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チャドック

 繁華街の中心に、一件のイングリッシュパブがある。チャーリー・グエンは週に一回は必ずこのパブを訪れた。金もないというのに。

 その日は土砂降りの雨だったが、パブはそこそこ混雑していた。カウンターの隅でスコッチを飲みながら周りの人間にちらと目を向ける。特に面白そうな人間はいない。誰もがみんな同じような呑気な顔で、同じような酒を飲んでいる。退屈の極みだとチャーリーは思った。

 ――平和そうな顔しやがって。

 彼は周りを一瞥して鼻で笑った。


 今から六年前、チャーリーは大変な目に遭っていたのだ。

 家出をし、行く当てもなく路地裏を彷徨い歩いていたとき、ある廃病院に自分と歳の近い若者たちがたむろしているのを見つけた。グループには特に名前は付いておらず、みんな自分で自分に好きな名前を付け、まるで本名であるかのように名乗っていた。

 そのグループの中心には、チャンと名乗る青年がいた。黒髪で堀深い顔立ちをした彼は、一見とっつきにくそうな見た目をしていたが、周りの人間はみんな彼のことを慕っている様子だった。

 行く当てのなかったチャーリーは、なんとか彼らの仲間に入れてもらいたかった。しかし口下手だった彼は中々それを言い出すことができず、いつしか遠巻きに彼らを観察するようになっていた。

 そんなある日、ある人物に声を掛けられた。

「入りたいの?」

 いかにも育ちの悪そうな少女だった。彼女はまだ二十歳にも満たない年齢のはずだったが、右手には酒の瓶が握られていた。

「君は、あのグループの?」

「うん。リサ」

 彼女は自らをリサと名乗った。本名かどうかはわからない。

「あんたは?」

「……チャドック」

 とっさに思いついたのがそれだった。家を出る少し前、テレビから聞こえてきた単語が偶然頭に浮かんだのだ。チャーリーは自分でそう名乗ってから、「名前なんてそんな簡単なもので良かったんだ」と変に納得してしまった。

「チャドック。歳はいくつ?」

「一八だけど」

 チャーリーが答えると、リサは驚いたように目を見開いた。

「へえ。なんか老けて見えるね」

「ク、クスリのせいかな……」

「そう。やっぱ使うとそうなるんだ。へえ。じゃあ、とりあえずチャンを読んできてあげるよ」

「チャンって、あのリーダー格の?」

「うん。別に怖いヤツじゃないよ。たぶん。みんな懐いてるし。まあ、どうしてみんながあんなに懐くのか、私にはわかんないんだけどね」

 そう言ってリサはチャンを探しに走っていった。それかた五分ほどして、彼が姿を現した。相変わらず子供に人気があるようだった。

「君がこの辺りをうろついていることは、随分前から気付いていたよ。けど、何も言わなかった。迷いがある人間を、無責任に僕らの中に引きずり込むのは悪いと思ったんだ」

 二つの茶色い目がこちらを見ていた。チャーリーは目を逸らそうとしたが、どうもうまくいかなかった。チャンは片時も目を逸らさずに話し続ける。しかし、そこに威圧感や不快感はまるでないのだ。

「ただの家出でここに来たのなら、すぐに引き返すべきだ。一時の気の迷いならね」

 チャンは言った。実に不思議な感覚だった。

「いや。もう家に戻るつもりなんてないんだ。親の世話になるような歳でもないし。だから、頼むよ」

 チャーリーはそう言って手を合わせると、チャンはすべてを受け入れたように微笑んだ。


 それから月日は流れ、チャーリーが廃病院に来てから一か月が経とうとしていたとき、ある出来事が起こった。グループ内で盗難が相次いだのだ。彼らにとって盗みを働くことなど、特に変わったことでもなんでもなく、むしろそれは、自分たちの生活をかけたゲームのようなものなのだが、仲間に対して盗みを働くとなると話は別だった。

 その時のチャーリーの目には、チャンは何か思い悩んでいるように見えた。そこで彼は、いつもよりチャンをよく観察するように心掛けた。チャンの方もそれに気が付いたのか、頻繁にチャーリーに声を掛けるようになった。

「チャドック。ちょっといいかな」

 チャーリーは、チャンから相談に乗って欲しいことがあるという話を持ち掛けられた。

「今夜の一〇時、繁華街のイングリッシュパブの前で待っていてくれ。大事な話がある。このことは、他の誰にも言っちゃいけない。最近、みんなの物が次々に盗まれているだろ?」

「ああ、そうだけど。もしかして、俺を疑ってるのか?」

「その逆だよ。僕は君を一番信用している。君が来るよりずっと前から盗難は起きていたんだ。そして、その犯人がわかったかもしれない。手を貸してほしいんだ。なるべく、大事にしたくなくてね。みんなの仲を険悪にしたくないんだ。わかってくれ」

 チャンはあの時と同じように澄んだ目でこちらを見ていた。これが、嘘をつく人間の目だろうか。チャーリーは今まで出会ってきた嘘つきの顔を順番に思い出した。

 彼の記憶の中には、チャンと同じ目をした人間など一人もいなかった。

「わかった。今夜一〇時、イングリッシュパブの前だな」

 チャーリーは力強く返事をした。

 その日の夜一〇時、チャーリーはパブの前でチャンの到着を待った。しかし、チャンに会うよりも早く、見知らぬ男たちに声を掛けられた。彼らは自分たちのことをチャンの知り合いだと言い、本人が来るまで酒を飲みながら待つことになった。疑いの芽が生える間もなかったのだ。

 それから先の記憶はない。気が付いた時には車のトランクに押し込められた状態だったのだ。どんなに叫ぼうが暴れようが、真っ黒な暗闇が消え去ることはなかった。体力を消耗し、疲れ果て、もう駄目だと思った時、奇跡は起こった。

 突然強い衝撃に襲われ、目の前に満天の星が広がったのだ。チャーリーは手足を縛られていたが、何とか身をよじってトランクから脱出した。偶然トランクが開いたのは奇跡としか言いようがない。

 その場から逃げ去る時、一瞬だけ運転席の方を見た。ドアは開け放たれ、その隙間から力なくぶら下がる腕が見えた。指の先からはどす黒い血液が一筋に流れていた。

 しばらく辺りをさ迷い歩いたが、ここがどこなのか、あれからどれくらい時間が経ったのか、全くわからなかった。ただ一つわかっていたのは、そこが島の外であるということだけだった。

 チャーリーは家に帰りたくて仕方がなかった。家は貧乏で両親や兄弟とも仲が悪かったが、こんなところに野放しにされるよりはよっぽど良い環境だった。今となっては、なぜあんなに家を出たがっていたのかわからないくらいだ。

 そのまま一人寂しく歩いていると、街の明かりが見えてきた。見知らぬ街であるはずなのに、そこまるで自分の生まれた街であるかのように思えた。あそこへ行けば何とかなるという、絶対的な自信を胸に、チャーリーは歩みを進めた。



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