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落ちる瞬間を見たんだ。

鳥のように手を大きく広げて空に還ろうとしていた。


それを見ながら、一歩も動けなかった。

その後に聞こえた大きな鈍い音と誰かの鋭い悲鳴。


地面に叩きつられた彼の体を見て、働かない頭がやっと理解した。




彼は飛び降りたんだ。





響也は、直ぐに病院に運ばれた。

執刀医は何かを話していたが、言われた言葉は耳に入った側から色を滲ませ溶けていく。

体と精神が乖離して、感覚だけが研ぎ澄まされたような気味の悪い感覚でふわふわと宙に浮いているような感じだった。


「響也…」

どこか調子の外れた楽器のような泣き声が聞こえて、音のした方を向くと桔梗が響也のベッドの側で悲しんでいる姿が見えた。


あぁ、桔梗が泣いてる。

隣に行って慰めないと。


頭で理解していても、体は意思に反して動こうとしない。

まるで、関係の無い世界で起きていることだ、と自分に教えるように。


響也のことを悲しむことも、桔梗を慰めることも。

俺には出来なかった。


芯だけが冷え切った頭を占めるのは、彼への疑問と落ちる瞬間に見たその姿。

終わると、もう一度最初から。


何度も何度も何度も。

焦げ付いた脳の回路でそれは行き場を失ったように繰り返された。


彼は一体どこに行ってしまったのだろうか。

目の前のベッドに横たわるのは、人工人体化した彼の変わり果てた姿。

頭髪のない頭に、黒灰色に濁った瞳。

体には無数の管が巻きついていた。


まるで、別の"もの"だ。



かけようとした声とその後を追うように宙を彷徨った腕は、すぐに元の場所に戻った。

自分が今どんな感情を感じているのかも、意識の無い彼に何を言おうとしたのかも分からず、閉塞感と息苦しさは、空気穴の無い自分という入れ物をどんどん膨張させていく。


桔梗のように泣けたらいいのに。心のどこかでそう思っている自分がいた。







気づけば、いつの間にか自分の家に帰ってきていた。


なぜ、彼は飛び降りたのか。

完璧に見える人生にさえ、彼を壊す何かが存在したのか。


ふと自分の手を見ると、小さな箱が手のひらに乗っていた。

響也が訪ねて来た日のことを鮮明に思い出す。あの日、この箱は華奢な響也の手に乗っていた。白い箱を検分するように眺めて、油の無い乾燥した指の腹で箱に刻印されている細かな模様を撫で蓋を開けた。


開けてみると、中身は彼の言っていた通りデジタルモメントが入っていた。俺はデジタルモメントを取り出すと、自分の手首のデバイスに読み込ませた。


中身は彼が今まで作り出したプログラムのバックアップデータだった。


響也が高度技能センターにいた頃から今までの記録。ALM(オルム)にその生涯を費やした彼にとって、このデータは彼の人生そのものだ。

触っても温かくなくて、喋ったり、笑ったりも出来ない。

けれど、命とは無縁に思えるこの中に、彼は確かに居た。

病院のベッドに寝ているものよりも、このデータの方がよりずっと。


俺は現実から逃げられるような気がして、寝食を忘れてそのデータに魅入った。



指先が何かに導かれるように自然とそのファイルを開いていた。

これは、3人で一緒に仕事をした時のものだ。


「これ…」

そこには、プログラムファイルとは別にメッセージでアドレスとパスワードが記されていた。

エアビジョンに表示されたのは、他人の記憶を疑似体験出来るサービスを提供するオペエクス社の個人ページだった。個人ページに表示された名前はK。


響也はここに何を残した?

