木戸
物語を進めていくうちに調査員要素が薄れてしまったため、勝手ながら『Knave And Youth ―名前のない調査員―』からタイトルを変更しております。
「木戸さんは『TUBEROSE』って店、知ってますか?」
数日前、木戸はビスカッチャに訪れたケイにそんな話を振られた。なんとなく嫌な予感がした。
「あの如何わしい店が何だって?」
「へえ、如何わしいですか。すると、裏の事情まで知っていると」
「いや、詳しくは知らない。ただ、わかるだろ。詮索しなくとも。あれは健全な会員制クラブじゃないってことくらい」
「行ったことが?」
「前に浮気調査で行ったことがある。でも俺が行ったのは裏じゃない。なんでそんなこと聞く?」
「昨日、例の人身売買業者に関係する依頼を受けたじゃないですか。どうやら今奴らに捕まってる娘はその店に売られるらしいです」
「朴とかいうスパイから聞き出したか。かわいそうに。あんまりいじめるなよ」
雨の音が次第に激しくなるのを聞きながら、木戸はわざとらしくうなだれた。最近、ケイは何かと勝手な行動を取ることが増えてきた。どうやらチャンという人物に執着があるようだが、その男が何者であるのかはよくわからない。
「ここに来たばかりの頃は、借りてきた猫だったくせに……」
「とにかく、私はそのTUBEROSEのアントン・ローズって男の弱みを握りたいんです」
「どうやって?」
「今わかっているのは、四日後、誘拐された女の子と当日捕まえる予定の日本人の女をまとめて買い取りに来るということ。そして北側のジャズバーによく顔を出すってことくらいです。彼と接触するとすれば、この時しかありません。で、どうしたらいいと思います?」
ケイはそう言って肩をすくめて見せた。
「知らん。第一、これはお前の私怨が生み出した問題だ」
「私怨とは失礼な」
「じゃあもし、この一件にチャンが絡んでいなかったら、安い金で易々と依頼を引き受けたりしたか? そもそも、数年前に自分を裏切った人間を探るために、見ず知らずの男をコソコソ観察して弱みを握ったりしている時点で――」
「ただの練習台ですよ」
ケイは大げさに声を張って答えた。すると、カウンターの方でマーティンが声を上げて笑い出した。
「私怨か。木戸、それはケイの延命装置だ。本人は否定してるが、そいつからそれを取り上げたら何も残らない。かわいそうだから自由にさせてやれ」
ケイはムスッとした顔でマーティンを睨みつけた。
「やめろやめろ。どうせそんな顔したって怖くないんだ」
木戸はケイの頭を掴んで目線をもとの位置に戻した。
「まあ、その店なら俺がよく知ってるんだがなぁ」
マーティンはそう言って店を閉めると、隣のテーブルから椅子を一つ引っ張ってきて二人のいるテーブルの前に置いた。どうやら話に加わるつもりらしい。
「昔遊んでた時の話なんかするなよ爺さん。もう七〇だろ。ケイの人格がこれ以上歪むと困る」
「大丈夫だ。もう歪み切ってるから。俺はそのローズって男とは深い繋がりがあってな。戦時中、何度か奴の命を助けてやった。四〇年以上も前の話だが」
「それから彼には会っていますか?」
「確か……九年くらい前に奴の店に行ったきりだ。その時は知らなかったな。あの店の裏で如何わしい商売をやっているだなんて」
「よし」
ケイはふーっと息を吐いて席から立ちあがった。木戸はなんとなく嫌な予感がした。
「マーティンさんは私と来てください。日時は私がなんとか確認します」
「あんまり朴を酷使するなよ。ボロが出るから。……じゃあ、俺は無関係だし、事務所に帰る」
木戸はそれだけ言うと、逃げるようにその場から立ち去ろうとした。
「何言ってるんですか木戸さん」
ケイの重みのある声が木戸の首根っこを捕まえた。
「あなたも参加するんです」