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ひと掬いの息  作者: 衣笠 円慕
vol.2
2/2

知らなかった話

 その男は、とても飢えていた。

常に何事にも先んじて平和を渇望していた男だったが、今ばかりは肉体的にも飢餓の淵に追い込まれていた。

旅先ですりに遭ったみじめな男は、つい先日まで安宿に泊まってひっそりと日々を食い繋いでいたのだ。

しかしそれも、前日までの話。

今朝方になって、男は神のお告げと思しき言葉を聴いた。

このままではいけない、外へ出るのだと。

最初に眼に入ったものを手にすれば、きっとそれがお前を救うだろう、と。

いい加減限界に達していた男は、その言葉を疑いもしなかった。

とにかく助かったとばかり喜び勇み、宿を飛び出したまでは良かった。

視界の届く限りには、なにも見当たらなかった。

昨晩、食料の足しにするための野草を採りに出た時には普通に存在していた筈のもの。

具体的には建物や植物や人々の姿が、見事なまでに消え去っていたのだ。

縦横無尽に広がる空っぽの大地の上で、男は愕然とした。

これでは、何も見つけられないじゃないか、と。

不意に、背後で爆発音が響く。

吹き抜ける突風に男は思わずつんのめってしまう。

砂埃が収まってからようようの体で振り向くと、つい先刻まであったはずの宿屋すら無くなってしまっていた。

その背景にある筈のものも含めて、もはや360°全てが荒地と化していたのだ。

すぐに風がやんで、そして音さえ失われていった。

しばらく経って、男は足元に転がっていた小石を手に取った。

何も言わず、立ち上がる。

ただ神の預言を信じ、手にした小石が自らを救ってくれると信じて。

それだけの機械となって、男はゆっくりと歩き始めた。

その男はとても飢えていた。

いよいよ精神的にも苦痛を感じて、止めるわけにはいかない両脚も、気を抜けば今にもくずおれてしまいそうだった。


男は極限状態の中、ふとポケットに入れた小石の事を思い出した。

すかさず小石を取りだし、自らの頭上に向けて放り投げる。

しばらく空中に留まった小石は、やがて地面に落ち、砕けた。

男は小石の破片が飛び散った方向を確認して、迷わず足を踏み出す。

少し歩いて、ひとりの人間が倒れているのが目に入った。

それは、丸々と太った中年男性の死体のようで。

側には、光り輝く金塊が転がっている。

男は一度それを拾い上げたが、すぐに捨てた。

またしばらく歩くと、一羽の鳩が飛んでくるのが目に入った

鳩は男の目の前に止まり、その様子は羽を休めているように見えた。

男は、鳩を捕まえようと試みた。

しかし手を伸ばしたところで逃げ去られてしまい、諦めるほかなかった。

さらに随分と歩き続けたところで、再び誰かが倒れているのに気付いた。

今度はまだ幼い、女の子のようだった。

その側には、小さな紙袋が落ちている。

中身をあらためると、サンドイッチが二つ、入っていた。

男は歓喜を隠そうともせず、その内の一つをあっという間に平らげた。

さて、満腹になってみると、どうだろう。

男の心中で燻っていた平和への渇望が、再びその勢いを奮い立たせて。

もはや男の眼にそれしか視えなくなるのにも、然程の時間はかからなかった。

男は、手にしていた紙袋を一瞥した。

すぐにそれが役には立たないと判断して、捨てる。

そして少しの間思案すると、来た道を引き返すことに決めて。

転がる少女の死骸をあしらい、紙袋を踏み潰して、男はまた進み出した。

少し歩いて、一羽の鳩が地面に横たわっていた。

羽を地面に擦りつけたままに、ピクリとも動こうとはしない。

男はそれを蹴り飛ばすと、さらに歩を進めていく。

またしばらく歩くと、人間一人分と思しき白骨が散らばっていた。

頭骨の大きさを見るに、成人の物のように見える。

そのすぐ側には、くすんだ金色をした塊が転がっていた。

男はそれを拾い上げることもなく、その場を後にして。


そこからは何もない道がひたすらに続いた。

それでも、男が足を止めることは無かった。


迷彩服を着た大柄な男性の死体が横たわっていた。

傍に転がっていたのは、金属製の大きな筒だった。

本体からは二本の突起が伸びていて、肩に担げる形状になっている。

側面には、「silent」の文字が刻まれていた。

男はそれを、自らの頭上に向けて撃ち放った。

恐ろしい程の速度で打ち上げられた火薬の塊が、遥か上空で轟音と共に弾けた。

真紅の火花が、広がっては消えていく。

「――これで、これで"平和"がやってくる。私の国が――」

男の頬に、一筋の涙が伝っていく。

やがてそれは、とめどなく溢れるひとつの線になった。


ほどなくして、男は死んだ。

いずれ彼の国が(・・・・・・・)世界が静かになるその(・・・・・・・・・・)過程・・を見届けることもなく。



『ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、ピ、ガ、ガ――――』


いや、大した意味とかは無いんですけど。

ただ、無知と思い込みは恐ろしいねー、っていう。

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