ブレント
それから数日後には子供たちの間でいじめが横行し始めていた。ケントが標的にされたのはもちろん、友達の悪口を言ったことを暴露されたユナも女子たちの間ではのけ者にされつつあった。
「神父さんには言わないでおこうよ。あの人優しいから、きっとケントに何の罰も与えないよ」
「そうだな。ケントだって、きっとまたウソをつくに決まってる」
「そのウソも信じちゃうんだろうな」
「なんとかしないと。あいつがあの人に告げ口しないように……」
仲間たちの話し合う声は嫌でも木戸の耳に入ってきた。彼らはケントに対し、色々と想像を膨らませているようだった。
もちろん、木戸もケントのことが憎かったが、大勢で寄ってたかって彼をいじめることへは抵抗があった。ケントに暴力を振るう仲間たちの様子を見て、かつての自分の両親を思い出したのだ。それがたまらなく嫌だった。しかしかといって、ケントを助けることもなかった。心の中に巣くう真っ黒な何かが、どうしてもそうさせてくれないのだ。
あの日以来、ブレントはあまり顔を出さなくなった。そのせいもあってか、木戸はだんだんとみんなから孤立していった。
ずるずると、時間だけが過ぎ去っていった。無情に過ぎ去る時間のなかで、子供たちは傷つき、歪んでいった。
残酷にも、ケントの自殺未遂がこの悲劇を止める唯一の要素になった。大人たちは子供たちを問いただし、今までにないくらいきつく叱った。
「いいですか。自分の目で直接見たものを信じることは、悪いことではありません。しかしそれはほんの一部分だけではなくて、全体を見なければいけないことを忘れてはいけません。勝手な想像で物事を決めつけてはいけません。想像と真実を取り違えてはならないのです。そして、どんなことがあっても、他人の命を自分勝手な理由で取り上げることは許されません。今回皆さんがやったことは、永遠に神様から受け入れられることはないでしょう。自分がしたことの重さを考えて、深く反省しなさい」
誰もが静かにうなだれ、何も言えずにいた。しかし、すぐ近くで爆発音のような音が鳴り響き、その場にいた誰もが同時に顔を上げた。
「おい。なんか焦げ臭いぞ!」
ひとりが声をあげた。大人も子供も一斉に外に出てみると、信じられない光景が目に飛び込んできた。その光景に、木戸は思わず気を失いそうになった。
ブレントの家が燃えていたのだ。
「ブレント!」
木戸は周りの止める声を無視して、ブレントの家まで一目散に走って行った。
じきに消防車が来て消化を始めたが、彼はひとつ奇妙なことに気が付いた。誰も家の中へ入って行かないのだ。それどころか、消防隊はやけに落ち着いた様子で消化をしている。
「おい坊主! あんまり近づくと危ないぞ!」
一人の消防士が木戸に声を掛けた。
「中の人は!? ブレントは助かったのか!?」
木戸が尋ねると、消防士は眉間にしわを寄せた。
「何言ってるんだ。ここには前から誰も住んでないじゃないか」
「え?」
「空き家だよ。ここは。もうかなり古い家だから、このまま住むだなんてまず無理だ。もうすぐ取り壊される予定だったしね」
消防士はそう言って呑気に鼻歌を口ずさみながら去って行った。
「やあ。要」
すぐ後ろで声がした。ブレントの声だった。振り返ってみると、燃え上がる空き家から少し離れた木の陰に彼はいた。
「ブレント! どういうことだ? あの家は、おまえの家じゃなかったのか?」
ブレントは表情一つ変えずに黙っていた。
「なんとか言えよ。何かの間違いなんだろ?」
木戸は彼を信じたかった。しかし、この時の彼の目はいつもとどこか違って見えた。いつもの真剣で真実しか映さない瞳は、どこか濁って見えた。
「もういい加減気が付いてもいいころだろ?」
ブレントは言った。木戸はただただ呆気にとられ、何も言えずに立ち尽くした。冷え切った手で心臓を鷲掴みにされるような不快感が彼を襲った。
「ひとつひとつ思い返してみるといい。ヒントはいくらでも転がっていたよ」
「ブレント、何を……言ってるんだ?」
「みんなそうなんだ。真実なんてどうでもいい。自分が信じたいかどうかで物事を判断する。信じたいものしか信じられないんだ。もちろん、君もね」
木戸の腹の底から、何か熱いものがせり上がってきた。我慢できなくなり、思わずその場にへたりこんだ。
「ブレント、まさかおまえ……おれに、おれたちに、嘘を? 何のために」
「君たちにぼくを責める権利なんてないよ。あれは君たちの選択だ。君たちが信じたかった真実じゃないか。ぼくを責める権利があるのは、せいぜいテオとケントくらいのものだ」
「でも、どうして……どうして……?」
木戸が泣きながら尋ねても、ブレントの表情は石のように固まったままだった。
「ぼくにもよくわからない。例えるなら、そうだな。お金をたくさん持っていたら、躊躇なく使ってしまうだろう? それと同じくらいの感覚さ。……ねえ。さっきからどうして泣いてるんだ?」
頭の中を素手で滅茶苦茶に掻き回された気分だった。視界が霞み、現実が遠のいていく。木戸は地面に倒れ、そのまま意識を失った。
「ずっと前からそうだ。ぼくにはよくわからないんだ。君がそんな風に傷付くなんて、考えもしなかったよ」
ブレントは静かにそう呟き、木戸の前から姿を消した。そして約一七年間、木戸の前に姿を現さなかった。