路地裏の子供たち
しかし、そんな生活にもついに終わりが訪れた。
ある時、ケイはチャンに呼び出され、一人で人気のない路地へやってきた。「君にしか話せない。とても大事な話がある」と言われていたのだ。しかしいくら待てどもそのチャンはやって来なかった。代わりにやってきたのは、何の面識もない男たちだった。
男は三人いた。その中には、まだ未成年の朴が含まれていた。リーダー格の男は、朴に「あの小僧の言う通りだな。後で金を払っておけ」と言った。
その瞬間、ケイはすべてを覚った。チャンは、金に困っているという話をよく口にしていた。そして同時に、以前黙って姿を消したリサのことも思い出した。
「リサ、まさか……」
頭を冷たい氷の塊で殴られたような気分だった。彼女も、自分と同じようにチャンに騙され、どこかへ連れていかれてしまったのだろうか。だとしたら、彼女は今、どこでどんな目に遭っているのだろうか。
「これがお前の初仕事だ。こんな細っこいの、ちょっと捻ればすぐだろ」
リーダー格の男が朴にそう言った。ケイは、自分の腹の底から怒りが込み上げてくるのを感じた。どこに連れて行かれるのかは大体予想がついた。一般的な社会から零れ、倫理観や道徳観に無関心な大人が掃いて捨てるほどいるこの島で、その噂を耳にしない方が珍しい。
人間が売られている。そんなことはとっくの昔から知っていた。産まれた時から思い知らされてきた。それを、当たり前のことだと受け入れるよう努めていた。自分は特別な存在ではない。どこまでもありふれた存在であると信じてきた。しかし、まさか二度も自分が商品として扱われることになるとは思っていなかったのだ。
自然と涙がこぼれた。随分と久しぶりの涙だった。あの日の夜、みんなで自分の過去を打ち明けあった。チャンは、ケイの過去を知っていたはずだ。知っていながら、二度も仄暗い現実をケイの目の前に差し出した。
朴がこちらへ近づいてきた。その目には明らかに迷いの色が透けて見えた。ケイは朴に背中を向けて、一目散に走った。前方は行き止まりになっていることもわかっていたが、構わず走った。
ありったけの力を振り絞って、目の前の壁に飛びついた。壁のわずかなひび割れにつま先を引っ掛け、思い切り力を込めて自分の体を押し上げた。背後で男たちが何か言っていたが、そんなことは全く耳に入ってこなかった。
視界がぐらりと傾き、目の前にぼやけた夜空が広がったかと思うと、どすんという音と共に地面に転がった。
うまく受け身を取れなかったせいで強かに背中を打ち付け、体がじんじんと痛んだ。どうやら背中を打ちつけたらしい。うまく呼吸ができない。壁の向こうでは男たちの声がしている。するとすぐに、壁の上から朴が身を乗り出した。朴はケイを見つけると、恨めしそうな目で睨んだ。だがすぐに、朴の体は何者かによって引きずり降ろされるかのように壁の向こう側に落ちていった。
そこから先の記憶はない。ただ、微かにジュナの声が聞こえた気がした。
それからケイは廃病院に行くのをやめ、つるんでいた仲間たちとも縁を切ることに決めた。だが唯一繋がったままの縁もあった。当時からビスカッチャでアルバイトをしていた、ジュナとの縁だ。
チャンはあの日から行方がわからなくなってしまったようだった。ケイがメンバーに彼がどこに行ってしまったのか尋ねても、誰もが揃って目を泳がせるばかりだった。中には質問に答えたメンバーもいたが、ケイが期待するような言葉は何一つ返ってこないどころか、妙な噂が流されていた。
「チャンが仲間を売るわけないだろ。きっと、彼も何かに巻き込まれたに違いない」
「ケイ、そういうお前が一番怪しいぞ。大体、チャンに売られたんならどうしてここにいるんだ?」
「チャンが言ってたぞ。最近お前とジュナの動きが怪しいってな」
「そういえばあんた、リサと仲良くしてたよね。随分とわざとらしそうにさ……」
自分の知らないところでいつの間にか卑怯者にされていた。何がどうなっているのかまるでわからなかった。
今度こそ行き場をなくしたケイは、ジュナの紹介でマーティンたちの元へ迎え入れられることになった。つるんでいた仲間とは縁を切った。そして気が付けば『調査事務所』の一員として、いつしか自分を陥れたチャンの情報を集めるようになっていった。
しかし情報は一向に手に入らず、時間だけが容赦なく過ぎ去っていった。まるでチャンなどという人物は最初からいなかったかのように思われた。