とか、言われていた。


当然の事だが、友達はいなかった。


というか、少しはいた。


その仲間も、性格は悪かった。


性格の悪い奴らとしか、友達になれなかった。


家の近くの神社の境内で、近くの自販機の下から拾ったお金で、学校の帰り道に、三人でジュースを飲んで、笑い合っていた。


学校の帰りには、飲み食いしてはいけない、と、学校の規定で決まっていた。


しかも、神社の境内の裏なんて、罰当たりだった。


不良だ。


田舎者だった。


だが、周りの同級生も、「やーいお前んちのおかあちゃんでべそ」ということを平気で言うような輩ばかりだった。子供なのに、偏見と差別に満ち満ちた同級生ばかりだった。


方言もきつかった。先生たちの間では、私たちの学年は、暗い学年だと、先生にまで、悪口を言われていたのだった。




そんな私にも、親や兄弟はいた。


おばあちゃんが、おかしかった。


おかしいというのは、頭ではない。


昭和の人だった。


家は、昔猟師をやっていた。漁民だった。


おじいちゃんは、お魚を取ってきて、煙草の吸いすぎで、私の小さいころ、死んでしまった。トイレに行こうとして、力が抜けたように、倒れて、死んでしまった。肺がんだった。


おばあちゃんは、昔、鳥の養鶏もやっていたらしい。


鳥の首をくくって殺す仕事もしていたらしい。


おばあちゃんは、おじいちゃんが死んでから、毎日、居間の仏壇で、念仏を唱えていた。


じゃらじゃらと数珠を鳴らし、ぶつぶつと、南無妙法蓮華経、と繰り返し、経文をすらすらと暗記してぶつぶつ、目を閉じて唱える姿は、失礼だが、妖怪というか、昔のお化けみたいだなあと、アイスを食べながら、思っていた。仏壇の、日蓮様の掛け軸も、なんだか、ちょっと昔の日本の巻物を見ているみたいで、ワクワクしてしまった。




田舎のU町は、北海道の頃には見られない、「昔の日本」が頭をもたげていた。


夏になると、町中線香臭くなった。夏の供養である。


街は風がまったく吹かず、じりじりと、灼熱の太陽が路地を照らし、開け放った家々の窓からは、どこの家でもラジオの気象情報を流していて、「今日は、摂氏40度になるでしょう、南の風、午後より、西よりになり———、明日は雨でしょう」と、硬い気象予報士の声が流れていた。




北海道からU町に引っ越してきてから、震えた。


田舎———、古い日本に引っ越してきて、目の前に、「和風」あちこちに、山のようにあるのである。


幼い私は、悦びに打ち震えた。


私は引っ越してきてからすぐに、自転車で町中をあちこち走りまくった。


道路が好きだった。夏になると、アスファルトは焼けるように熱くなり、陽炎が立ち昇り、蜃気楼が、道路の遠くに見えた。


自転車で、どこまでも入道雲を追いかけて走った。


トンボを追いかけて、山の中をかけずりまわり、田んぼで泥だらけになり、どぶの魚を虫取り網でとって、巨大なナマズや、大きな鯉を、住んでいたアパートの前に置いておいて、隣の家に住んでいるドラネコに食わることがあった。


近くの蓮根の水田では、梅雨になると一斉に蛙が泣きわめき、雨の夜に、げこげこと、騒ぐ蛙にドキドキと、トキメキ、秋になると、米を刈って寂しい哀れなハゲ水田になった田んぼのあぜ道で、赤とんぼに囲まれながら独りで黄昏ていた。




私の家は、町の中を、たらいまわしに引っ越した。


一番目のアパートでは火事にあって、父親が隣の家の歩けない病気の女の人を助けて新聞に載った。その人が放った火であった。自殺である。女性を助けようと、腕を取ったら、ずるっと手の皮がずるむけたのが、すごく怖かったなあと、後で父親は語っていた。その火事で放り出されて二番目に棲んだアパートは丘の上の集落だった。梅雨になると、蓮根畑の水田で、蛙の大合唱だった。すごかった。三番目に、神社の隣に住んだ。虫がすごかった。直径25センチくらいある目のある蛾が玄関に数匹止まり、学校から帰ってくる私たち家族を慄かせた。巨大な蜘蛛、軍曹蜘蛛や、ごきぶりもすごい出没した。




私は、そんな中育ったので、やんちゃだった。




秋のお祭りには、国の重要文化財といわれる不気味なお面が神社に飾られ、提灯だらけの屋台が、何台も境内に並び、祭りは古くからあり、“練り“といって、街の若集が、惜しくらまんじゅうをして境内で芋虫の様に団子状になって練りまわる様は、お祭りの風物詩だった。皆酒臭かった。




町は、競艇場で潤っていたため、給食は美味しかった。田んぼには、秋の、米の収穫が終わり、藁を、田んぼの隅の木でできた柵に大量に括りつけると、赤とんぼが、一斉に、あたりを飛んでいた。




おばあちゃんは、なんだか顔にできた皺や、大きないぼシミだらけで、なんだか昔話の、農村の、おじいちゃんおばあちゃんそのままだった。


家も木造だったから、余計に、その考えはむくむくと頭の中に沸いて、頭をもたげていた。


しゃもじ、という文字は、なんだかひしゃげていて、面白いなあ、と、古い、おばあちゃんの木造の家の中で、古い物を見ながらよく思った。全部の部屋が畳で、黄色く、古い畳だった。




U町に引っ越してきてから、ずっと、和風のものを探していた。




腹を壊すと、いつもギョウチュウ検査を思い出した。一度「虫くだし」という薬をもらった。古い和紙でてきた薬で、江戸時代にできたような包装紙であった。あの時は、こんな、昔のものがあるのか、と、親に、その後何度もむしくだしをねだった。


虫下しは、腹に住む腹中虫、寄生虫を殺す薬であった。




おばあちゃんは、昔の、漢方のサルノコシカケを買ってきては、新聞紙を引いて、すり機で、ごりごりと摺って服用していた。今の家でも、ユーカリの木のところに生えているが、野生のものは食しては駄目だという。




昔話に花が咲いた。


というように、私は、かなり、田舎で育ったのである。


今では、H市に吸収合併されて、街からの人々がかなり移住してきているが、


祭りになって遊びに行くと、昔ながらの、祭りが、より一層激しく、賑やかになっていた。


市からの移住の人々が、押しかけるようになったのだと思う。


ただ、出店の数は減り、昔ながらの変わったものを売る店が少なくなってしまったのは、辛かったなあ、という。


想い出話はここまでにしておいて、また、イラストでも描こうと思う。


過去の思い出は、文章力向上に、ちょうどいい。

こういう話もいいかと思い…

昭和の世紀末頃、ちょっと前の田舎のお話です。

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