梗概2・庶民アルル
「お父さんがつけてくれた名前なんだ」
アルルは自己紹介をはじめる。
アルルはアライアの北にあるオーリーオ国の生まれで、5年前に此処アライアにやって来たそうだ。
父は幼い頃に他界、母は祖母にアルルを預けて出稼ぎに行っていて、3〜4ヶ月に一度帰ってくるそうだ。他国の子なら『アル』が付く名前の男子もありふれている。
アルルと出会って一月程・・
仲良く遊ぶアルンとアルルは館で駆け回っていて、アルフとクイン卿の姿を発見すると、
「アルフ姉さんを驚かせよう」
アルンがニヤッと笑った。
「どうやって?」
アルンがしゃがんで四つん這いになり、そろそろと前進して行く。
「茂みから『わー!』って驚かす」
「わー!!ってね。驚くかなー」
アルルも四つん這いになって、アルンの後に続く。
アルフは騎士で従者であるハーリ・クィン卿に剣の指導を受けていると、茂みがゴソゴソと動いているのに気がついた。小さな頭が二つ、ゴソゴソ・・・
ちら、とクインを見ると、彼は拳を唇に添え、笑いを堪えている。
「やあやあ!モンスターが現れた!クイン卿!どうしましょう!」
アルフが芝居がかった台詞を言うと、ブハッ、と卿は吹いたが。
「はは・・コホン。アルフ、倒してしまいなさい」
「はい!てやぁーーーっ!」
アルフはたたたと茂みに駆け寄る。手には勿論、木刀だ。
そして素早くーーココン!
「うわぁ、痛いーー!」
「ぎゃーー!」
茂みから二人のおちびさんが立ち上がった。
「こら、二人共。お勉強は済んだのですか?」
アルフは少し体を屈め、二人の顔に自分の顔を近づける。ちょっと厳しい顔だ。
「・・僕たちも・・アルフ姉さんと同じ、剣の稽古をしたいです・・」
アルンが小さな声で返事をした。
「ボクもしたい!」
アルルもヒリヒリする頭を撫でながら頷く。
「クイン卿・・」
アルフが師匠を見ると、彼は『困ったね』な表情で、右にこてんと頭を傾ける。
「君達は、まだおちびさんだ。まず、体力が無い。もしも習いたいなら・・これが出来なくちゃダメ」
ハーリ・クイン卿が言う『これが出来なくちゃダメ』だが・・
毎日朝と夕方に腕立て30回、腹筋背筋30回、昼に2キロのランニングといったものだった。
7歳の子供にはかなりきつい内容だった。
「やる!」
「ボクも!」
二人のおちびさんは挙手してハイハイ!!と騒がしい。
「まずは2ヶ月続いたら、だよ」
クィン卿はニコッと笑った。
「頑張る!」
二人がコクコクと縦に頷くが、姉は心配げな表情だ。
この訓練、当然『兄』のアルフも毎日朝と夕方に腕立て50回、腹筋背筋50回、昼に3キロのランニングを欠かしていなかったりする。そしてランニング後は剣の殺陣と体術を稽古しているのだ。
此処に来てからずっと欠かしていない。雨でランニングが出来ない時は、体術を重点に学んでいた。
いつ何時命が狙われるかも知れないのだ、自分の身を守るのは勿論、母と弟も守る所存だった。
最近は馬の稽古もしている。勉強だって疎かにはしていなかった。
兄が日々自分の鍛錬に明け暮れているのを見ている弟としては・・兄とたまには遊びたかった。
真面目で熱心な兄の邪魔をしたくないと思いつつ・・構って欲しかった。
最近出来た友達アルルと遊ぶのも楽しいが、兄が大好きな彼としては物足りないのであった。
だから剣の稽古だけでも、兄と一緒にと思ったのだ。この相談をアルルにしたら、
「ボクもやる!強くなっちゃうぞー!」
ノリノリだった。
そして2ヶ月が過ぎた。
二人だったから頑張れました!!
励まし合い、時には愚痴を言い、愚痴を聞き、そして八つ当たりから取っ組み合いの喧嘩になったりして、それでもどちらかが折れて・・二人で足を支えて腹筋と背筋をして、腕立てはどっちが早く済ませられるかで競争したり・・
意外と早く時は過ぎた。
これにはクィン卿も驚いた。続くとは全く思っていなかったからだ。見縊っていたな、反省しよう。
二人はやり遂げたのだ、約束通り教えるのは勿論、そのうち魔法も教える事が出来るかもしれないなと、行末が楽しみになってきた。
「うん、二人共よく頑張ったね。じゃあ、剣の稽古をしよう」
「クインきょ〜!これもやりたい!」
アルルは手をシュシュと素早く動かし、くりっと体をターンさせながら足を振る。
「ああ、体術だね。それは追々ね」
「え〜〜〜」
「まだ体が出来上がっていないからね、君達は。アルフ様は3年前から鍛錬しているからね。
そういう事。それに、君達はお勉強を疎かにしているらしいからね?」
どき。
二人は体をびくっと跳ね上げた。ランニングの後は、つい疲れて眠ってしまう事もしばしばだった。
「あはは、二人共頑張るんだよ」
声を出してアルフが笑う。それを見て、アルンは目を見開いた。
ああ・・兄様が笑っている・・
アルバーンは嬉しさで胸が一杯になった。
優しい兄が心から笑っているのだ。王城にいた時、こんなふうに屈託なく笑った兄を何度見た事があるだろう?
