脱出
地下二階の倉庫は冷たくカビ臭かった。扉は鉄格子付きの牢屋のようになっており、すぐ近くに見張りの男が立った。中に入ると、手だけでなく足も縛られたが、ケイは見張りの目を盗んで手足の拘束をあっさり解いてしまった。昔から体が柔らかく、少々無理をすれば肩の関節を外すことも可能だ。しかしこの時は念のため縛られている風を装っていた。薄暗がりによく目を凝らしてみると、もう一人囚われている人間がいることに気が付いた。十五歳ほどの女の子である。泣きつかれたのか、静かに寝息を立てている。飽くまで商品だからだろうか、身体には特に目立った外傷もない。
それから数時間後、約束通り食事が運ばれてきた。運んできたのは先ほどケイを担いで階段を下りた朴という男だった。
「見張りを交代する」
朴はそう言って見張りの男を上の階へ行かせた。そしてケイの目の前までやって来て、押し殺した声で言った。
「ケイ。調査員だからってそこまでするか? チャンの情報を探るためなら、あんたが来ることもなかったろ。俺に助けてくれなんてせがまれても困るからな。俺はあんたに弱みを握られているから、仕方なく情報を流しているだけで、あんたの味方になったわけじゃない……!」
「引き受けた依頼のついでに、整形したチャンを見に来たんですよ。あなたには盗撮の才能がないから。それに、助けも必要ないです。あなたが依然私に流した情報が正しければ、今夜九時にローズという依頼人が私を引き取りに来る。間違いありませんね? もし間違っていたら、私の仲間が捏造したあなたの秘密を暴露します。お兄さんの借金の件も、すべてなかったことに――」
ケイが途中まで言いかけた時、上の階に行ったはずの男がこちらに戻ってくる足音が聞こえた。慌てた朴は運んできたパンとペットボトルの水を無造作にケイのほうに投げ入れて去って行った。しかしすぐに戻ってきて、鉄格子の鍵を開け始めた。
「どうしました?」
「予定が変わった。依頼人がもうすぐこちらに来るそうだ。腕の縄だけ縛り直す。なに勝手に解いてるんだ。怪しまれるだろ」
上の階でばたばたと音がする。みんな慌てているのだろう。ケイは口の端で静かに笑いながら依頼人の到着を待った。
それからほどなくして、また上が騒がしくなり、こちらの階へ繋がる階段の扉が開く音がした。複数人の足音が響く。
依頼人である小太りの男がケイの前までやって来て、飛び出さんばかりに両目を見開いた。
「おお、何てことだ……!」
男は頭を抱えて絶望したようにつぶやいた。
「ケイじゃないか! 私がわかるか?」
「ローズさんですね。まさかこんなところでお会いするとは。でも、何故?」
「何と言えばいいか……参った。マーティンに殺されちまうな」
周りにいた男たちは何が起こったのか理解できず、互いに顔を見合わせた。チャンと日野も例外ではなかった。朴でさえ、きょとんとしている。
「あの時は世話になったなあ。まさかこんなところで出くわすとは! ……おいお前たち、これはいけない。私はこの娘に借りがあるんだ。ついこの間、この子は私の命を救ってくれた上に、見返りの金もいらないと言ったんだ。私はこれでも紳士でね。さすがにあの時の恩を仇で返すわけにはいかん。約束してしまったんだ。金を受け取らない変わりに、この子が窮地に陥った時は助けると。その機会は随分と早かったがな!」
ローズはたるんだ腹をリズミカルに震わせながら笑った。
「で、では、もう一人の子供の方は……」
ローズの後ろで両手を擦り合わせながら日野が訊ねた。さっきまでの死神のようなオーラはどこかへ消えていた。
「さて、どうするかな」
ローズが無精髭をざりざりと触りながら考えていると、ケイがおもむろに口を開いた。
「そうだローズさん。提案があります。私は今回のことは一切他言しません。何ならうちの人間をそちらのお店に飲みに行かせます。なので、私の要望をひとつ……ひとつだけ聞いていただけませんか?」
「何、要望?」
「私と、もう一人囚われている子供もここから出してくれませんか。さすがに子供を置いて一人だけ逃げたくはないので」
その後、ケイは女の子と一緒に再び目隠しをされ、車に乗せられた。人気のない海沿いの駐車場に停車すると、目隠しのままその場で強制的に降ろされた。
ケイは自分の目隠しを取ると、女の子の目隠しも取ってやった。女の子は何が起こったのか理解できないらしく、ケイのシャツの裾を掴んだまま辺りを見回している。
「何もかもうまくいきすぎて気持ちが悪い。こういう時は大抵、近々悪いことが起きる……早く行こう」
ケイはそう言って女の子の手を取り歩き出した。