まるで高い所に立ったようにゾワゾワと何かが体の中を駆け回ってm耳の近くに心臓が来たように、ドクドクと煩い。握りしめていた両手が汗ばんで気持ち悪く、けれど気分は変に高揚していた。

俺は何かを祈るように、ゆっくりとそのパスワードを入力し、自分の網膜に直接映像を見せ、脳に擬似感情を体感できるRSシステムを起動させた。


「WELCOME」

軽快な音楽と共に表示された。


一番古い記録を遡ると、記録は五年前から始まっていた。

逸る気持ちを抑え見ていく。時々記録の中に現れる名前の無い人物が最初は理解出来なかった。

次第に、身に覚えのある出来事が増えていく。そして、線と線が繋がるように唐突にそれを理解した。


彼の感情が濁流のように押し寄せてくる。

息をつく間も無く、彼の人生が自分の体をすり抜けていくような激しい感覚に翻弄された。

胸を開かれて、喉まで石を詰め込まれたような気分だった。


君は馬鹿だ。


文字がだんだんぼけていって、よく見えない。

ゴーグルを取って目を擦るがやっぱり歪んで見えなかった。



上層部の思惑に気付きながら嵌められた彼と、響也のSOSに気づけなかった自分。


徐々に発言力を増す響也の存在を疎ましく思いながらも、上層部は彼を体の良い人形として扱いたいが為に、彼の足元を掬った。それが彼のko-jimaモデルを使ったKZKプロジェクトで計画されていたんだ。


彼が責任者として進めていたKZKプロジェクトの極秘資料流失という作られた罪を全て響也に被せた。

重要機密の漏洩は、会社に不利益をもたらした。

響也は必死に身の潔白を訴えたが彼に下されたのは、僻地の新型ALM研究所への異動だった。

その研究所で彼にほぼ自由は無かったようだ。


そこでの拘束は半年以上にも及んだ。精神的に不安定になった彼は自分の生と才能が搾取され枯渇していくような緩やかな死の存在に恐怖を感じたようだった。


エアビジョンから聞こえる彼の声と感情。

絶望の中で彼はもがき続けた。


"◻︎◻︎さんには、迷惑かけたくない。だから、自分の手で終わらせる。

もっと強い人間だったら、助けてって言えたのか。

自分は弱くて駄目だ。このまま俺はいきます"



彼の最後の言葉はそう締め括られていた。



俺はRSシステムを静かに切った後、片手で顔を覆った。





俺は知っている。


彼は才能に裏打ちされた自信に溢れているように見えたが、時折とても心細そうな不安な顔覗かせることがあった。それは一瞬ではあったが、人一倍他人の期待に敏感で常に周りの期待に応えようと頑張っていた。そして、何よりそんな繊細な自分を出さないように振舞って居たよ。

彼はまだ年齢通りの小さな子供だったんだ。


そんなのは、彼を側で見ていてすぐに分かった。


彼は天才という訳では無かったんだ。

才能こそあったが、彼は人の何十倍も何百倍も努力していた。

その努力こそが、彼を「天才」たらしめたんだ。


彼がその生涯をかけて積み上げたものが彼を苦しめたなんて誰も思わなかっただろう。

「天才」という化け物はどれだけ彼を蝕んでいったのだろうか。


その若さでどれだけのものを掴み、零したのか。

気づいていれば彼には違った未来があったはずだ。

彼はまだあんなに若かった…。

この先の未来があったんだ。



後悔と怒りが体の奥底でマグマのように熱が噴き上がって、気づいたら拳を思いっきり机に叩きつけていた。奥歯がギリギリと音を立て、昂った感情で体の震えが止まらない。ジンジンと体に響く右手が異様に熱く、そこだけ血液が沸騰したようだった。


黒く暴走した感情が体の中で暴れ回って、この衝動に任せて叫び出したかった。

後悔という泥沼にその身を絡め取られ、息すらも出来ない。

苦しくて苦しくて、胸が張り裂けそうだった。


最後に響也がうち来た日、俺はずっと気になっていることを彼に聞いたんだ。


「ずっと気になる事があるんだが、聞いてもいいかな?」

ドアを開けて帰ろうとする彼に声をかけると、大きな焦茶色の瞳を不思議そうに俺に向けた。


「なぜ…」

ずっと疑問に思っていた。なぜ、響也がうちの会社に自ら志願したのか。

その言葉に響也の瞳が一瞬揺れた後、微笑して口を開いた。


「俺は…」





病室に入ると、寝ている彼がいた。

体に巡らされた管を目で追って彼の胸に目をやった。薄い胸がその存在を主張するように、息を吸う度に上下に動いている。

彼は今も生きてる。


「君は馬鹿だ」


病室に響いた言葉は雪が解けるようにすっと消えてなくなった。確かに自分の声が聞こえたはずなのに、現実感が無い。夢と現実が混ざり合って、ぐちゃぐちゃにかき混ぜられたような不確かさ。

