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絹傘家にはルールがある。

朝食は何があっても必ず食べること。


これは我が家の中でも、トップに君臨する一番守らないといけない決まりだ。それは、僕の習慣となって20歳になる今も破ったことはない。内心、もう子供じゃないんだからと思うけれど、絹傘にとって僕はいつまでも子供のような存在なんだろう。


僕は、フードファイターよろしく朝食をかきこむと、時間の壁すら超越する勢いで支度を済ませた。

「行ってくるね!」

「いってらっしゃい」

絹傘に見送られながら、僕は家を出た。



朝の空気は澄んでいて、僕の背筋を伸ばしてくれる。

今日も行くのは公園なんだけど、いつもと少し違うんだ。

僕は僅かに緊張する気持ちを隠すように、いつもより足早で公園を目指した。

着くと公園の門の横に桔梗さんが立っているのが見えた。


「桔梗さん、待たせちゃいましたか」

「ううん。今来たところ。じゃあ、行こうか」

桔梗さんは笑顔で僕を促した。


僕はいつもより少なくなった口数で、桔梗さんの後に着いていく。


「ここだよ」

公園から10分ほど歩いた頃、桔梗さんが建物を指差した。

その声に足を止め、指差す先を見上げると瀟洒なタワービルが建っていた。


エントランスからお洒落なその造りは実に桔梗さんらしい。

目的の階に着くと、桔梗さんは生体認証で重厚な家のドアを開けた。


「さぁ、いらっしゃい」

桔梗さんが僕の手を取って家の中に導く。

中に入ると、香水とタバコの匂いが混じった甘くて苦い香りがした。



部屋に入ってまず、その明るさに驚いた。

外観に見劣りしない洗練された室内は、窓が一面ガラス張りになっていて都心部の景色がよく見える。


「うわぁ…。綺麗」


部屋をぐるっと見渡すと広いリビングにドアが幾つか見えた。いったい何部屋あるんだろう…。人の部屋に来て、じろじろと見回すのも不躾な気がして僕は外の景色に集中した。地上では人や車が小さな粒となって、動いている。自分たちがさっきまで居た公園があんなによく見える。


「すごいな…」

都心部の家賃って幾らなんだろう…。何のお仕事しているんだろう…。散漫な僕の思考があれこれと考えを巡らせていると、桔梗さんが温かいお茶を持って来てくれた。


「お茶で大丈夫?」

「ありがとう…ございます」

リビングにある黒い革張りの大きなソファの前でバングル型のPDを操作すると、大きなエアビジョンを出した。ちょうど正午のニュースの時間でこの間、駅前で見たALM製造会社の事件の続報が取り上げられていた。


「ご飯出来るまで、少しかかるから。寛いで待ってて」

「はい…」


言われた通りにソファに座るものの、落ち着かない…。

昔から何かを待つというのは苦手だったから尚更だ。座って待ってるのも手持ち無沙汰で、僕はキッチンにいる桔梗さんに声をかけた。


「あの、何かお手伝い出来ることないですか?」

待っているのは性に合わないし、何か出来ることがあるなら桔梗さんのお手伝いがしたい。

僕の言葉を聞くと桔梗さんはクスリと笑った。

「僕、おかしなこと言いましたか?」

「ううん」

桔梗さんは慣れた手つきでシャリシャリとジャガイモの皮を包丁で剥きはじめた。

「じゃあ、一緒にジャガイモの皮剥いてもらっていい?」

「はい!」


料理をしながら、桔梗さんと色々な話をした。桔梗さんは僕の内側に踏み込んでくるでも無く、かと言って突き放すというわけでも無い。桔梗さんは僕が話したいことを絶妙に拾ってくれるのだった。