母上も・・今は男装してお館様であるが・・最近は笑顔が増えた。庭の花壇に慣れない手つきで花を植え、この前はラディッシュとトマトとロメインレタスを植えて、
「手作りサラダを作るわ」なんて言って、侍女のグラディスと笑って・・
此処に来て良かった。みんなが笑っている。
僕には友達まで出来た。庶民の子、アルル。
元気一杯で、一緒に走り回って、木に登って、シャツのまんま川に飛び込んで・・
勉強を一人でするのがいやで、誘ったら「面白そう!」って!
一緒に勉強すると退屈しないね!それにアルルは賢い。すぐ覚えちゃう。
アルルに負けたくなくて、僕は復習するようになった。
アルルは友達でライバルだ。明日は何をしようかな・・
アルンはベッドに横たわり、眼を閉じた。
それから2ヶ月が過ぎたある日、事件が起こる。
「アルン!アルン!!た、助けて!!」
真夜中にアルルがアルンの部屋の窓を叩く。アルンの部屋は1階で、二人はここの窓から出入りしたりもしている勝手知ったる場所だ。玄関は今は夜中で誰も居ない。
「アルル?どうしたの?」
こんな夜中の、真っ暗な道を一人で駆けて来るなんて、何事だと思ったアルンだったが、その後に続く台詞に驚愕した。
「おばあちゃんが倒れたの!起きないの!!」
「ええっ!アルルのおばあちゃんが?」
物音に気付いたハーリ・クィン卿が、アルンの部屋に剣に手を添えて入ってきて、アルルだと判ると剣から手を離して駆け寄る。
「どうした、アルル!」
「おばあちゃんが・・倒れたぁ・・わぁああん・・・」
アルルを馬に乗せ、クィン卿がアルンの家に馬で駆けて行って・・1時間程で帰ってきた。
クイン卿に抱かれてアルルは眠っていた。
騒ぎでアルフも、母上も、侍女のグラディスも起きて居間で待っていて・・
「どうやらぽっくり病(心臓麻痺や脳梗塞をいう)ですね・・・もう、息はありませんでした」
ここは街からかなり離れた森の中、館の周りにはアルルの家があるだけ、他の家までは1キロ以上離れていた。医者も街にいる。呼んでも無駄な状態であった。
「まあ・・辺境伯に、死亡報告、頼める?クイン卿」
領主である辺境伯に、領民の死亡報告は当然の義務だ。しかし・・
「はい、お任せください。ですが・・アルルは・・これからどうされますか」
ソファに寝かせたアルルをちら、と見てクイン卿は主に尋ねる。
「心配しないで。部屋は余っているわ。此処においてあげましょう。
追い出すなんて選択肢は無いわ。アルンの大切なお友達ですもの」
王城のドス黒いしがらみや企みとは一切無縁の子供だ、息子達のそばに安心して置いておける、貴重なお友達だ。アルンにいい影響を与えてくれるのも喜ばしい。勉強に鍛錬に、次男は真面目に取り組んでくれるようになった。アルルには本当に感謝しかなかった。
「おか、お館様、ありがとう」
此処に置いてくれると言った母に、アルンはほっとした。
次の日、アルルは目が覚めるとお館様がやって来て、アルルの老婆が亡くなった事、アルルをこの館に住まわせる事を優しく告げるが、タダで住めない、何か手伝いをすると言ったのだ。
なんとしっかりした子だろう。アルンにとても良い影響を与えてくれると感じ、その要望を受けることにした。
「では、玄関ポーチと庭のお掃除をお願いするわ。落ち葉を履いたり、草毟りとかをお願いするわね。
あと、私が花壇と畑をいじる時にもお手伝いしてくれると嬉しいわ。グラディスのお手伝いも頼める?」
「はい、わかりました」
こうしてアルルも館に住むことになった訳だ。
母親が帰って来て誰も居なかったら心配するだろうと、アルルが住んでいた家の玄関ドアに張り紙をしておいた。
『お母さん、アルルは南にあるナイチンゲール荘(屋敷の屋号)に居ます』
これを見たら迎えに来てくれるだろう。・・でも。
アルルは暗い顔になった。
母親は最初は2〜3ヶ月に一度は帰って来た。
だが最近は3〜4ヶ月に1度、最後に帰って来たのが半年以上前だ。
もしかしたら・・・もう帰って来ないかもしれない・・
もしも・・・1年経っても帰って来なかったら・・・此処を出よう。
優しいお館様、仲良しの兄弟に、これ以上は甘えるわけにはいかない。
もうすぐ8歳のアルルは賢しい子供だった。
さて、アルルが屋敷に住むようになって3ヶ月、一家が此処に来て1年が過ぎた。
最近は勉強も3人一緒に取り組んでいた。
外はようやく暖かくなって、春日和だ。
アルンはファ〜とあくびが出て、ぽこんと丸めた紙筒で叩かれる。
