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教えてくれなかったリンを責める権利なんて僕には無い。

僕は彼女を見ていなかったんだ…。

いつも見ていたのは、いつも彼女の向こうの…。

その時、彼女の向こうに見ていたその姿がはっきりと姿を現した。


あぁ。そうか。

それを理解するのと同時に、心臓が激しく脈を打った。



「ごめん、ちょっと出かけてくる」

巻いたばかりのエプロンを急いで外すとコートを羽織った。

「こないだの友達のところか?」

厨房から顔を出した憲尚さんはその厳つい渋い顔で僕を見つめた。

「うん…」

「実は明日はあまり客が居なくてなぁ。暇なんだよなぁ…」

憲尚は響也を横目に見ながら呟く。

「そうなんだ」

明日の仕込みを考える僕をよそに、憲尚さんの言葉が耳に届いた。

「だから、明日は休みでいいぞ」

「えっ?」

「折角、友達も来ているんだからゆっくりしてきな」

「大丈夫だよ。仕事が始まる前までには帰るから」

「お前が来るまでは1人でやってたんだ。大して変わらん」

「そんな…でも」

憲尚さんは僕の背中を押すように優しく笑った。

「いいから行ってきな」

その厳つい顔に、あまり似合うとは言えない笑い皺がスッと入る。けれど、僕は知っている。憲尚さんがこの街で一番優しいこと。そして、誰よりも楽しい事が好きで笑い上戸で、僕が悩み落ち込んだ時に励まし、その暗い悩みを笑い飛ばしてくれるのは、憲尚さんだった。


「ありがとう。行ってきます」

憲尚さんは後ろ手にひらひらと手を振っていた。僕はそれを見て、宿屋のドアを勢いよく開いた。手には絹傘から貰った紙を握りしめて。



外に出ると、夜の静まり返った空気がキンと冷えていて吐いた息が白くなった。足元には、街灯に照らされた石畳に僕の影がうっすらと伸びている。僕はコートに首を埋めるようにして、それを見ながら歩き始めた。


コツコツと夜の街に響く足音が次第に速くなっていって、気づいたら駆け出していた。

夜の冷たい空気が頬を切るように流れていく。

僕はまだ…。

息を大きく吸う度に、喉が痛痒く暗く冷たい空気が肺に沁みた。


乱れる息に縺れる足を踏ん張って、目的の場所を一身に目指す。

冬なのに体から汗がふきだし、絹傘から貰った紙は掌の中でシワシワになっていた。


宿屋に着くと、僕は汗を吸ってシワシワになった紙を開いて、確認した。


心臓がバクバクと高鳴り体の中で暴れているみたいだった。

僕は、自分の心臓に拳を当て大きく息を吸った後、部屋の扉をノックした。

かちゃりとドアノブが回って、重厚な扉がゆっくり開いていく。


「来たよ…」

「来てくれたんだね。ありがとう…」


絹傘は心から安堵した様子で僕を部屋の中へ促した。


部屋に入ると、クリーム色の壁紙にアンティーク調の家具が置いてある8畳ほどの部屋が広がっていた。絹傘はその中でも一際目を引く茶色の大きなソファに僕を促した。


「座って」

僕をソファに座らせると、僕との距離を測るように腰掛けた。


「この間は、急に訪ねてすまなかった…」

「いや…。元はと言えば、僕が…」

言いたいのに、口が張り付いたみたいに動かない。


けれど、絹傘は僕が言えなかった言葉が聞こえたように首を横に振った。


「言わなくていい…」

彼はその大きな手で僕の両頬を包んだ。

ゆっくりと彼の顔が近づいてきて、絹傘の濃藍の瞳に僕がゆらゆらと映り込む。額と額を合わせた僕と絹傘。触れた場所から伝わる熱は確かに絹傘の存在を感じさせる。


絹傘は祈りを捧げるように目を固く閉じた。

僕は目を瞑った絹傘から目を離さなかった。



ゆっくりと扉を軋ませながら、扉が開いていく。

貴方によって暴かれる。

それは僕にとって救いであり、罰だ。



ーーー人が生を与えられていることには理由があるんだって。

草の匂いと共に、柔らかな彼女の声が聞こえた。



絹傘の熱を感じながら、響也は静かに目を瞑った。



「君に"彼"のことを聞いて欲しいんだ…ーー」


絹傘の声が無性に懐かしかった。




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