かもめかもめ
蔵井鴎は物心が付いたときには既に施設に引き取られいるため両親の顔も温もりも名前すら知らない。
彼が引き取られた施設では、『保護者』と呼ばれる女性一人と同年齢の子供たちと一緒に、一般常識とともに社会で生き抜く知恵や技術を各個人の個性に合わせて教え込まれ仕込まれた。
それは狂わされたと言ってもいいのかもしれない。十歳にも満たない子供たちが軍隊の破壊工作員ばりの訓練を受けていたのだからその異常性は計り知れない。彼の詐欺の技術も施設において培ったものだ。
訓練を受けた子供たちは皆様々な組織に引き取られたり、独自で自立して生計をたてている者もいる。
生き残ることに長けた暗殺者はフリーの請負人に、完全なる爆弾屋は軍に入り破壊工作員として働いている。他にも対人恐怖症のハッカーや情緒不安定の交渉人や嫌われ者の指導者など個性をそれぞれ発揮した仕事で生活している。
鴎は子供たちの中ではどちらかと言えば落ち零れている方であった。
劣等生。
『保護者』からはこう言われた、
『かもめ、アンタはなんていうか生きる価値観が弱い。ここに集められているから潜在能力が高いとは言わないけれども、ここに集められているということは光るべき個性、又は陰っている個性、もしくは支配する理性、或いは咆哮すべき本能。何かがあるのか、何かが欠けているのか。それはアタシにだって分からないけれど、だからってここにいる以上何かしらを発揮しなければならないわけ。発揮か、それとも暴発なのかは起こして見なければ、解析・解剖してみなければ分からないけど、どっちにしたって何かなきゃ、いずれにしたってどうかしなきゃ、アンタ生きていけないよ?ストレートに言えば、すぐに死ぬよ?ここで教えていることは普通じゃない、異常、異変、異端、どんな言葉で表しても無駄だし、常識はずれが当たり前、それでも無理矢理にでも常識を教え込んでいるのはつまり、至る所としてはアタシは生きていてもらいたいからなのね。別に人としてでなくてもいいし、人に埋もれてもいいし、人外魔境で暴走していたって構わない。だからアタシは生きるための知識、技術、おまけの常識なんてものを狂ったように植えつけてやっているわけだし、愛情や母性以外の優しくもない何かを渡している。アンタに幾ら生きる何かを与えて、アンタはそれを活かして、殺して、扱い方は各々自由にしてもこれからを生き残ってもらわなきゃ困るのに、アンタはそれをすべて無視している。アンタの師匠ていうか烏くんの教えも無視して、演技派何て格好だけはぶって、できないことを無理矢理こなして。……アンタさあ、何したいの?』
死にたいんだったら、そういいなよ。殺してあげるから。
◆
「うざい。」
嫌なことを思い出しながら、夢に見ながら俺は目を覚ました。
昔のこと、過去のこと、嫌なこと、だから覚えている。
あの頃は仲間がいた、友もいた、師匠がいて後輩がいた、親の代わりがいて、兄弟の代わりがいて、姉と妹の代わりがいて――でも俺には結局何も残らなかった。
満たされない。
満たない。
満ち足りない。
俺はあの施設を出るにあたって今まであったすべての関係を棄て去った、殴り捨てた。
自分を否定するように、仲間を否定するように、俺は進んでいった。
そして今に至る、生き残って、死に損なって、現在。
どうしたって、どうに至って、あの頃には戻れないけれど、何故だが異常なまでに恋しいのだ。
捨てた癖に。
「だから、うぜぇ!!」
俺は上体を起こした。
日は完全に昇っている。
真上にまで位置して、自身の体に暑いぐらいまでに日差しが当たっている。
「どうにか、生き残ることはできたみたいだな。」
喜びはない。つーか、あの程度で気を失うとは思っていなかった。
何度も川を泳いだことがあり、着衣水泳なんていうのはどちらかと言えばお手の物であるが、記憶は曖昧であるのだが、恐らく溺れて意識を失うなんて言うのは何とも恥ずかしい。
恥ずかしすぎて顔から火が出そうだ。川にもう一度入ろうかな。
「それにしても暑いな。まるで夏のようだ。マジで川でも入ろうかな。」
そこまでいって、漸く自分の頭が回ってきた。
気づくべきことに気付きだした。
俺はもう一度空を見た。
太陽はほぼ真上に昇っている。空が高く感じる。
腕時計は持っていないし、日時計の読み方も知らないが、ただ太陽がほぼ真上の位置にあるということは大体正午過ぎぐらい。
今日の日時は一月一日木曜日、季節でいえば新春・正月。
昨日は大晦日だった、旧暦新暦ともに冬。
新春といえども寒さは厳しい筈だ。
決して日差しが強い程度で暑いなどとのたまえるような季節ではない。
寒さ厳しい、厳冬であってしかるべきだ。
辺りを見渡す。
川岸、いたって普通に見えてよく見るとおかしい。
川の流れる方向が逆だった。上流から下流に流れるはずの、高位置から低位置に流れるはずの水の流れが、逆流している。アマゾン川の逆流、ポロロッカは知識として知ってはいたが、それとは違う。緩やかに、勢いなどつけずに、川はあるがまま堂々と遡っている。
大晦日の夜。正確にはその前日に降り積もっていたのだが、雪。
未だに解け残っていた雪、その一片も見当たらない。
全て溶けてしまったという説もあるが、この暑さ自体がそもそもおかしいのだからどちらでもいい。
気が付けば気が付くほどおかしいことばかり。
空が朱い。
橋が上下さかさま。
川原が砂浜になっている。
何よりもそれが目に見える形で不都合となっていないことが何よりもおかしいと思えた。
このことを思いついたのはもっと後のことだが、不都合が都合よく通る異常が目に見えて起きている。
「おいおい、何処だよここ。」
残念ながら、というか、お粗末さまというか、俺らしいというか、
今市数江がいないことに気が付いたのは最も最後のことだった。