勉強は侍女のグラディスが担当してくれた。
このグラディスだが、侯爵家のお嬢様のくせに侍女になった変わり者だが、さすが侯爵家令嬢、勉強を教えられるレベルだった。皇立学術院出で、アルフの先輩になる。
「アルン様、集中です」
「でも、眠いよ・・ああ、お出かけ日和なのに」
グラディスに注意されて、アルンはしょぼしょぼする目を擦る。
確かに良い天気だね、とアルルが窓の外に目を向ける。
「この時期はスプリングスノー(桜)が咲くんだよ。すごく綺麗だから、ここは有名な観光地なんだよ」
「そっかー。咲き終わってから此処に来たんだな、僕ら。全然知らなかったもん」
(また僕ら、僕って言ってる・・)
アルルはアルンの『僕』使いに・・・今は慣れた。最初は女子なのに、とか思ったのだが。
クイン卿も『アルフ様』『アルン様』『お館様』と呼ぶが、まあ皆は貴族階級なんだと分かる。
そういえば、クィン卿の『卿』ってどう言う意味なのかな・・・と、アルルはたわいもないことを考えていた。
グラディスは本を閉じ、皆を見渡す。
「見たいですか?スプリングスノー」
「見たい!ねー、グラディス〜、行こうよ〜」
「ふーむ・・そうですね。たまには・・ピクニックも良いかも知れませんね」
いつも勉強に、鍛錬にと頑張っている子供達に、ご褒美も良かろう。
スプリングスノーは此処から少し離れた所にあり、名所なんだそうだ。
お弁当を持って、皆で出かけるのも楽しいだろう。
「お館様が良いと言ったらね?」
「はーーい!」
3人が揃って言って・・
「!アルフ姉さんも、声出した!見たいの?」
アルンは嬉しそうに『姉』を見る。
「・・前からスプリングスノーの花は綺麗だと聞いていたからね・・見たことが無いし・・」
年下の子供と同じように燥いでしまい、少し照れるのか、あっちを向いてしまった。
姉妹が嬉しそうな様子に微笑んでしまうのは、アルルもグラディスも同じだ。
「じゃあ、お許しをもらってくるわ」とグラディスは出て行き・・
暫くして、グラディスはニコニコ顔で戻って来た。
「明日、お花見ピクニックに行くことになったわよ〜〜。さあ、明日はお出掛けで勉強も鍛錬もおやすみになっちゃうから、今日頑張ろうね?」
「はーーい!」
ちょっと意識したのだろう、アルフは声が小さくなった。姉が照れたので、今度は茶化すのを止めたアルンだった。アルルも同じく茶化すのはストップした。空気が読める二人である。
その後の授業、3人は頑張って勉強を済ませた。
明日が楽しみなアルンとアルル、落ち着いて見えるが、心の中は『楽しみだな』とちょっとワクワク状態のアルフだ。何よりピクニックというものをした事がなかった。
次の日は晴天で、お出掛け日和となった。
グラディスが作ったお弁当を持ち、お館様とクイン卿も加わってのお花見は本当に楽しかった。
観光客もチラホラいて、屋台も並んでいた。
お館様が珍しくメガネを掛け、フード付きマントを羽織っていて、アルフとアルンも帽子を被っていて、クイン卿も地味なマントのフードを深くかぶっているのがちょっと気になったが・・
「ちょっと屋台を見てくる!」
アルルは小遣いを握って駆け出した。少し走って気付く・・あれ?アルンがついて来ない?
「来ないのーー?」
「うん、いい」
彼らを知るものと出会わないとも限らない、だからアルンは座ったままで返事をした。
「そっか。アルンもりんご飴、食べたい?」
「じゃ、姉上にも」
「3つだね、ほーい」
りんご飴の屋台にやってくると、アルルはりんご飴を3個頼んだ。
りんご飴を受け取り、皆がいる場所に戻ろうと振り向くと、真後ろにいた人にぶつかった。
「あ!ごめんなさい!」
手のりんご飴が落ちそうになるが、何とか堪えた。ほっ、落とさなかった・・
「済まないね、大丈夫かい?」
背の高い男の人だが、見上げるとちょうど太陽の光で眩しくて、顔が分からなかった。
「うん!ダイジョーブー。じゃね」
駆け出したアルルの耳は・・聞いた。
「ああ・・元気そうだ・・良かった」
(ん?)
男の方をもう一度見ようとしたが、
「アルルーー!」
アルンが駆け寄って来た。
りんご飴あげなくちゃ。きっと喜ぶ!
「買ったよ!ほら!りんご飴!」
「わー!初めて食べる!」
「美味しいよ〜」
「楽しみだな!アルフねえさーん!」
アルンは二つ受け取り、兄の方に向かって飴を振って見せた。二人は皆が待つところへと駆けて行く。
アルルは男の呟きを、もう覚えていなかった。