【ゲーム本作ネタ】第二王子と稀代の悪女
王城の広間では、檀上に登った王太子が朗々とした声で罪状を読み上げていた。
王族により執り行われる断罪裁判。
その被告は、この国唯一の公爵令嬢であるジュリア・フロス・アストリッヒ。
生まれ落ちたその日から、天上の薔薇姫、薔薇の女神としてこの国に君臨していた女王様は、今や稀代の悪女として断罪の場に立たされていた。
汚れこそないものの、公爵令嬢として、彼女がこれまで一度も着たことがないだろう白いだけの質素なドレスを身に纏い、後ろ手に手錠を掛けられ、両脇から近衛騎士に拘束され、婚約者であった王太子から断罪を受ける彼女は、大声で喚くことも、泣いて釈明をすることもなく、ただ真っ直ぐと壇上の王太子を見つめ、変わらぬ笑みを浮かべて罪状を聞いていた。
その様子を、王太子の隣に控える第二王子、アーノルド・フォス・ソルクロットはじっと見つめていた。
彼女の罪状は、聖女アリス・ババロンへの加害行為ならびに国家反逆罪。
死罪を賜っても当然の罪ではあるが、彼女は「フロス」の名を持つ公爵令嬢だ。その血の尊さから死罪ではなく、最北の修道院で三年の間絶え間なく祈りを捧げ、罪過の赦しを得、その後はフォスの名を持つ男達と交わり、子をなすためだけに生かされる幽閉生活が待っている。
夫ではない、愛されるわけでもなく、ただ子をなすためだけに数多の男に抱かれる、身体を売る娼婦未満の存在としての生を決められた公爵令嬢の心境は察して余りあるところだが、その決定を言い渡されても、彼女はけして取り乱すことはしなかった。
「申し開きがあるのなら聞くだけ聞いておこう」
最後に掛けられた王太子の言葉に、やはり彼女はたおやかに笑うばかりで、声を荒らげることはしなかった。
「貴方方がそう決めたのであれば、抗う術をわたくしは持ち合わせておりません。それがいかに冤罪だと訴えたところで、覆されることはないのでしょう」
静かに、これが冤罪であるという言葉を述べる悪女に、王太子は忌々しげな表情を見せた。
「ですが、この国は神子の治める国。いかに巧妙に仕組まれようといずれ悪の企みは、明るみになるとわたくしは信じております」
最後まで公爵令嬢としての微笑みを絶やさない悪女に、「連れて行け」と王太子が苛立たしげに命じ、近衛騎士が引き立てる。それに彼女は抵抗もせず、振り返ることもせず、真っ直ぐに堂々と背筋を伸ばしたままの美しい姿勢で退場していった。
「兄上。あの女の見張りは、僕にお任せを」
「殿下。そのようなこと殿下がなさる必要はありません。それならば私が」
アーノルドの言葉に、名乗りを上げたのはルクハルト・アストリッヒ。先ほど断罪を受けた悪女、ジュリア・フロス・アストリッヒの義弟だ。
「いや、あの女の見張りはお前には荷が勝ちすぎている」
ルクハルトの言葉に、アーノルドはゆっくりと首を振った。
「確かに、私はあの女の義弟ではありますが、姉弟の情はございません」
「ああ、分かっている。だが、お前は元を辿れば子爵家だ。正統な公爵令嬢であるあの女の息の掛かった者がどれだけいるか分からない以上、お前の身分では太刀打ちできない相手がいる可能性がある。どんな貴族の言い分も跳ね除けることができるのは王族である兄上か僕くらいだ。王太子である兄上をあの女に近づけるわけにはいかない。そうなれば、第二王子である僕が行くのが妥当だろう」
アレステアを見れば、彼は静かに弟に向けて頷いた。
「頼まれてくれるか、アーノルド」
「はい」
臣下の礼をとり、アーノルドは稀代の悪女が収容された牢へと向かった。
稀代の悪女となったジュリア・フロス・アストリッヒが連行された場所は、牢と言っても一般に使用されている牢獄ではない。罪を犯した高貴人のために建てられた独立した塔が公爵令嬢である彼女の牢獄だ。貴人であることに加え、絶世の美貌を持ち、高貴な血の影響力を持ち、人心を操ることに長けた彼女を不特定多数の目のある一般牢に留め置くことが憚られたということもある。修道院までの移送準備が整うまでの間、たった一晩の収容ではあるが、彼女ならその一晩で手札を揃えることができるだろうと警戒された。塔牢獄であれば、一般兵は立ち入ることができず、見張りは王公家の血筋の者しかできない。
冷たい石造りの階段を上り、アーノルドは彼女の元へ急いだ。
「ジュリア姉様っ!」
「まあ、アーニー」
牢獄としては清潔で、上等な寝台が用意されてはいるが、それでも公爵令嬢である彼女が過ごすにはあまりにも質素な部屋。飾り気のない寝台に、文机と椅子のみが置かれた牢獄。
けれど、質素なドレスを纏い、質素な椅子に腰かけ、変わらぬ笑みを浮かべ続ける彼女は、やはり女神のごとき美しさがあった。何物にも汚されることのない高貴な存在。
駆け寄るようにやってきたアーノルドに、彼女は清楚な笑みを浮かべてその頬をそっと撫でた。透明感があり、白く透きとおったような美しくなめらかな指が、優しくアーノルドの頬を撫でる。
「そんな泣きそうな顔をしないの」
「ですが。ですが!」
「こうなることは分かっていた。そうでしょう?」
稀代の悪女として断罪を受けた彼女こそが、真なる聖女だとアーノルドだけが「知って」いた。
聖女として王太子の傍にあるあの女こそが、魔王の息のかかった魔女だとアーノルドだけが「知って」いた。
アーノルドだけが知っているのだ。魔女により、王太子が誑かされ、この国が飲まれようと知った彼女が、打ちひしがれるようにして泣いていた姿を。
『わたくしのせいだわ。わたくしが、もっと早く気付いていれば、こんなことにはならなかったのにっ……!』
その事実を知った時、アーノルドはすぐにでも魔女を捕えるべきだと訴えた。
けれど、彼女は緩く首を振った。
『いいえ。今はだめ。あまりにも、彼女の力が国の中枢を巣食っている今の状況では、わたくしは無力だわ』
狡猾な魔女は、次代の王である王太子に近づき、そしてその側近たちを次々に取り込んでいった。
けれど、王子ではあるが、王太子のスペアであるアーノルドにはまだ辛うじて魔女の魔の手が伸びていなかった。嘆いてきたスペアである身をこの時ばかりは感謝した。
『ああ。でも、アーニーだけでも無事で良かったわ』
そう言って彼女は、アーノルドを強く抱きしめて、無事を喜んでくれた。
第二王子として生まれたアーノルドは、生まれた時から兄である王太子、アレステア・フォス・ソルクロットのスペアとして扱われ、生きてきた。
そんな中で、彼女だけがアーノルドを一人の人間として見れくれた。
『ねえ、わたくしとお友達になってくださる?』
そう言って、屈託なく笑いかけてくれた彼女の笑顔を、アーノルドはずっと忘れられずにいる。
王太子の婚約者であった彼女が、アーノルドを婚約者の弟、スペアとして扱うのではなく、友達になろうと言ってくれた。それがどれだけアーノルドの心を救ってくれたのか、きっと彼女は知らないだろう。
『まあ、アーニーったら』
そう彼女しか呼ばない、彼女だけの愛称で自分を呼びながら、ころころと笑う彼女に、どれだけ救われたか、きっと彼女は知らないだろう。
その時から、ずっと、彼女だけがアーノルドの唯一だった。




