【ゲーム本作ネタ】第二王子と稀代の悪女2
「わたくしは、アーニーの方が心配だわ。たった一人、あの魔女の傍に置いていくなんて」
「心配ないですよ。僕にはジュリア姉様の加護がありますから」
袖の下から見せるアミュレットは、彼女が作ってくれたものだ。彼女の髪が編み込まれたそれが、悪しき力からアーノルドを守ってくれている。あの魔女の前で、アーノルドだけが正気を保っていられるのは、彼女の、アーノルドの女神の加護があるからだ。
得意げに笑うアーノルドに、彼女は少しだけ困ったように笑い、それから気遣わしげにまたそっとアーノルドの頬を撫でた。
「無理をしては駄目よ?」
「ジュリア姉様のためなら、僕はどんなことだってできますよ」
あの魔女に心酔したフリをして、敵情を探るのがアーノルドの役目だった。
アリス・ババロンが魔女であり、聖女を騙り王太子に近づいていると知ってから、アーノルドと彼女は密かに手勢を集め、来たるべき日に備えてきた。
彼女が魔女に操られた王太子から断罪を受けるのも、予定の内だった。
そもそも、フロスの名を持つ公爵令嬢の断罪裁判に、彼女の生家のアストリッヒ家が反対しないのも、王がすんなりと頷いたのも、そうした根回しがあったからだ。
彼女が幽閉される予定の修道院の人間は、彼女を崇拝する者たちへと入れ替えが終わっているし、その地域の住人も彼女とアーノルドの手の者ばかりだ。彼女を移送する騎士団も、幼い頃から彼女が育ててきた、彼女に忠誠を誓う騎士を密かに集め、アーノルドの部下として登用して編成している。
誰よりもこの国の行く末を憂う悲劇の聖女に万が一のことはあってはならないと、最大の警備体制が敷かれている。彼女はこの国の希望だ。彼女に魔の手が伸びないよう、魔女の目が届かない安全な場所へ逃がすのがアーノルド達の仕事だ。
それに気付かずに、得意げになっている奴らはやはり愚かだとアーノルドは思う。だから、あんな魔女に簡単に取り込まれてしまうのだ。
「アーニーが居てくれるなら、この国は安泰ね」
そう言ってくれるのは、彼女だけだった。
跪き、女王に忠誠を誓う騎士のように、アーノルドは恭しく彼女の手を取った。
「ジュリア姉様――ジュリア。全てが終わった時には、聖妃として、僕の隣に立ってくれますか」
「ええ。あなたが、アーノルド陛下がそれを望んでくださるのなら」
静謐な笑みを浮かべる彼女は、やはりどこまでも清らかで、美しい存在だった。
その美しい手の甲に、アーノルドは忠誠を誓う口付けを落とした。
断罪裁判の翌朝、簡素な馬車に乗せられて、稀代の悪女は北の最果てへと送られていった。
「ジュリア様、こちらへ」
「ええ。ありがとう。皆には苦労をかけるわね」
「とんでもございません」
王都を離れたところで子飼いの従者に案内されて彼女は貴賓馬車へと乗り換えた、稀代の悪女は、ゆったりと座席に腰掛け、口の端を上げて窓の外を眺める。
「まったく、上手く育ったこと」
思い浮かべるのは一心に忠誠を捧げる愚かな第二王子の姿。何の力もない、ただの編紐をアミュレットだと信じ込む賢くも愚かしいかわいい駒。
全て彼女の手の内だった。
唯一のフロスとして、生まれた時から国中の愛を捧げられて育った彼女は、すぐに自分がこの国の――世界の頂点に立つべき存在であると自覚した。
まず手始めにこの国を手中に収める足掛かりとして、王妃となるため、王太子の婚約者となった。
けれど、聡明で芯のある王太子は傀儡には向かないと早々に見切り、次に目を付けたのが第二王子のアーノルドだった。
彼は、知能で言えば王太子よりも高い知能を持っていた。だからこそ、物心付いた時から、自分が兄の、王太子のスペアであるという自覚があった。第二王子として兄王子を支える役割を自覚しながら、それと同時に、自分よりも劣ると思っている兄が王太子であるという事実に憤り、嫉む屈折した思いもあった。それを彼自身がどれだけ自覚しているかは分からないが、彼女はその隠れた感情にすぐに気が付いた。
実際にあの第二王子が城でどんな扱いを受けていたかは知らないが「あなたは王太子のスペアなんかじゃないわ」と優しく囁いてやれば、簡単に堕ちてきた。
そうして幼い頃から自尊心をくすぐる甘い言葉を与え育ててきた第二王子は、彼女に心酔する彼女の立派な手駒となった。賢い彼は、彼女の言うことをすぐに理解し、そして動いてくれる。彼はいい王になるだろう。彼女にとって都合のいい傀儡の王に。
傀儡に向かない――彼女の手駒にならない邪魔な王太子を処分する準備は、聖女と呼ばれる少女が現れる前から行ってきた。隙を見せない完璧な公爵令嬢は、王太子にとっては脅威そのものだった。
彼は王位こそ約束された存在ではあるが、神子の血としては両親ともにフォスとフロスであった曾祖父を持つ彼女の方が優れている。政略結婚でしかないと愛情を見せない婚約者に神経はすり減っていた。見せかけの愛の一つでも囁けば、きっとあの王太子も彼女に愛を捧げただろうが、実権までを委ねることはしなかっただろう。駒として使えない人間に用はない。権威があればあるだけ邪魔な存在だった。
だから、適当な女を宛がい、それを理由に始末することを考えた。
王太子とは言え、ただの男。愛のない婚約者ではなく、純朴な女に心を許すようになるのは簡単なことだった。そうして、その少女を利用することを決め、彼女がまるで聖女であるような話を仕立て上げて流布するように動かした。そうしてその噂を彼女が認めてさえしまえば、簡単に『聖女』だと認定される。田舎の男爵娘はそれにより瞬く間に聖なる王妃、聖妃となる資格を得た。そうして益々王太子は彼女を寵愛し、婚約者である公爵令嬢を疎ましく思い、断罪するに至った。
全て公爵令嬢である彼女の筋書き通りだと知らずに。
哀れなのは人柱としてあの王太子の枷となるために捧げられた男爵子女だが、まあ、王太子の寵愛を受けるという一時の甘い夢を見られたのだから、その身分に比すれば充分な報酬でしょう。
そこに慈悲などない。
「さあ、あとは魔王を復活させて、聖女の称号を手に入れるだけね」
にっこりと笑う彼女は、まさに毒の華のようだった。




