決行
「何でだ。何で俺まで行かなきゃならない。なんで爺さんも反対しないんだ?」
この日の夜、木戸は直前までごねていた。霧のような小雨の降る夜、作戦は決行されることになった。
「あなたは外で待っていればいいですから。あの男が出てきたら強盗を装えばいい」
「もっと他にいい作戦はなかったのか。奴の取り巻きに殺されるかもしれないんだぞ」
「不安なら、ジュナも連れていきますか? 男三人くらいなら一人で張り倒しますよ」
「……いや、いい。やめてくれ。そんなことより、そのバーは貸し切りなんじゃないのか? どうやって入るつもりだ」
「そのためのマーティンさんですよ。ローズが彼の顔を覚えているといいですが」
「まあ、殴ってでも思い出させるさ。それくらいチョロい奴さ」
マーティンがすかさず口を挟んだ。
「……俺はうまくいかないと思う」
特に代案が浮かんだわけでもなかったが、木戸にはどうもこのお粗末な作戦が成功するとは思えなかった。最近のケイが何やら暴走気味であることを懸念しての発言だった。最近といっても、昔のケイを知っているわけではないのだが。
「どのみち、残された時間は極わずかです。素人の私たちにはこれが限界でしょう」
「仮に、そこでコネを作ってだ。お前が二日後に例の女の代わりに捕まったとする。それでうまくいくと思うか? ローズがお前の顔に免じて、誘拐された女の子と一緒に逃がしてくれなかったらどうする。薄々思ってたんだが、本当の目的は誘拐された子の救出じゃないんじゃないか?」
「まあ、万一連れていかれたとなれば、俺が解決するよりないな。奴はむかしから金さえちらつかせればどうにでもなるような男だ」
マーティンが答えた。ケイは何も言わずにどこか遠くを見ている。
「それに、一体いくら使う気だ?」
マーティンが木戸の質問に答える前に、店の扉が勢いよく開いた。
「あのさ、何で休みの日に限って呼び出されるわけ?」
ジュナがいつもサボってばかりいる身分で文句を言いながらカウンターへ入って行った。店番を任されているらしい。
「期待は全くしてないが、店を頼んだぞ」
「まかしといて」
マーティンの言葉に、ジュナは左手でだるそうに敬礼を返した。
例のジャズバーは、北側の歓楽街の隅にひっそりと佇んでいた。木戸はこのエリアにいい思い出がなかった。先日は住民を襲うイノシシを殺してくれというイレギュラーな依頼が舞い込んだが、本来調査事務所と名乗っているだけあり、頻繁に浮気調査の依頼が入る。
見ず知らずの男女もしくはそれ以外の人間をゴキブリのようにコソコソと付け回すのだ。一人で歓楽街をうろつくのは、色々と惨めな気分にさせられる。その時の感覚が鮮やかに蘇る。
どんな設定で突入するつもりなのか知らないが、二人は木戸を残してバーの中に入って行った。霧のような雨がじわじわと体温を奪っていく。だがこんな状況は慣れている。ターゲットが出てくるまで何時間も店の前で待つことなど造作もないのだ。誰にも怪しまれない、罪悪感すら感じないという条件をクリアできればの話だが。
店からやや離れた場所に止めた車の中で、ケイが持って行った盗聴器から中の情報が流されてくる。特にすることもないのでそれをBGMにさっき中華エリアで買った肉饅をかじった。すると男の盛大な笑い声が聞こえてきた。ローズか、それとも他の人間かはよくわからない。
『マーティンじゃないか! 入りたまえ!』
『こんなところで合うとはとんだ偶然だなローズ! 貸し切りだったのに悪いな。どうもうっかりしていて、外の看板に気が付かなかった』
『お前も年を取ったな。おや、その子は?』
『今うちの店で働く予定の子でな。今カフェをやってるんだが、そのうちバーに改装する予定だ。でもこの子は若いし田舎育ちなもんだから、こういう世界を知らなくてな』
『みんな聞いてる前でやめてくださいよ……!』
『こらケイ。こういう場所ではあまり大きな声を出すんじゃない』
聞いていると耳が腐り落ちそうだと思った。自分も仕事中に度々演技をすることはあったが、他人が演技しているのをこんな形で盗み聞きすることは滅多にない。自分も傍から見ればこんな感じなのかと思うと胸のあたりがムカムカした。