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追憶

 ケイがビスカッチャに帰ってきたのは、時計が深夜一二時を回ったころだった。木戸は事務所へ戻り、ジュナは自分の家に帰っていたため、店内には佐倉とマーティンしか残っていなかった。

「お出迎えはなしですか」

 特に掛ける言葉もなかったので冗談を言ってみたが、意外にもマーティンは真に受けたようだった。

「随分遅かったな。木戸は別の仕事で事務所に戻った。ジュナは……知らん。気持ちよく酔っぱらって、勝手に家に帰ったぞ。つい一時間前のことだ」

「……冗談ですよ。別に期待してません、彼女には」

「あ、あの……大丈夫だったんですか?」

 佐倉が恐る恐る尋ねた。佐倉は初めて会った時に比べて、なんとなくケイの印象が冷たいような気がしていた。自分になど、何の興味もないような目つきが恐ろしかったのだ。

「ご心配なく」

 ケイはそれだけ言ってカウンターの方に歩み寄ると、ジュナが飲み残した酒を静かに飲み干してしまった。

「比較的安全なホテルに予約を取ってあります。用が済んだら、そちらへ移ってください。マーティンが送ってくれると思うので。そして今日足を踏み入れた場所には、二度と戻ってこないことを約束してください」

「俺が送るのかよ。別にいいけど」

 ボトルが空になったのを確認すると、ケイはマーティンにメモを渡した。それから佐倉の肩に軽く手を置くと、そのまま店を出た。

 事務所に戻ると、木戸はまだ起きているようでオレンジ色の明かりが薄ぼんやりと暗闇を照らしていた。相変わらず別件のファイルとにらめっこを続けている。

 そっと近づき、背後からおもむろに声を掛けた。

「手詰まりですか?」

「いや、単なるストーカー被害だが、最近加害者が部屋から全く出てこなくなってな。死んだか?」

 意外にも落ち着いた声が返ってきた。どうやら全く驚いてはいないようだ。

「そんなことより、こんな時間までどこにいたんだ? もっと早くに戻る予定だったろ」

「女の子のお婆ちゃんがなかなか帰してくれなかったんで……」

「これからどうするつもりだ?」

「佐倉さんは安全なホテルに移ってもらいます。マーティンさんのおかげで用事も早く済みそうなので、近いうちに帰るでしょう。なんとなくですが、チャンは彼女を追わないような気がします。朴の方は、後日会う約束をしています。その時に――」

「いや、そうじゃない」

 木戸はファイルを畳んだ。無機質な音が部屋に響く。

「本当の目的という意味で聞いた。たぶん今回の依頼は、その序章なんだ。まさか、ろくに計画も立てずに突っ込むつもりじゃないだろうな」

「もう突っ込みましたから、その心配はないです」

「……お前がここに来てから、本当に毎日が楽しくなったな」

 木戸はわざとらしく顔を歪めて吐き出すようにそう言った。彼は時折、ケイに対して皮肉を言うことがあった。それは単にからかったり、馬鹿にしたりするためではなく、ケイが皮肉をきちんと認識できる人間かどうか確かめているように見えた。

「すみません。でも、楽しいのはここまでのような気もします」

 ケイがそう言いながらデスクに置かれたファイルを手に取り、パラパラとページを捲りだすと、木戸は椅子から立ち上がって階段の方へ歩き出した。しかし階段の一段目に足を掛けた時、ふと何かを思い出したように振り返った。

「そうだ。これだけ言っとくが、誰も殺すなよ」

 それだけ言い残し、二階へ上がっていった。木戸がいなくなってから、ケイは椅子に腰掛けてファイルに目を通した。

「チャーリー・グエン、ストーキング、小説家、独身……」

 書かれた文字を何気なくつぶやき、写真を見る。その瞬間、頭の中で何かが活動を始めたような、奇妙な感覚が生まれた。

 その晩、奇妙な夢を見た。


「ケイ。君にしかできない大事な話がある。今日の夜九時、この場所に来てくれ」

 目の前にチャンがいる。その顔はぼやけてよく見えない。だが、何の違和感もない。

「何故?」

 ケイは尋ねる。胸の奥がざわつく。

「頼む。チャドックとリサの居場所がわかったかもしれないんだ。他の奴らには聞かれたくない。いいか。あいつらの中には確実にスパイがいるぞ」

「スパイ? 何故私にそんなことを?」

「君はまだここに来たばかりだろう? チャドックの方がいなくなったのは、君がここに来る前だ。だから、君だけは信用していいと思ったんだ。他の奴の言うことは絶対に信じないでくれ。特に、ジュナは駄目だ。あいつは一番危険かもしれない」

「ジュナが? チャン、一体何を――」

 ケイがそう言いかけた瞬間、辺りに落雷の音が鳴り響き、ケイの夢は強制的に中断された。

 外では轟々と雨風が吹き荒れ、時折轟音と共に稲光が窓から入り込んできた。昔の記憶を夢に見るなんて、まるで映画のようだ。ケイは額の冷たい汗を拭うと、もう一度眠りにつこうとした。しかし、その日は夜が明けるまで眠れることはなかった。



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