昔から知っていたのではないかと思えるほど、桔梗さんとの会話は楽しかった。



野菜を切る軽快な音が広い室内に響く。

「そう言えば…桔梗さんの家は、ALM居ないんですか?」


この家に来た時から思っていた。

これだけの広さの家で、ALMを持たないのは珍しい。


「うん」

「広いと大変じゃないですか?掃除とか…」

「僕、ALMが苦手なんだよ」

「そうですか。家事とか買い物とか代わりにやってくれて便利なのに」

「そこまで、困ったことないから余計かな…」

何かを思い出しているのか、宙に視線を彷徨わせる。


「今まで、付き合った人が全部やってくれていたからなぁ…」

桔梗さんは何の感慨もなく、淡々と言った。


「桔梗さん…」

「ん?なになに?」

「僕、貴方の周りにいた人達のことが分かった気がします」

僕は苦笑いした。


彼がALMを苦手と言った理由が少し見えた気がした。

ALMがやらなくても、付き合っている人が彼のことを思ってやってくれるんだ。

そりゃ、ALMなんて要らないだろな…。

桔梗さんの性格と容姿だったら、尽くしたくなるのも分かる気がするよ…。


整理しきれない感情を持て余した僕の耳に桔梗さんの声が聞こえた。


「でも、響也くんが来てくれて、嬉しいよ。ありがとう」

こう言うこと、平気で言えちゃうんだもんな。


けれど、その言葉が素直に嬉しかった。顔の温度が上がった気がする。

赤くなっているであろう僕を見て桔梗さんは屈託ない笑顔で笑った。





その後、2人で作った料理は無事完成した。

綺麗に盛り付けされた料理を大理石のダイニングテーブルに並べるとまるでお店のそれに見えた。


「美味しそう〜!」

「ね。食べようか」

豪華な料理は味は勿論のこと2人で作ったという事で美味しさもひとしおだ。

「響也くん、美味しいお酒があるんだけど飲む?」

「はい」

普段はあまり飲まないお酒も桔梗さんと飲めると思うと嬉しかった。薄いグラスに濃厚な赤いワインが注がれる。桔梗さんの指先まで神経が通ったような所作にうっとりと見惚れた。

そのしなやかな指先で桔梗さんはワイングラスを掴んだ。


「では、響也くんと僕の出会いに乾杯」

交わしたワイングラスがぶつかり合って繊細な音を立てる。

乾杯の言葉を少し恥ずかしく思いながら、僕は薄いガラスでできた滑らかなグラスにゆっくりと唇をつけた。鼻に抜ける芳醇な香りと舌に残る僅かな苦味。


「お口にあったかな?」

「はい。初めて飲んだんですけど、とても美味しいです。今日は呼んで頂いて、本当にありがとうございました」

「どういたしまして。響也くん…今は幸せ?」

桔梗さんは目を伏せたまま赤いワインの入ったグラスを手元でゆっくりと傾けている。

「はい。とっても」

「そう…。良かった」

桔梗さんは僕を見つめるとにっこり笑った。僕も桔梗さんの笑みにつられて笑顔になる。

僕はワインと桔梗さんと一緒に作った豪勢な料理に舌鼓を打った。




体が熱くて、フワフワする。

頭の中に何かをみっしりと詰められたように、何も考えられない。


お酒、飲みすぎたのか…。

朦朧とする意識の中、声が聞こえた。


「ある天才がいたんだ」

「天才…ですか?」

「うん。彼は時代の寵児として世界から歓迎された。魔法のように人々の暮らしを豊かにしていったよ。皆は彼が新しい時代を作り出していく事に期待した。けれど、彼はね…」

「…。彼はどうなったんですか?」


その声を最後に音が消えた。




「響也くん、響也くん…」

耳元で優しい桔梗さんの声が聞こえた。

ゆさゆさと体を揺さぶられる。

夢にまで桔梗さんが…。


「絹傘は心配してないので、大丈夫です」

僕は、微睡みの中で満足げに伝える。


言ったあと、自分の口が確かに動いた感覚がして、僕は急いで体を起こした。


「おはよう。本当はもう少し寝かせてあげたかったんだけど、あまり遅くなると家の人心配するよ」

桔梗さんは心底心配した顔をしてた。

「すみません。気持ち良くなっちゃって、気づいたら寝てました…」

まだ、はっきりしない頭で咄嗟に口走った。


現状を把握していくごとに、いたたまれなさと恥ずかしさで体が萎縮していく。

身体中の熱が顔に集まって、熱かった。


「僕も寝ちゃってたんだよ」

「へ?」

僕は目を丸くして、ソファに座る前の男を見た。

「今さっき起きたところ。時間も遅いし、家の近くまで送っていくよ」

「え?でも、僕まだ片付けしてないです」

「もう終わっているから、大丈夫」

そう言われて、テーブルの上を見ると本当に何も無かった。

綺麗に整えられている。

いつの間に…。


「夜は冷えるから、上着ちゃんと着るんだよ」


僕に帰り仕度をさせると、桔梗さんは車に俺を乗せて家の近くまで送ってくれた。


「今日は色々とありがとうございました」

下げられた車のウィンドウを覗くように、彼に告げた。


「いや。こちらこそ、ありがとう。すごく楽しかったよ。また一緒にご飯食べようね」

「はい。また宜しくお願いします」

「うん。じゃあ、またね」

桔梗さんはウィンドウを途中まで上げると、何かに気づいたように再び下げた。


「そうそう。響也くんさ、可愛い寝言言ってたよ。遅くなっちゃったから、お家の人に謝っておいてね」

じゃあ、そう言って軽く手を上げると、去っていった。



遠ざかっていく、車のテールランプを見つめながら何とも言えない気持ちになっていた。


桔梗さん、寝言まではわかる。

けれどその後の男に使わないような形容詞が頭についていた気がした。

聞き間違えであって欲しい。そう願った僕は、深く考えないようにしてその日眠りについた。


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