彼も俺もここにいるのに。

だから、分かるように言った。

彼と自分に聞こえるように何度も。


なぜ、もっと助けを求めなかった。

君はその術を持っていたはずだ。


「君は馬鹿だよ…」


目から溢れ落ちた涙は病室の床を静かに濡らした。


才能があったって、頭が良くたって、生きていなければ意味が無いんだ。

どうしてそんなことも分からなかったんだ。


ベッドのスイッチを押して、ガラスで隔たれた蓋を開けた。

冷たい彼の手に水の粒が落ちた。生命を感じられない彼の手の上で、唯一温かいそれだけが生を感じさせた。俺はその水を染み込ませるように彼の手にひろげる。生がうつるように、幾度となく。

それは、意味の無い自己満足の行動でしか無かったけれど、そうすれば、俺の命が彼にうつるんじゃないか。そんな非科学的な考えが頭を擡げた。

彼は生きているんだ。今は目を覚まさないだけ。

頭では、分かっているんだ。なのに、俺の体は無意味な行動を繰り返した。


彼の魂が入っているか分からない冷たい手をぎゅっと握りしめる。


"彼の魂"


ふと気付き、今の時代にそんなことを思ってしまった自分が心底おかしかった。

彼が聞いたら、笑うだろうか。

そう思ったら、体の底から笑いが込み上げてきて、くつくつと喉を鳴らして笑った。けれど、薄眼を開けた時に、寝ている彼の姿が見えて、その黄色い衝動は徐々に涙に変わった。

温かい涙が頬を伝って落ちていく。



「俺も馬鹿だ。気づいてあげられなくて、ごめん…」


聞こえるのは、彼の命を繋げる機械の音と小さな呼吸音、そして、自分の嗚咽と。

止めようとも思わなかった。自分の泣き声が彼に聞こえれば、いいとさえ思った。


目を閉じた君の白い頬を撫でながら、思った。

次に彼の目が覚めたら、隣にいるのは自分でありたい。

君を支えたいんだ。


温かい日差しが差し込む日、未だに目覚めない彼を引き取り、俺は会社を辞めた。



会社を辞める前に、桔梗に話したんだ。

そしたら、桔梗は賢明さんが選んだことなら僕は何も言いません、そう言った。

その言葉は俺たちの別れを意味していたけど、桔梗も涙は見せなかった。

去っていく桔梗の後ろ姿を見て、少しの未練と後悔を引きずって、これからは別の道を歩いていくのだと、鈍くなった心で思った。




鳥の鳴き声が遠くで聞こえた。


病室の窓に目をやると、窓の外で新緑がゆっくりとその身を風に任せていた。

4年前、響也と会った日もこんな日だった気がする。

青々と茂る若葉が風に揺れて、気持ちの良い風が吹き抜ける。吸い込む空気は新たなスタートを切る不安な背中を押してくれて、俺達はこれから始まる日々に胸を高まらせ期待した。

眩しく輝いていたあの日々は今は遠く、けれど確かにそこに存在した。


口寂しさを紛らわす様に彼に視線をうつすと、沢山の管が繋げられたベッドの上で彼は安らかに眠っていた。まるで、何にも心を乱されることが無い世界で幸せそうに微笑んで。


そんな響也の姿を見て満たされた気持ちの中、目をゆっくりと閉じた。

閉じた瞼の向こうに、あの日の響也の姿が鮮明に蘇ってくる。



「俺は…。絹傘さんと一緒に仕事がしたくて、ここに決めました。貴方の側いれば、俺は何でも乗り越えられる気がしたんです」



少し潤んだ、だけど彼の強い意志を感じるその目は、俺をしっかりと捉える。

未来を変えてしまいそうなほどの、情熱と輝きを秘めたその瞳に。


今になって分かったよ。

俺は多分出会った時から、ずっと惹かれていたんだ。




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