追跡
「さて、じゃあバッグの中を確認してもらいますか」
そう言ってジュナは返ってきたバッグを木戸から受け取ると、佐倉のもとへ返した。だが財布はしっかり自分のポケットに押し込んだままだった。
ケイが誘拐されかけている女の身代わりになる少し前、木戸はジュナと一緒にチャンと佐倉の乗った車を追跡していた。どうしてジュナまでついてくるのかはわからなかった。レンタルした車のエンジンを掛けた時、いつの間にか後部座席に彼女は座っており、驚いた木戸は危うくジュナを殴り倒しそうになったのだ。
佐倉の乗った車は途中で強盗に襲われ、荷物を盗まれた。ジュナは自分だけ車から降りると、木戸に強盗の後を追跡するよう促した。
――それにしても、赤信号で止まれないほど物騒な街になっていたとは。
車を走らせながら、なるほどこれが本物の強盗かと感心した。度々強盗に車を盗まれる事件は発生していたが、目の前で目撃したのは始めてのことだった。
これは偶然だろうか? それともチャンはわざと強盗に車を奪わせたのだろうか。木戸は慎重に車を走らせながら、チャンに関する情報を頭の中に引っ張り出した。
チャンはケイの昔の馴染み、人身売買業者と繋がりがある、他人に興味がない、金の亡者、詐欺師、整形している、恐ろしく整った顔をしている、みんなその顔に騙される、ただしケイが騙された時チャンはまだ整形していない……
前を走る強盗とチャンはグルなのだろうと木戸はぼんやり考えた。そして、自分に課せられた役目は奪われた物の奪還であるということもわかっていた。事がうまく運べば、ジュナやマーティンは佐倉に取引を持ち掛けるはずだ。その際に、取られた荷物はこちらの手に渡っていたほうが好都合だろう。もしかしたら、マーティンはあの佐倉という女から必要なだけ金を引っ張り出すつもりかもしれない。それは万一ケイが戻って来られなくなった時、取引の材料として使うつもりなのか、それとも無事に戻ってきたケイが朴に対して使うつもりなのか。
……いや、そんなことより――
この前のジャズバーといい、最近は何かと良いように使われてばかりいるのは気のせいか。木戸は「どうして俺がこんな事ばかりしなきゃならないんだ」と心の中でぼやいた。自分も子供のころにマーティンに拾ってもらった身ではあるのだが、最近ではもういっそ独立したいと思うレベルだ。
そんなことを考えているうちに、強盗の車は寂れたガソリンスタンドに停車した。スタンドの隣にはハンバーガーショップが併設されており、一人はハンバーガーを買いに車から離れた。こんなときに随分と呑気なものだ。
車の近くにいるのは一人だけで、荷物はトランクの中にある。木戸はガソリンを入れながらあの一人を何とかして車から引き離すことはできないだろうかと考えた。木戸一人では難しい。もう一人仲間がいればうまくいったかもしれない。
そんなことを考えていた時だった。
「おーい。ちょっとこっちに来てくれー!」
ハンバーガーを買いに行った仲間の声がした。
「どうした?」
ガソリンを入れていた男もその場を離れる。チャンスだ。
貧乏くじばかり引かされているが、同時に幸運にも恵まれているらしく、木戸はこういった偶然に何度か遭遇することがあった。
「アホめ」
木戸は近くに誰もいないことを確認すると、音もなく車に近づくとトランクを開けにかかった。手早くやらなければ強盗たちが戻って来る。見つかれば命はないかもしれない。
なんとかトランクを開けると、中の荷物を引っ張り出す。嫌な汗が頬を伝って地面に落ちる。時間がない。
「おい! 何のつもりだてめえ!」
突然野太い男の怒鳴り声が聞こえた。一瞬にして背筋が凍り付く。ばれたか。
声のした方向に目を向けると、強盗たちはまだ店の中にいる。何やら店内で揉めているようだ。厄介な客に喧嘩を吹っ掛けられているようにも見える。
木戸は荷物を引っ張り出すと、そのまま自分の車の中に無造作に放り投げてエンジンを掛けた。あくまでも冷静に、何事もなかったかのようにその場を立ち去った。心臓はバクバクと脈打ち、手足の感覚も曖昧になっていたが、その表情は何とも言えない爽快感に溢れていた。
ラジオを掛けると、この状況に不釣り合いな陽気なラップが聞こえてきた。